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米長邦雄著「不運のすすめ」
最近はなるべくネガティブなタイトルの本は読まないようにしているのですが、この本は別です。今年の1/16に参加した内田和成さんのセミナーで紹介されていたので、Amazonで購入しておいた本なのです。軽い気持ちで読んだのですが、将棋に詳しくない私でも十分読む事ができました。

ちなみに、p.114の記述は、そのままという訳ではないのですが、内田和成さんの「論点思考」の考えに近いなぁと思いました。



●スランプに陥った時、いちばんよくない処方は、コーチのような人に付いて、「あそこがいけない」「ここが欠点だ」と、あれこれ言われて考え込むことである。稀(まれ)にそれでよくなることもあるが、ほとんどの場合は、さらにひどくなったり、スランプが長引いてしまう。明らかに目につく欠点や欠陥は、人に指摘されなくても気づくものだし、すぐに反省できることなのだから、長々と考え込んではいけないのである。つまるところ、スランプは当人一人の問題である。当人ができるだけ早く、ゼロから出発し直そうという気分になるのが妙策である。混迷の中にある時には、原点に戻るのがいちばんなのである。(p.23)

●スランプという不運な状況は、誰にでも訪れるものである。しかし、よく観察すると、スランプとは呼べないケースが少なからずあることに気づく。それは、そもそも実力がない、というケースである。本人が持っている能力をすべて発揮しても、なお勝てないのは、「弱い」からである。これをスランプだと勘違いすると、そのまま立ち直ることなく終わってしまう。まずは、自分に力が足りないことを現実として受けとめ、弱いのだと自覚し、それから勉強の仕方を変えて一からやり直していくべきであろう。(p.24)

●「人生、笑える時に笑っておけ。すぐに泣く時がくる」鬼才・升田幸三先生から贈られた言葉である。私がタイトルを獲った時、盤の向こう側の相手を気遣って、うれしさをこらえていた場面で出た言葉である。(p.27)

●お使いで電車に乗ると、詰将棋やプロが指した将棋を、頭の中の将棋盤で駒を動かして考えた。これは実にいい勉強法であった。アマチュアの三段ぐらいになると将棋盤一面が頭の中に入り、トッププロになると三面から五面入る。私も頭の中で三面の将棋を同時に指したことがあった。(p.51)

●師匠に啖呵を切った以上、相当なスピードで昇級していかなければ、ただの"ほら吹き小僧"で終わってしまう。だから将棋の勉強だけは必至にやった。その甲斐(かい)あって、中学生時代の三年間で奨励会六級から初段まで昇格した。内弟子の処世術としては、師匠の言うことには何でも従うべきであったろう。~(中略)~しかし、私はあえて自己主張した。そうして自分を追い込んだ結果、将棋が強くなっていったのである。(p.53)

●私は、慈悲は情けをかけることとは違うと考えている。慈悲の心とは、本来人間が持っている智恵(ちえ)によって、この世に存在するさまざまな問題の解決を図ることである。他人の幸せのために自分が犠牲になることではない。自分が負ければ目の前にいる人が幸せになるような気がするのは、錯覚にすぎないのだ。なぜなら、どこかにそのしわ寄せがいき、そのせいで不幸になる人がいるからである。(p.66)

●一般社会においても、地位や肩書きや年収などによるさまざまなピラミッドがあるが、そこでのランク付けが人間としての幸福とイコールで結びつくかというと、そんなことはまったくないはずだ。もしそうだというのなら、社長が世の中でいちばん幸せで、以下、専務、部長、課長と順に不幸になっていき、平社員は不幸のどん底ということになってしまう。そんなことなど、あり得ない。(p.78)

