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樋口泰行著『「愚直」論』
何日も前に読み終えていたのですが、出張やら何やらでアップがかなり遅れてしまいました。実はもう1冊、読み終えている本もあるのですが。。。

さて、この本が書かれた2005年は著者の樋口さんは日本HPの社長さんでした。ちなみに今は日本マイクロソフトの社長さんです。2005年以前の経歴はといえば、1980年:松下電器産業(溶接機事業部)、1991年:ハーバード大学大学院(MBA)、1992年:BCG(Boston Consulting Group)、1994年:アップルコンピュータ、1997年:コンパックコンピュータ、2002年:日本HPと合併、となっています。すごいですねぇ~。




●人間の成長は「熱意」と「経験」の掛け算で決まる。数多くのビジネスの現場で、プレッシャーを感じながら、どれだけ苦しんだり考えたりしてきたか。その経験が自己成長を加速させるのである。(p.14)

●たとえば、松下電器産業で技術者をしていた頃、技術留学を希望する私にMBA(経営学修士)留学を勧めてくれたのは尊敬する上司であった。~(中略)~ハーバード・ビジネススクールのMBA取得を経て、ボストンコンサルティンググループ、アップルコンピュータ、コンパックコンピュータと外資系企業を歩み続け、45歳のときに日本ヒューレット・パッカードの社長職を務めることになった。(p.17)

●私が松下電器に入社したのは1980年4月。845人の同期入社のうち、約700人が私のような技術系である。「導入教育」と呼ばれる8カ月間の研修期間が終わり、私が配属されたのは溶接機事業部であった。(p.21)

●日々の仕事は予想以上にきつかった。朝出社すると、つま先に鉄芯の入った重たい安全靴を履き、通常の作業着の上になめし革製の分厚い防護服を着る。さらにその上に、革地のエプロンを着ける。~(中略)~完全武装すると、さながら宇宙飛行士のような外観になる。慣れるまでは工場内を歩くだけで体力を消耗する。とくに夏場は蒸し風呂にいるような状態だ。~(中略)~眼鏡を買い替えるための「眼鏡手当」が支給されていたほどだ。~(中略)~夜帰宅してからも、昼間見続けたアークの閃光で目が焼け、涙がこぼれて眠ることができない。(p.24)

●この時期に私を支えてくれたのは、導入教育のときにある幹部の方が話してくれた一つの言葉であった。「T字型人間になれ」すなわち、T字の縦棒(強みとなる領域の深掘り)と横棒(幅広い知識や人脈)をバランスよく伸ばすことが社会人としての成長につながるという考え方だ。(p.29)

●IBMとの会議は、まず前回の会議の論点整理や宿題の確認から始まる。続いて、その日の議題を参加者全員で共有し、終了時刻を確認し、それから議題の検討が始まる。そして、終了時刻が近づくとメンバーそれぞれに宿題が割り当てられ、定刻にピタリと終わる。一方、私が経験していた日本企業との会議は、参加者が揃うと何となく話が始まり、何となく終わる。会議の目的が必ずしも明確ではなく、話が進んでいるのかどうかわからないこともある。前回の会議で討議済みのテーマが蒸し返されることもある。会議中に新たな課題が持ち上がったとしても、担当者が割り当てられなかったりスケジューリングが曖昧なまま、課題がどんどん積み上がっていくこともあった。(p.40)

●会社が繁栄して成長していくにしたがって、社員の数も増えていく。そのときに、一人ひとりの価値観がバラバラだと、組織の求心力は失われてしまう。「ピラフ」のように一粒一粒が離れているので、ベクトルを揃えて仕事を進めることができない。組織は「ピラフ」ではなく、「おにぎり」を目指さなければならないのだ。(p.42)

●マサチューセッツ州の古都ボストンは、よく日本の京都に喩えられる街である。米国がイギリスの植民地13州と見なされていた頃からの歴史を持ち、街をあげて歴史的な建物や史跡の保存を行っている。ニューヨークやシカゴなどの超高層ビルとも、西海岸の陽気な空気とも無縁な、落ち着いた佇まいの街である。その中でもボストンの郊外、チャールズ川を挟んだ南北のエリアに位置するハーバード大学の周辺は、植民地時代の面影を色濃く残す低層の建物で囲まれている。(p.62)

●そのエリアの中核をなすハーバード大学は、1636年、牧師のジョン・ハーバードによって設立された。清教徒の乗ったメイフラワー号が新天地アメリカに到着したのは1620年。そのわずか16年後に設立された全米最古の歴史を持つ私立大学である。(p.63)

●私は、アメリカに来て数日しか経っていないのに、欝(うつ)に近い状態に陥ってしまった。かび臭い自分の部屋にこもって何度も後悔した。「30歳を過ぎてから英語を覚えようとしても無理なのだろうか」とか、「一番厳しいハーバードではなく、やはりMITのほうが自分に合っていたのではないか」など、後ろ向きの感情と独り向き合っていた。日本語の通じる日本食レストランまで一人で出かけて、酔いに身を任せる回数がしだいに増えていった。(p.67)

●しかし、毎日ケース・スタディをこなすうちに、与えられた情報、与えられた時間の中でベストの判断をする大切さを痛感した。知りたい情報がすべて手に入り、時間も無限にある、という状況はビジネスの世界にはありえない。その意味で、現実的なスタイルに転向できたことは大きな実りである。(p.84)

●先生はよく「ビッグ・ピクチャー(大きな絵)」という言葉を象徴的に使っていた。単にその分野の専門家としてではなく、経営者としての高い視点から問題の意味を捉えなければならないということだ。企業活動においては、部分最適よりも全体最適が求められる。(p.84)

