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山村武彦著『人は皆「自分だけは死なない」と思っている』
この本を読もうと思ったきっかけは、先日の避難訓練です。火災を想定したものだったんですが、「これ、本当の火災だったら、絶対に助からないな」と思ったんです。指示が出るまでも時間がかかりますし、避難をするのも時間がかかる。まぁ、みんな防災の専門家ではないので責める事はできないのですが、だったら尚更、自分の事は自分で守るしかないと思いました。

本文には火災や地震の事だけでなく、津波やテロについても書かれています。p.44には、アラスカのリツヤ湾という場所で発生した、史上最大の津波に関する記載があります。なんと、津波の高さは520m!(YouTubeに動画あり)

また、p.46とp.119には、明治以降、本州最大の津波である明治三陸沖地震津波の記載があります。その高さは、38.2m。38.2mと言えば、だいたいビルの10階相当。半分としてもビルの5階に相当する高さです。いやぁ、本当に恐ろしい。

今回も read more はたっぷりです。時折読み返していきたいと思っています。



●「減災」の第一歩は、災害に巻き込まれたときの、人の心の動きを知ることである。災害の危険が迫ったとき、人はどのような心理状態に陥って、どのような行動をとるのか。私はこれを"防災心理"と呼んでいる。(p.5)

●同じく2003年に発生した十勝沖地震では、津波警報が出た地域の住民のおよそ3人に1人が、海や川の様子を見に行ったり、海や川沿いに置いてあった車を移動しに行くといった危険行動をとっていた。災害が起こり、身の危険が迫ったとき、人は必死に逃げるものではなかったのか。なぜ、彼らは、命を奪う魔の手を前に、何の行動も起こさない、あるいは自ら危険な行動に出る、といった奇妙な対応をとったのか。(p.6)

欧米の家庭では、生活物資の供給が断たれても1、2カ月は生き延びられるだけの食糧を蓄えておくことが、常識として国民に浸透している。私たち日本人のいったい何割が、それと同じくらいの高い危機管理意識を持っているだろうか。(p.7)

●都内の某大学の学生寮である実験を行った。予告なく火災報知機を鳴らし、発煙筒を焚いたときに人がどのような行動をとるものかを調べるのが目的だった。~(中略)~男子専用の学生寮には、32人の学生がいた。~(中略)~1階の食堂にいた学生の何人かが一瞬顔を見合わせ、首を傾げるようなそぶりを示した。しかし他の学生はほとんどが座ったまま動かない。~(中略)~実験を集計すると以下のとおりだった。火災報知機が鳴った時点で行動を起こしたのは、部屋に1人でいた5人全員と、部屋に2人でいた1組の計7人。~(中略)~つまり、部屋に1人でいた場合は、全員が火災報知機が鳴ってからすぐドアを開けて何か起きていないか確認行動を起こしている。しかし、部屋に2人でいた学生は、1組だけが行動を起こし、ほかの部屋に2人でいた計6人は、火災報知機が鳴っても何の行動も起さず煙に気づいてから行動を起こしているのである。食堂にいた学生に至っては3分の間、何の行動も起こさなかった。(p.16)

●緊急時、人間は1人でいるときは「何が起きたのか」とすぐ自分の判断で行動を起こす。しかし、複数の人間がいると「皆でいるから」という安心感で、緊急行動が遅れる傾向にある。これを「集団同調性バイアス」と呼ぶ。先の実験の食堂のように人間の数が多いと、さらにその傾向が強くなる。集団でいると、自分だけがほかの人と違う行動を取りにくくなる。お互いが無意識にけん制し合い、他者の動きに左右される。自分個人より集団に過大評価を加えていることが読み取れる。(p.20)

●「皆でいれば安心だ」と思う心理には客観的合理性や、科学的根拠はない。災害が発生したとき、または危ないと思ったら、まず安全なところへ避難することだ。「皆いるから」の心理が働いて、その場にじっとしている自分に気が付いたら、ぜひこの話を思い出してほしい。皆がいるから大丈夫なのではなく、皆がいるから危険に流される場合がある。(p.21)

