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童門冬二著「上杉鷹山の経営学」
この本は、今から約20年前、1990年に出版されたものです。薦められて読んだ本ですが、非常に良い本でした。



●また、彼は、「絶望的な職場は譬えてみれば冷えた灰だ。しかし、その灰はの中をよく探して見れば、必ずまだ消えていない小さな火ダネがあるはずだ。その火ダネはあなた自身だ。その火を他に移そう。つまり灰のような職場でも、火ダネ運動を起こせば必ずその職場は活性化する。そしてその組織は生き返る」といった。(p.4)

●彼は18世紀に生きた封建時代の大名だ。ところが彼の考え方は、「大名やその家臣のために地域住民が存在しているわけではない。逆に、地域住民のために大名やその家臣が存在しているのだ」といい続けた。これは、企業経営になぞらえれば、「お客さんのためにわれわれは存在する」ということであり、政治や行政に則していえば、「国民や地域住民のために、役所や役人が存在するのだ」ということだろう。(p.4)

●生産品に付加価値を加えるということは、「品物を使う側や、サービスを受ける側の身になったとき、われわれが差し出すものは、はたして満足を得ているのだろうか。もっと注文があるのではなかろうか?」という疑問を常に持ち続けようということだ。(p.5)

●アメリカのジョン・F・ケネディ大統領が生きていたころ、日本人記者団と会見して、「あなたがもっとも尊敬する日本人は誰ですか」と質問されたことがある。その時、ケネディは即座に、「それはウエスギヨウザンです」と答えたという。~(中略)~上杉鷹山は、いまから220年ばかり前の米沢(山形県米沢市)藩主である。(p.14)

●経営改革を実行する過程で、鷹山は足もとの藩庁役人たちに、つぎのような方法をとった。
1 改革を妨げる壁は、3つあることを示したこと。そして3つの壁とは、
 ①制度の壁
 ②物理的な壁
 ③意識(心)の壁
2 改革とは、この3つの壁をこわすことである、と告げたこと。中でも、特にくわさなければならないのは、③の"心の壁"であることを強調したこと
3 このために、
 ①情報はすべて共有する
 ②職場での討論を活発にする
 ③その合意を尊重する
 ④現場を重視する
 ⑤城中(藩庁)に、愛と信頼の念を回復する
人材登用は誰でもやることだが、鷹山は特に、「職場の問題児」を登用した。「トラブルメーカーのほうが、イエスマンよりもよほどパワーを持っている」と判断したためであった。(p.17)

●そして、かれは、「徳」を政治の基本におき、それを経済に結びつけた。かれは単なる倹約一辺倒論者ではなかった。その証拠に、「生きた金」は逆に惜しみなく使っている。(p.19)

●つまりヒトのせいにすることが多い。が、鷹山の社員管理法は、「やる気のある者は、自分の胸に火をつけよ。そして、身近な職場でその火を他に移せ」ということであった。(p.19)

●上杉鷹山は、こういう時代に生きた。つまり、経済の高度成長と低成長の2つの時代を生きたのである。そして、田沼意次の国民の消費助長政策と、松平定信の緊縮政策の2つをじっとみつめていた。この状況と経済の中から、若き鷹山は独特な改革案を考え出したのであった。鷹山は、かつての将軍吉宗や宰相水野忠之による享保の改革や、最近の宰相松平定信をはじめとする徳川幕府の経営改革が、なぜ今まで成功しなかったのか、その理由を次のように考えた。
1 経営改革の目的がよくわからないこと
2 しかも、その推進者が一部の幕府エリートに限られたこと
3 改革をおこなう幕府職員にも、改革の趣旨が徹底していなかったこと
4 当然、改革の目的や方法が親切に国民に知らされずに、一方的に押しつけられたこと。つまり、国民の世論を喚起するためのPRに欠けていたこと
5 改革が進んで、徳川幕府が身軽になれば、当然国民の負担が軽くならなければいけないのに、逆に幕府は増税をしたこと。~(中略)~
6 改革を進める官僚は、すべてエリートであり、部下に対して、指示・命令としてのみ方法を押しつけたこと
こう分析した後に、もっと大きなことに鷹山は気がついた。それは、「改革の根本に優しさといたわり、思いやりがまったく欠けている」ということであった。(p.65)

●政府や企業が、経営改革をおこなう時には、当然それなりの理由がある。経済が高度成長から低成長に落ち込み、閉塞状況になって、税収が落ち、新しい仕事がやりにくくなった時に、必ず改革がおこなわれる。あるいは思い切って身を削(そ)ぎ、身軽になって、新しい仕事に集中するために、古い仕事を切り捨てるというようなことがある。そのために、組織を縮小し、人員を減らし、経費を切り詰めるというのは常套手段である。~(中略)~国民やお得意さんのためにおこなう変革は、日々、日常業務の中でおこなわれなければならない。~(中略)~しかし、それは、経営改革とか行政改革とか、鳴り物入りで誇大に宣伝して仰々しくおこなうことではない。地道にコツコツとその当事者が、自分たちの生活を成り立たせてくれている人々のために、誠心誠意でおこなうべき日常業務のはずである。それぞれの職場において、そこの成員が、討論と合意によって案を生み、より良い方法を、日常業務として実現していくことが、真の経営改革なのだ。~(中略)~上杉鷹山は、こういう点に着目した。そして、今までの幕府が改革に失敗したのは、「すべて、民と社員に対する愛情の欠如だ」と思うようになった。「改革は、愛といたわりがなくてはならない」というのが、鷹山の経営改革の底にすえるべき基本理念であった。たとえ財政再建のための行政改革、経営改革であっても、その対象となる人々への愛といたわりがなくては決して成功しないということを、17歳の彼は感じ取ったのである。(p.66)