●この世の中に理想的な職場など存在しない。どのような職場にも人間関係のしがらみがあり、きつい仕事が待っている。それを好転させるのは、自分自身の心の持ち方ではないだろうか。どのような仕事でも、一生懸命に頑張ればやりがいが生まれる。後ろ向きの理由で逃げ出していては、決して成長することはできない。(p.96)

●極論をいえば、現場の気持ちがわかることは必ずしもコンサルタントに求められていない。むしろ、既存のしがらみに囚われずに、純粋理想的な提案を聞きたいという経営者も多いのだ。「理想型を教えてくれ。現場にどう落とし込むかは我々自身で考えるから」といった要望である。(p.105)

●会議の内容はまったく頭に入らない。それどころか、しだいに息苦しくなり、視界の端が曇り、発言者の声が遠くなっていった。顔や手足のしびれにも襲われた。椅子に座ったまま、私は失神してしまったのである。ほどなくして救急車が到着し、私は近くの病院に担ぎ込まれた。医師からは、過労とストレスからくる「過換気症候群」と診断され、数本の点滴を受けた。点滴が終わると、私は病院を飛び出してまた仕事場に戻った。(p.107)

●当時、アップルの日本法人は、東京の国立競技場近くの先進的なデザインのビルに入居し、250人ほどのスタッフを抱えていた。~(中略)~私が2ヵ月間の米国研修から戻ってきて言い渡された役職は、プロダクトマーケティング本部ニュープロダクト部の部長だった。~(中略)~私の部下は5人前後。仕事の量に比べて人数は少なく、慢性的に人手不足だった。(p.122)

●英語力もない、交渉力もない私が、徒手空拳で臨んだ米国本社との折衝であった。私はこの体験を通して、大きな勉強をさせてもらったと思う。価値観や立場の異なる人たちを動かすのは、ロジックやファクトだけでは十分でない。どれだけ熱い言葉で語れるか、それがもっとも大事となる。信念に裏打ちされた言葉、日々の努力が凝縮したような言葉を、誠意を持って相手に伝え続ける。それが価値観や立場の壁を越えて、時には言語の壁を越えて人を動かす。(p.148)

●たとえば、HPにはMBO(Management By Objective=目標管理)という考え方がある。通常の目標管理のように見えるが、目標の設定それ自体と、達成のための手段を社員に任せてしまう、いわば権限移譲に近い考え方だ。パッカードいわく「人々には、各々の担当領域にとって最適と思えるやり方で、目標に向かって努力する自由がある。これは分権化の理念であり、自由企業の本質である」。(p.163)

●この「HPは社員によって成っており、両者は共有関係にある」という考え方は、数々の先進的な制度の導入にもつながった。1940年代に医療保険制度を取り入れたのもHPが米国産業界での走りである。また、自分で働く時間帯を選べるフレックス勤務制度を米国企業として最初に採用したのもHPだ。(p.164)

部下たちは、上司の言動を観察している。そして、上司を見習いながら、あるいは上司の言動に共感しながらチーム内のコミュニケーションにも反映させていくのである。(p.170)

●もう一つ、大変なことに気づいた。日本HPの社員は約6000人。私がこれまでに受け持った部下の人数は、ISサーバ本部の30人が最大である。6000人組織の管理など想像もつかない。(p.177)

●朝8時前後に出社すると、会議や顧客訪問に追われる1日が始まる。~(中略)~夜はほとんど会食が入る。土日も会議や取引先とのゴルフで埋まり、休日は月に1回取れるかどうかである。~(中略)~会議やミーティングの合間をぬって、飛び込みの打ち合わせやデスクワークをこなす。隙間時間ができたときは、とくに用事がなくても社内を歩き回る。いわゆる「マネジメント・バイ・ウォーキング・アラウンド」である。現場から上がってくる情報に頼っていては意思決定の精度は上がらない。経営トップ自らが現場に下りていき、知識や情報を獲得する姿勢が必要だろう。(p.186)

●米国の優れたテクノロジーを日本に持ってくるだけで、たやすく売れた時代は過去のものとなった。ましてや箱の性能を語るだけで売れるわけがない。顧客のビジネス・ニーズをきちんと理解して、それをITインフラにどう落とし込むかという提案のできる「ソリューション志向」の強い営業に変えていかなければならない。その意味で、顧客との接点にいて、顧客の声を代弁する営業部門の発言力が弱い会社は、早晩淘汰されるだろう。(p.191)

●会社は様々な人によって構成されている。論理的でない人もいれば、上司の顔色を窺(うかが)って仕事をしている人、面倒くさいことを避ける人、自分勝手な意見を押し通そうとする人など、仕事を進めていく過程で障害となる人に数多く出会うだろう。顧客や取引先との関係も同様である。しかし、自分とタイプが異なる人と接したときに、単に避けていては仕事が前に進まなくなる。むしろ、仕事を完遂できるかどうかの一番のポイントは、そうした困った人たちへの対処法にあるといっても過言ではない。様々なタイプの人と上手に付き合うには、何よりも経験がものをいう。そのためには、できる限りたくさんのタイプの人と接して、相手を理解しようと努めることが大切だ。(p.209)

●対人関係は誰もが苦労する。しかし。面倒な相手に出会った際には「しめしめ、データベースにない人間と遭遇した。対処法を蓄積するチャンスだ」と思うぐらいの気構えでいたほうが良い。若い頃はとくにそうだ。目の前に障害として立ちはだかっている人と同じタイプの人間は、今後の人生で何度も目の前に現れる。できるだけ多くの人と接して人間同士の格闘を経験したほうが、ビジネスパーソンとしての成長は早くなる。(p.210)
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