●下の写真を見てほしい。~(中略)~煙が充満しつつあるにも関わらず、10人ほどの乗客は座席で押し黙って座っている。~(中略)~韓国の地下鉄火災で出火車両(1079号車)よりも多くの死傷者を出した下り車両(1080号車)内部の写真であった。(p.22)

●誰でも普通は、煙や炎を見れば何らかの緊急避難行動に移るはずである。しかし、彼らは我慢比べのように、ぎりぎりまでお互いにけん制し合っているように見える。「小さな事故なので、少しの間お待ちください」という車内放送を信じてじっと耐えていたのだろうか。密閉空間で災害に遭遇すると、人は極度の恐怖と危機感に襲われる。しかし、現実にはそれがすぐに避難行動につながらない。「本当の危険が迫れば、皆が一斉に逃げ出すに違いない」と考える。でもまだ誰も動かない。「皆が動かないなら大丈夫だろう」と思う。まさか危険を前にして誰も逃げないという状況があるとは考えもしない。ここにまさかの落とし穴がある。これを、「心理的バイアス」と呼ぶ。これは誰でもが陥る心理的な呪縛である。(p.26)

●9.11同時多発テロ事件発生時、世界貿易センタービルで勤務していたジョンソンさんのケースを見てみよう。55階のオフィスにはジョンソンさんを含め約10名のスタッフがいた。テロ発生後、彼らは、ビルの防災センターに電話をかけた。~(中略)~「我々はどうしたらいいのか」と尋ねると、警備員が出て「救助に行くから、待機していてください」と答えた。~(中略)~自分たちで判断していれば、もう少し早く逃げていれば助かったと、ジョンソンさんは専門家の意見を信頼しすぎた自分を責めていた。一般の人は、専門家が指示するとそれを疑わず信じてしまう。専門家の言うことだからと依存しすぎることを「エキスパート・エラー」という。たとえ専門家といえども事故現場にいない以上、完全に正しい指示をくれるとは限らない。現場の情報は現場にいる人が一番把握しているはずである。だから、生死に関わることは、自分の五感で確認した情報に基づき、自分で意思決定することが重要なのである。(p.29)

●人は、過去に経験したことのない予期せぬ事態が突然発生したとき、周囲に存在する多数の人の行動に左右されてしまうことが多い。どうして良いか分からないとき、周囲の人と同じ行動を取ることで乗り越えてきた経験、つまり迷ったときは周囲の人の動きを探りながら同じ行動を取ることが安全と考える「多数派同調バイアス」の呪縛(先入観)に支配されてしまう。(p.30)

●加えて、非常時には「こんなことは起こるはずがない」と捉え、現実ではなくヴァーチャルではないかと考える「正常性バイアス」が働くことがある。韓国の地下鉄火災に巻き込まれた人々は口々に「まさか火災だとは思わなかった」「みんながじっとしているので自分もじっとしていた」と話していた。(p.31)

●4階にいたAグループの人たちはベルが鳴ったとき「何事か」と一瞬腰を浮かせた人もいたが、すぐ「まさか、こんな明るい昼間に火事など起きるはずがない」、「何かの間違いだろう」と、そのままお茶を飲んでいた。ここに人の心理に働く2つの落とし穴がある。ひとつは、「楽観的無防備」である。~(中略)~2つ目の落とし穴は、東京から一緒に来た親しい仲間の集団であることによって「集団依存」状態が生まれていたことだ。~(中略)~結果、個人の判断が、集団の中に埋没してしまう。たとえ1人ひとりが「危険かもしれない」と思っていても集団の「大丈夫に違いない」という決定がすべてになってしまうのだ。(p.36)