●人の世の中は、何を言っているかを大切にすべきであって誰が言っているかは問題でない、ということを十分私も知っている。しかし、人は悲しいものだ。必ずしも理屈通りにはいかない。やはり、誰が言っているかによって、大きく左右される。(p.71)

●鷹山は、人間が、何でも、すぐ、「これかあれか」あるいは、「俺が正しいか、お前が正しいか」というような短絡思考で物事を決めることを好まなかった。彼の頭脳はもっと柔軟であった。世の中のことはすべて二者択一ではなく三者択一であり四者択一であり、あるいは五者択一の場合さえあると思っていた。選択肢は無限にあるのである。その中から一番良いものを選ぶ、あるいは次善のものを選ぶ、それが人間ではないかと思っていた。そうしなければ、人々は常に争い続け、何ら得るところがなく力を費やしたまま終ってしまうからである。(p.73)

●だから鷹山が藩士たちに話したことは、別な言葉で言えば、
○何がしたいか
○どこまで出来るか
○なぜ出来ないか
○どうすれば出来るか
もっと言葉を変えれば
○理念・目的の設定
○限界の認識
○障害の確認
○可能性の追求
ということになろう。(p.79)

●「朝令暮改はけしからんとお前は言ったが、たしかにそういう解釈もあろう。しかし、私は誤って改むるに憚ることなかれ、という中国の古語を信じている。私は誤ったのだ。だからすぐそれを改めたい。憚らないわけではないが、さっきの決定は、禍根を残す。したがってやはり例外を作らないような方針で改革を実行したい」(p.95)

●これだというのは、この残った火が火種(ひだね)になるだろうと思ったからである。火種は新しい火をおこす。その新しい火はさらに新しい火をおこす。その繰り返しが、この国でも出来ないだろうか、そう思ったのだ。~(中略)~そのためには、まず、お前たちが火種になってくれ。そしてお前だちの胸に燃えているその火を、どうか心ある藩士の胸に移してほしい。城に着いてからそれぞれが持ち場に散って行くであろう。その持ち場持ち場で、待っている藩士たちの胸に火をつけてほしい。その火が、きっと改革の火を大きく燃え立たせるであろう。(p.104)

●しかし鷹山は、「先例に背くことが私の改革の第一歩であるということはすでにお前たちもよく知っているはずだ。改革を進めるのは、実に現場の人間たちである。その現場の人間たちに改革の趣旨や目的を説明しないで、何で改革を進めることが出来よう。今回の改革も、足軽たちが主力になって進めるものである。そういう層に、キチンとした説明をしておきたい。どうか私のわがままを許してほしい。足軽たちも呼んでほしい」と言って譲らなかった。(p.107)

●そのために、鷹山自身も自己開発して小さな自分を少しでも大きくするように日々努め、みんなの能力に追いつくように努めると誓ったこと。および一日も早く藩の実態を知り、みんなの気持を知るようにすると誓ったこと。そのために、次のように話した。~(中略)~各持ち場では、その持ち場における討論を活発にしてもらいたい。身分の上下に拘らず、思うように意見を言い合えるような職場づくりに勤(いそ)しんでもらいたい。また、そこで働く人びとも身分や年功や、経歴や、年齢などを気にすることなく、これが領民のためになると思うことは、遠慮なく言ってもらいたい。そして、そこで合意されたいい意見は、組織を通じて、必ず私の手許まで上がってくるようにしてもらいたい。(p.110)

●このほかにも鷹山は、老人、病人、子供、妊婦、及びこれに準ずるような弱い人たちの福祉を重視した。しかし、その福祉も、いきなりそのすべてを藩財政で負担することはできなかった。そこで鷹山はこれらのことを
1 自ら助ける。すなわち自助
2 互いに近隣社会が助け合う。互助
3 藩政府が手を伸ばす。扶助
の三位一体でおこなうことにした。(p.118)

●鷹山の人間管理の原則は、「してみせて、言って聞かせて、させてみる」というものであった。何につけても理屈だけではない、よくその趣旨を説明し、趣旨を分かってもらったところで、今度は自分が実行してやってみせる、手本を見せてそれに従わせるというのが鷹山の方針であった。そして、自分に出来ないことは、正直に自分の限界を示し、出来る者に協力してほしいと頼むのである。(p.129)

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