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中西輝政著「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」
この本、ずいぶんと前に読み終わっていたのですが、まったくテキスト化する時間が取れていませんでした。(それは言い訳で、疲れて寝てしまう日が続いていたというのが本当の事です。。。)



●そもそも歴史の評価というものは、時代によってめまぐるしく「善玉・悪玉」が入れ替わるものです。私は、近代には「歴史観は60~70年周期で大変動する」という持論を有していますが、ヨーロッパ近代を持ち出すまでもなく、まずお隣の中国などでは、古代から、王朝が交代するごとに前王朝が「悪玉扱い」されてきました。歴史には、現体制を正当化するためのもの、という側面が多分にあるからです。(p.31)

●これは1980年代に公開されたアメリカ側の史料でわかったことなのですが、実は、日本占領にあたって、アメリカは、日本占領にむかう軍人に対し非常に徹底した教育を施していたのです。その中には、「子どもたちがいたら、積極的にチョコレートやチューインガムをやりなさい」という指導まであった。だから、あれは必ずしも自発的なものではなかったのです。「紳士で気前がいい」からGIがぽんぽん物をくれたわけでは決してなくて、あれは、「アメリカの民主主義がいかに素晴らしいか」という一種の宣伝行為だったのです。(p.33)

●けれども、途中までしか行かずに戻ってきていいかげんな嘘の報告をした兵は、生き延びる。これが戦場の現実です。良くも悪くも利己主義で、いわゆる「要領がいい」人間でないと生き残れない。そしてそのことを生き残った兵たちは、後ろめたい思いを込めて、みな知っているわけです。~(中略)~だから、自分が生き残ったことを恥じ、自らを責めざるをえない。~(中略)~なかには、それを忘れようとして、無我夢中になって仕事や商売に熱中しようとした人たちもいました。戦後日本の経済人の「モーレツ主義」の根の一つはここにあったのです。(p.68)

●1920~30年代のイギリス社会でも、「真面目はアホの代名詞」という言葉が流行り、イギリス人の精神は大きく劣化してゆきました。しかしイギリスの場合、続いて起こった第二次大戦によって、そうした精神は「試練のとき」を迎えることになり、イギリスは立ち直りました。(p.69)

●当時、列強各国が生き残りのために採った方策は、いまでは考えられないほど奇策だらけでした。一番驚くのは、アメリカの採ったニューディール政策(1933~)です。自由主義経済を国是とする国なのに、政府が中心になって、あちこちにダムを造り、道路を造り、無理やり需要を創出して雇用を拡大するという、いまの日本の道路行政なんか問題にならないほどの、いうならば「田中角栄も真っ青」の全体主義的経済-あるいはコマンド・エコノミー(指令経済)というのでしょうか、当時の言葉では「混合経済」といっていますが-に踏み切っているのです。しかも、福祉にどんどんお金を出している。これもアメリカらしくない。このときは、半分社会主義みたいな方向へアメリカは行ってしまったわけです。(p.113)

●日本人であれば、契約は守らなければならない、条約は守らなければならない、時間に正確でなければならない、仕事は誠実に行わなければならない、さらには、苦しいことがあっても法律やルールはなるべく守って耐え抜かなければならない、嘘をついて「心の潔さ」を汚してはならない……と、こう考えます。こういう「人生哲学」は、やはり日本文明にとくに強く受け継がれた「こころ」の美学に関わるものなのです。(p.134)

●ところが、中国人の場合、根底に、中華思想からくる1000年以上も前に発する侮日感情があります。加えて、契約や約束などは自分たちの都合に応じていかように変えてもかまわない、という哲学を持っている。「大人(たいじん)の風格」「君子は豹変す」などといわれるものです。ですから、条約や協定の順守にこだわる日本人は「小日本(シャオリーベン)」ということになってしまう。「たしかに約束はしたけれど、状況が変わったのだから」、約束も反故(ほご)にして当然なのに「守れ、守れ」の一点張りとは、なんと"ケツの穴の小さいことよ。それこそ不当な言いがかりだ"という意味を込めての日本人への悪口です。日中間で対立が生じると、それを何とか解決しようとして努力すればするほど、この構図がより深刻に浮上することになる。おそらく、この文明の「反転構造」の対極性は、日本と西欧、あるいは中国と西欧の間におけるよりも甚しいものがある、と言ってもよいでしょう。(p.135)