●実体験よりも「見たことがある」「聞いたことがある」といった間接的疑似体験に基づいて物事を判断する習慣になっていると、災害時でも現場の状況より先入観を優先してしまうことになる。テレビやインターネットなどで災害時の様子を見聞きしていた人は、あたかもそのことについていろいろと知っているつもりになってしまい、実際に災害が起きたときに、臨機応変な対応、創造的判断、その場にあわせた合理的な対応ができなくなる危険性がある。さらに普通は災害を目の前にすると人は緊急事態を認識するが、刺激的な映像を見慣れた者は、災害が発生したときでも、さほどのインパクトを受けず、目の前で起きている現実を認識・容認できない。そのため、心の非常スイッチが切り替わらない可能性がある。(p.43)

●史上最大の津波はリツヤ湾で発生した。リツヤ湾は、アラスカ南東の海岸に沿ったグレイシャー・ベイ国立公園の中にある。そのとき発生した津波の高さは実に520mである。(p.44)

●津波災害史上最悪の犠牲者数は、2004年のスマトラ沖地震による津波で死者は30万人にも及んだ。日本最大の津波の高さは85m(1875年の地震津波、沖縄南方の石垣島)。(p.45)

●明治以降、本州最大の津波の高さを記録したのは、1896年6月15日、明治三陸沖地震津波で、38.2m(一説には50m以上)である。(p.46)

●津波での死者は溺死と思われがちだが、「明治三陸大津波伝承碑」の碑文には「綾里村の惨状」として「綾里村の如きは死者は頭脳を砕き、或いは手を抜き足を折り実に名状すべからず」と書かれているように、犠牲者は遺体が損傷する悲惨なものである。この津波での死者は、2万2066人・流失家屋8891戸に上った。(p.46)

●「三陸地震史」には、「地震が春先から続いていたことが、地震慣れを招き結果として小さな地震では誰も驚かなくなっていた。その間隙をついて地震津波が襲い最悪の事態を招いた」と書かれている。小さな地震が続くとそれが日常の中に組み込まれてしまい、警戒心が薄れる。それも「正常性バイアス」である。三陸でこうした群発的地震が発生し始めたときは、多くの人が「もしかしたら、大地震の前触れではないか」と不安に思っていた。しかし、震度2~3の地震が頻繁に発生し被害もなくそれが数ヶ月も続くと、いわば「異常慣れ」に陥り、異常を異常と感じなくなるのである。(p.47)

●1981年10月31日午後9時3分ごろ、神奈川県平塚市で市内に配置された防災無線から突然、次のような市長メッセージが流れた。「市民の皆さん、私は市長の石川です。先ほど内閣総理大臣から大規模地震の警戒宣言が発令されました。私の話を冷静に聞いてください。~(中略)~これはもちろん誤報であった。市内に誤報が流れてしまったことを知った市役所の関係者は真っ青になり、大変なことになると思った。本当の警戒宣言が発令されてのパニックなら許されるが、もし、誤報によってパニックが生じ、それによって死傷者など出たらそれこそ取り返しのつかない状態になり、責任が追及されることになる。固唾を呑んでその後の成り行きを見守っていたが、まるで肩透かしを食ったように、全くパニックは起きなかったのである。(p.66)

●この処理のときに、リスクがあると分かっても、それが自分にとって不都合であったり、自分の感情にそぐわない情報だった場合、無視したり、情報自体を都合よく変えてしまうことがある。こうした情報処理方法を「認知的不協和」という。(p.80)

●知っていることと、理解していることは違う。そして、防災ができていないということは災害発生時に本当に何が起きるのか、それが自分に直接どんな影響をもたらすのか、という極めて基本的な部分を理解していないのである。過去に災害を経験している地域でも、過去に発生した災害以上のことは想像できないし、対策を立てることもできていない。~(中略)~駐車禁止のマークを思い浮かべてほしい。真ん中に入る斜め線の起点は、左上からだろうか、それとも右上からだろうか。~(中略)~なぜなら、駐車禁止のマークは、英語の「NO」を組み合わせたものだからだ。(p.84)

