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竹内慎司著「ソニー本社六階」
大学の研究室の先輩・同級生・後輩でもソニーに行った人はいますし、会社の同期でもソニーに転職した人がいます。「こんな会社なのかなぁ」などと思いつつ、「どこの会社も同じような側面があるなぁ」などとも思いながら読み進めました。


●この8階建ての建物には、各階に経理、財務、広報、IR(投資家対応を行う部署)などの本社機能が集約されており、一番上の7階と8階が役員のフロアになっている。そしてその真下、すなわち6階にあったのが私の古巣、「経営企画部」である。~(中略)~そしてトップの権威を背景に、事業部門に様々な情報の提出を要求することなどから、経営企画部はいつしか社内で隠語的に「六階」と呼ばれるようになっていた。(p.8)

●雇用の保障がない外資系の証券マンたちは、組織を利用することはあってもそれに頼ることはない。いわば一匹狼である。人の流動性も高く、常に外から新しい"血"が供給される。こうした人々は自力で人生を切り開いていかなければならないため、人を疑うことも知っており、洗脳、扇動もされにくい。世間擦れしているともいえるが、間違いなく生命力はある。(p.12)

●「日本人の『ゆかしい』部分は大変素晴らしく、日本人の美質だと思う。諸外国にはあまりそういう美質はない。しかし、だからこそ、それは日本人の弱点として諸外国からつけ込まれる原因となっている。つまり、日本人が『お人好し』であることをいいことに、散々利用されてしまう」週刊誌の連載で見かけた作家・井沢元彦氏の言葉だ。「ボジョレー・ヌーボーは酸味が強く、フランス本国では安い値段でしか売れないワインだったが、日づけが変わるのが早い日本の市場を狙って"解禁日"なるものを謳って売り出したところ、高値で大量にはけるようになった。まさにマーケティングの妙だ」こう語ったのは、ソニーの欧州本部に勤めるフランス人幹部だった。(p.69)

●さしてありがたくないものを、ありがたいもののように思わせることで関心を引きつけるというのは、疑うことが苦手な日本人の性質をうまく捉えた賢い戦略で、フランス人に一本、といったところだろう。毎年ボジョレー・ヌーボーの解禁と"例年以上のでき"について伝えるニュースを見るたびに、このフランス人幹部の言葉を思い出す。(p.70)

●外国の企業を高値で買ったうえに、その会社のマネジメントに好き放題をやられてしまった日本企業はソニーばかりではない。ソニーの場合、映画会社を買った後、占領軍のようにふるまってはいけないといって放任したのだが、これは日本人にありがちな性善説の発想である。日本人であれば、自分が信頼の意を表せば相手もそれに応えてもらえると考えがちだが、これは実に危険なことである。(p.70)

●かつてソニーの本社に在籍していたアメリカ人のA女史が、ある時両腕を大きく広げて大きな荷物を抱える仕草をしながら、「うちのマネジメントはイーゴー(ego:自尊心)が大きすぎる。その大きさといったら会議室のドアを通れないくらいだ」といっていたのを思い出した。(p.94)

●このA女史はまた、「日本人には共産主義がぴったりだ。共産主義が日本で始まっていれば成功しただろう」といったことがある。これは、画一的でマニュアルに従いやすく、個よりも集団を重んじる我々日本人の性質を皮肉った発言である。かつて日本で共産主義が弾圧されたのは、ときの為政者が日本人の国民性にぴったりはまる共産主義の思想が広まることを警戒したためだろうか。マニュアル通りできない国民よりはよほどいいだろうとも思ったのだが、たしかに日本人の集団志向には全体主義に染まりやすいという危うい面もあるのかもしれない。組織の中の結束や"和"を重んじるあまり、秩序を乱す要因には過剰なまでに反応する。"村八分"などという言葉は欧米には存在しないし、欧米人には理解できないコンセプトだろう。(p.95)

●広報部門は当然、経営陣にとって都合の悪い情報はあまり流さない。投資家への情報開示が優れているとして証券アナリスト協会から表彰されたことは社内報で大々的に報じられても、傘下の映画会社の赤字を隠していた(レコード会社の利益と相殺することで実態を見えなくしていた)ことでアメリカの証券取引委員会(SEC)から百万ドルの懲罰金を受けたことが大きく報じられることはない。(p.98)

●「社長の権限は絶大だ。権力者の地位は心地よく、期限を区切らなければ暴君と化すのは歴史を見れば明らかだ。周辺が権力にモノ申せなくなるのも6年ぐらいだろうと思っていた」2004年に、公約通り6年で社長交代を発表した伊藤忠商事の丹羽前社長の言葉である。また丹羽氏は、院政を敷くことがないように代表権は1年以内に返上する意向を明らかにした。ここまで自らを律することができる人は少ないだろうが、日本人の国民性を考えると、これくらいの人物が社長職に就くのが望ましいのかもしれない。(p.99)

●稟議の目的は責任の分散、あるいは曖昧化といわれるが、より上位の者が承認することで、下位の者が免責されるようなところがある。ソニーの場合、こうした逃げ道が、独裁色の強いマネジメント下で、一種のモラルハザードを引き起こしていたのだ。このモラルハザードの代償は、大きな経済的損失だけではなかった。新たな投資は新たな雇用を創出し、プロジェクトに関わる人々のキャリアにも少なからず影響を与える。失敗に終わったプロジェクトは、数多くの人々のキャリアや雇用に深刻な影響を与えた。(p.109)

●株主から経営を委託されている立場の経営陣が自らオーナーであるかのごとくふるまい、社員は株主の利益よりも経営陣の名誉を守ることが使命だと心得てしまうのは、儒教思想の影響が強い日本の企業に共通して見られる現象なのかもしれない。(p.166)

●それはさておき、EVAというのは、事業で使用している資本に対して、その提供者である投資家が求める水準の利益をあげられているか、すなわち企業価値を生み出しているかを測る経営指標で、海外では米国のコカ・コーラやドイツのシーメンス、国内では花王がいち早く導入した。充分な利益をあげていない、そして、将来においてもあげる見込みが立たない事業は、経営の変革や撤退といった対策が検討される。(p.171)

●ソニーでは、信賞必罰のなさが組織全体に蔓延しているように感じられる。事業計画を達成できなかった事業部門長がその責任を問われずに済まされることも珍しくなく、黒字化や累損一掃の計画が達成できなかった新規事業の責任者が、業績評価の指標が自分の事業には合わないなどと言い訳をして平然と居座ったりする。(p.214)


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