●勝負は勝ったり負けたりである。~(中略)~この好調時、不調時に何をなすべきか。~(中略)~まず、好調で精神的に落ちついて余裕のある時には、欠点を直す。~(中略)~一方、スランプに陥って悩んでいるような時には、長所を伸ばすことである。というより、自分の欠点を見ない、と言うほうが正確だろうか。~(中略)~勝っている時には負け将棋を並べ、負けている時には勝ち将棋を並べる。これが、勝利の女神に好かれ貧乏神を遠ざける極意である。(p.92)

●今でも、行乞(ぎょうこつ)こそ将棋普及の原理であると考えている。「年に何回か、ボランティアで各地の学校の将棋部に稽古(けいこ)に行きます」「さびれた将棋道場に月に一回教えに行きます。指導料はいただけるだけで結構です」こうしたことをプロがしないで、ただじっとしているのではいけない。これからは、棋士全員が行乞をすべきである。なぜなら、それが将棋ファンを増やすことになり、次代の将棋界発展につながり、最終的にはプロ棋士たちもその恩恵に浴するようになるからである。私利私欲を捨てて道を開くことで、結果的に自らも幸福になれるのである。(p.107)

●しかし、対局相手や将棋盤に対する礼を欠いたり、一手一手に心を込めて駒をきちんと進めるような心構えを持たない子は、棋士になる資格がないし、実際、まず強くならないものである。こうしたことは、ビジネスにも通じるのではないだろうか。同じ仕事をするのでも、四六時中そのことを考え、「何かいいアイデアはないか」と一生懸命思いをめぐらしている人と、「会社を出れば仕事はおしまい」という人とでは、得られる成果は大きく違い、周囲の評価にも差がつくはずだ。ものごとに向き合う時の集中力、真摯(しんし)な姿勢がどれだけあるかで、呼び込む運も違ってくるのである。(p.110)

●世の中には、「いくら考えてもわからないこと」があるのだ。もっと言えば、「直面している問題の意味すらわからない」ということさえ、往々にしてあるのである。ところが多くの人は、「今の自分の力では、いくら考えても正解は出せない」とは思わない。「考えれば必ず答えが出る」という間違った常識に支配されているため、いつまでも考え込んでしまう。それでも答えは出ない。最初から正解などないのだから当然のことなのだが、ここでほとんどの人は、己の不甲斐(ふがい)なさを嘆いたり、自分はダメな人間だと落ち込んだりしてしまうようである。出るはずのない答えを求めて、右往左往してしまうのだ。これは大変に不幸なことである。(p.114)

●たとえば、私は現役時代、大阪で対局がある時には必ずホテルを予約しておき、どんなに早く対局が終わっても一晩泊まるようにしていた。そうしないと、「あと一時間ぐらいで終わらせれば、今日のうちに東京に戻れるな」という考えが無意識のうちにちらつき、勝ち急いで墓穴を掘ることになりかねないからである。ビジネスでも、「早いとこ仕事を片付けて帰りに一杯飲もう」などと考えていると、そこで気持ちが浮ついてしまい、普段なら考えられないようなミスをすることがある。こうしたポカは、案外多いのである。(p.122)

●生物の長い歴史でも、動物、植物に関係なく現在でも生き残っているものは、環境に応じて変化できたものだそうだ。強い者が勝ち残れるのではない。人間の運も同様であろう。過去にこだわり、前例にとらわれていると、運気は下り坂のままである。環境の変化に対応できないといけない。それは、時流に押し流されることとはまったく違うのである。(p.135)

●将棋であれ、社会生活であれ、デジタルを活用してレベルアップしたと思ったら大きな間違いで、アナログという心の世界を侵したツケは必ず回ってくるはずである。だから私は、常にアナログの世界で一生懸命に汗をかくことが大事だと思っている。(p.145)

●チェスの世界チャンピオン、ガルリー・カスパロフは、コンピュータとの対戦に敗れた時、「人類がつくったゲームの中で、最後まで人間がコンピュータと対等に戦えるのは日本の将棋だろう」と言ったという。私も、おそらくそうだろうと思っている。(p.178)
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【2011/03/04 21:43】 | # [ 編集]



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