●以前、簡単な実験を行ったことがある。1人対1人と、50人対50人の綱引き実験で、1人あたりが出す力を測定してみた。~(中略)~1人対1人のときに出す力はその人の持っているほぼ100%に近い力を発揮する。ところが、10人対10人の場合は95%、20人の場合は約92%、30人の場合は91%、50人になると、87%の力しか出していないことが分かった。これは「集団的手抜き」と呼ばれる現象で、誰しも思いあたる筋があるのではないだろうか。(p.88)

●1℃上昇というと小さな値のように思うかもしれないが、1℃上昇すると南極北極の氷が氷解し、水面高さを1mも押し上げるのだ。しかし、今の防災・危機管理対策は、そうした地球の急激な変化に全く配慮していない。このままでは進化し続ける災害に、対策は永遠に追いつくことはできない。~(中略)~その主たる原因は、これまでのヒューリスティック依存心理にある。(p.94)

●「最後まで生き残る生物は、強いもの、賢いものではない、最も変化に対応できるものである」とダーウィンが『進化論』の冒頭で言ったように、失敗しないためには「変化に追いつき、変化を追い抜く」ことと、それに必要な知識と知恵である。(p.95)

生き残るか生き残れないか。数々の災害現場に立って感じるのは、その差は運ではないということだ。無事に生き抜くためには、それを支える確かな知識が必要であり、その知識をもとにした的確な避難行動が不可欠である。(p.99)

●ロサンゼルス郊外に住む友人宅の冷蔵庫は大型の洋服ダンスを2台並べたくらいで、奥行きもありその大きさには度肝を抜かれた。その中身たるやちょっとしたレストラン並みにぎっしり詰まっていた。~(中略)~なぜこれほどたくさん入れておくのかと聞いたら「山火事、地震、洪水、暴動などが起きるかもしれないし、それにテロ攻撃を受けた場合、どんなことがあっても家族を守り、1ヶ月以上は家に立てこもって闘えるようにするのが市民の義務だから」とまじめに答えていた。これと同じようなことをスイスでも見た。スイスで市民権を取得すると赤い小冊子が配布される。文書にはこういう意味のことが書いてある。「あなたをスイス市民として迎えられたことを光栄に思います。~(中略)~そこで万一に備え、市民には最低2ヶ月分の物品を備蓄する義務があります」とあり、備蓄一覧表がついている。それによると、各家庭1人につき、米2kg、麺類2kg、砂糖2kg、食用脂肪1kg、食用油1kg、そのほかスープ、ミルク、果物、肉、魚などの缶詰の貯蔵も明記してある。~(中略)~こうした教育は家庭でも行われるが、「平和と自由の時間」として幼稚園から「平和と自由は勝ち取るもの」という国の独立ポリシーを学ぶ時間を持つなど、総力を上げて常に危機に備えている。(p.103)

自由や安全は、何をせずとも手に入るものではない。不断の努力があって初めて持てる権利である。自分たちで自分自身を守る。日本人はその発想が、とくに退化していると感じる。ことに都市部生活者ほど、危機管理・防災意識は希薄である。それは、食料、衣服はもちろん生活用品がいつでも手に入ること、そして、「これまで大きな問題がなかったのだから、これからも問題など起こるわけがない」と決めつけているからである。(p.105)

●集団の場合、この「その場の空気」という摩訶不思議なバイアスがかかりやすくなる。ロジカルな正論もオーソライズされた科学的データも一切合切飛び越えて、最終的決定権は「空気」なのである。日本ではこうした空気には逆らわず積極的に従おうとする空気がある。~(中略)~会議で一定の意見交換さえ済むと、その場の空気を敏感に察知した人間の意見で決着する。そこには冷静な議論の積み重ねや、データに基づく検証はなく「空気」という日本人以外は到底理解し得ないミステリアスなコンセンサスが君臨する。~(中略)~群れというのは羊が群れていることをいうように、個が埋没し集団・組織の「集団規範」の方向へ流されていくものである。それは心理学でいうところの「集団同調性バイアス」と言えるだろう。特に日本人を含むアジア・アフリカ系はその傾向にある。北米やヨーロッパ人の場合、「個性をもった自分が今は○○組織に属している」と、個人を主体にしたところに組織があると考える。しかし、アジア人やアフリカ人は「自分は○○組織で、○○という役職に人間です」と個人よりも組織を主体にして組織に属した人間としてとらえる。組織に属するということは組織を優先することにつながる。つまり、個々のパーソナリティや個々の優れた知性が失われる危険性がある。それを「集団愚考」と呼ぶ。(p.114)

●TSUNAMI(津波)という言葉が、世界共通語となるくらい日本は過去に津波災害に見舞われてきた。日本で最大の津波高さを観測したのは1771年に石垣島を襲った津波で、その高さは実に85mといわれ、石垣島人口の半数が流されてしまった。本州最大の津波高さは1896年に発生した明治三陸地震津波で、地震発生30分後に三陸地方一帯を襲った津波で2万2066人もの犠牲を出した。そのとき津波が押し寄せた最大高さは岩手県三陸町綾里で38.2mが記録されている。(p.119)

●三陸では津波の怖さを子供や孫たちに代々語り継いできた。1896年の明治三陸地震津波の37年後の1933年3月3日午前2時30分、岩手県沖250kmの海底を震源とするマグニチュード8.1の巨大地震が発生し、北海道から近畿地方までの広い範囲で揺れを感じた。宮古、仙台、石巻、福島で震度5を記録した。~(中略)~地震発生から30分~1時間経過した頃、突然三陸沿岸に23mから29m(綾里地区)の大津波が襲来したのである。~(中略)~流失船舶7303隻、流失家屋4972戸、死者行方不明者3064人という大惨事に発展する。(p.119)

●岩手県田老村(現在の田老町)では、明治三陸地震津波のときにも壊滅的な被害を出し、全人口の73.1%にあたる1875人が津波で死亡している。~(中略)~そして、田老町では津波災害を忘れないために、昭和三陸地震津波が発生した3月3日午前2時30分に毎年津波避難訓練を実施することにしている。(p.120)

●北海道南西沖地震の10年前の日本海中部地震発生時には、奥尻島から震源が離れていたこともあり、地震発生後約18分後に津波が襲ってきた。それを覚えていた人はかえって仇になってしまった。今度も津波が来るまで余裕があると思っていたのに、震源地の真上にあった奥尻は、地震発生後4分から5分という早さで津波が襲ってきた。過去の災害だけを教訓にするのではなく、常に最悪を考えなくてはならない。~(中略)~津波の死因の多くは溺死ではない。ほとんどが原型を止めないほどの打撲である。それは、石や材木と一緒に巻き込まれた結果である。津波警報発令を待っていては、逃げるタイミングを失ってしまう。(p.130)

●机上で考えた難しい理論やマニュアルよりも、いざというとき実践で役立たせるためには、標語にして優先順位を決めるべきと感じた。それからは出火したときの優先緊急行動4原則を決めた。出火したら…
1、知らせる
2、消す
3、助ける
4、逃げる(逃がす)
火が出たらまず「火事だ!」と、周囲の人たちに知らせることを優先する。(p.136)

●だから、火事発生などの際、人間が冷静に対応できないことを予め見越した対策が重要となる。対策のひとつとして、緊急時には「火事だ!」とあえて声を出すことをすすめる。声を出すことで、人間は落ち着き冷静さを取り戻すのに役立つ。ともかく何かトラブルが発生したら「知らせる」から始めてほしい。これが防災・危機管理の共通する優先順位なのである。(p.137)

●住宅火災では、知り尽くした自宅にもかかわらず、出口と反対の浴室やトイレの中に逃げ込み、結果として死亡につながるケースがある。それには3つの原因が考えられる。
1、一酸化炭素ガスにより、瞬間的に神経がマヒした場合
2、寝起きなどで覚醒していない、俗にいう「寝ぼけた」場合
3、突発的異常事態に恐怖に駆られてパニック状態心理に陥った場合
一酸化炭素ガスを吸い込むと、短時間で酸欠状態に陥り、運動神経や判断能力を失う可能性があり、また、「寝ぼけ」状態で引き起こす混乱も住み慣れた自宅で迷う原因となり得る。(p.141)

●「171」は、メッセージの録音と再生ができるようになっていて、被災地内は優先的に回線を生かすようになっている。災害直後は被災者の録音を優先して対応するシステムが働く。このメッセージの蓄積装置は全国50箇所に分散されているので、災害の影響や輻輳(ふくそう)を避けることができる。(p.149)

●午前11時58分、それは最初震度1~2の小さな揺れで始まった。昼食の支度をしていた人は「地震かしら」といったんは腰を浮かせたものの、揺れが小さかったので火を消すまでもない揺れだと思った。しかし、それは相模湾沖を震源とする関東大震災の始まりだった。小さな初期微動は1分ほど続いた。人々はそれが大地震の始まりになるとは誰も思わなかった。その小さな揺れが始まってから1分が過ぎようとしたその瞬間。今度はグォーッという地鳴りとともに猛烈な横揺れが襲ってきた。もう、歩くことも立つことも這うこともできなかったという。(p.176)

●机の下に潜ってしまっては危機管理センサーが働かなくなってしまうので、そうした観点からも机の下に潜るべきではない。どうしても落下物、家具の転倒、ガラスの散乱の懸念があるのなら、机の下に潜ることよりも潜らなくても済むように、家具や電化製品を固定し、ガラス飛散防止フィルムを貼ることを優先すべきである。「地震が発生したら、安全な場所に移動するか直ちに出入り口を開け、いつでも脱出できるようにする」と、今後防災のしおりは改めるべきである。(p.199)

●その中の「責任の分散」とは、自分1人しかいない場合、自分が助けなかったら責任は自分1人で負うことになるが、多くの人がいる場合は責任が分散し自分1人の責任ではなくなるということである。自分が行かなくても誰かが助けに行くだろうと思うことである。「評価懸念(聴衆抑制)」とは、1人であれば自分で自由に行動できるが、ほかに大勢の人がいるとその人たちの眼を気にして行動を抑制することである。「多数の無知」とは、「自分が助けに行くか」の判断をする前に、「他の人が助けないのは、今助けを必要としていない事態なのではないか」と考えること。つまり、他の人がどう考えているかのコミュニケーションが図られないため、勝手に緊急性を過小評価してしまうのである。(p.203)

●台風などによる停電時であれば「停電にはローソク」でよいのだが、地震直後は絶対火を使ってはいけないのである。阪神・淡路大震災で、停電していなかった地域でガスの匂いがしたので換気扇のスイッチを入れた瞬間、スイッチの火花で爆発したこともある。「匂いがしたら換気扇」も条件反射であるが、災害発生時は条件反射で動くのではなく、冷静な対応が求められる。ガスの匂いがしたら、元栓の遮断、火気使用禁止、同時に換気扇など火花が散るスイッチ類には手を触れないこと。そして、窓や出入り口を開け、外気を取り入れることである。~(中略)~復電火災は、避難して無人となっている家で電気が復旧したとき、コンセントに付けっぱなしの壊れた電気器具が発熱して出火すると推定されている。「地震だ、それ避難」「地震だ、それ非常ローソク」の条件反射行動でなく、ガスの元栓を閉めて、ブレーカを切り、戸締りをしてから隣人と一緒に避難すべきである。とっさの判断が生死を分けることになるのだ。(p.207)
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