●では、それだけ優れた聖徳太子の対中アプローチがあったのに、なぜ大正の日本人、昭和の日本人は簡単に忘れてしまったのでしょうか。やはり、根底には、「西欧に対するコンプレックス」があったのだと思います。~(中略)~けれども、中国人自身には、昔も今も、「アジアの連帯」に魅力を感じたり、そもそも自らを「アジア」に同一化したい、という欲求など微塵もありません。というのも、中国人は欧米にコンプレックスなど少しも感じていないからです。つねに「中国は、世界に冠たる中国」なのです。(p.151)

●実は、現在、世界の大多数の国は、君主のいない共和国になっています。~(中略)~現在は、君主国の数はわずか26カ国。その多くが、人口数百万程度のヨーロッパの国です。人口が3000万を超える君主国は4カ国しかありません。人口の少ない順から言うと、人口約3900万のスペイン。約5800万のイギリス(ヨーロッパでは君主国として人口最大)。続いて、約6200万のタイ。そして、1億3000万近い人口を擁する「世界最大の君主国」、日本となるわけです。(p.158)

●ほんの短い間でも共和制を経験しているという意味において典型的なのは、イギリス(グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国)です。イギリスでは、1640年代に議会と王室が内戦を起こし、10年にわたる大戦争で何十万という犠牲者を出した末に、クロムウェル率いる議会軍が王朝軍を破り、1649年、国王チャールズ一世を処刑して、共和制を宣言しています。よく知られる「ピューリタン革命」です。(p.159)

●どうしてそうなったかというと、話は、英国国教会を立ち上げたヘンリー8世の娘、エリザベス1世に遡ります。1558年、25歳で王位に就いて以来、「スペイン無敵艦隊」の襲来も退け、一生独身のまま、近代イギリスつまり大英帝国の礎を築いた、あの女王です。生涯独身だったので、「処女王(バージン)」と呼ばれ、アメリカの「バージニア州」の名前の由来も彼女です。(p.168)

●しかし、日本の天皇だけは、それらとはまったく異なる、まったくユニークな第3のタイプの君主といえます。姓を持たない唯一の君主だからです。姓を持たないということは、まったく王朝が交代していないことを意味します。ということは、ひたすら先祖を遡っていくとどうなるのか。神話にたどり着くほかないわけです。(p.170)

●現在でも、剣と玉(璽)は、天皇皇后両陛下の寝室の隣にある「剣璽(けんじ)の間」に奉安されています。鏡は後でも触れますが、宮中三殿の賢所に御神体としてお祀りしてあります(ただし、記紀の時代より、鏡の本体は伊勢神宮に、剣の本体は熱田神宮に祀られていて、天皇が承継している鏡と剣は「分身」ということになっています)。さらに、天皇が一泊以上の行幸をされる場合は、いまでも専用列車にも宿泊先にも「剣璽の間」を設け、神器を「動座(どうざ)」させます(戦後しばらく剣璽動座は取りやめになっていましたが、30年ほど前から復活しています)。(p.173)

●現在の皇室経済は、敗戦後、マッカーサーによって皇室財産をすべて取り上げられる(国庫に納入させられる)ところから始まっています。そして、皇室費の運用は、すべて国会の統制下に置かれています。憲法第88条で「すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない」と規定されたためです。(p.197)

●あるいは、「騙(だま)すより騙されろ」という言葉にも、日本人には大変、心惹かれるものがあります。ですから、親が子どもにそう言ってしつけているのを見ます。しかしこれは、日本にしかないフレーズです。~(中略)~あるいは、インド文明圏の友だちにも何度か尋ねましたが、答はもっと露骨でした。「騙されるより、騙せでしょう。そう教えないと、子どもは生きていけないですよ」。インドにしろ、アラブ世界にしろ、生存競争の厳しい世界では、西洋キリスト教圏のような偽善を嫌うわけです。ですから、「人は必ず騙す。人の言葉を信用してはならない。騙されるよりは、先に騙せ。これが生き残る術(すべ)であり、神がわれわれに望み給うものである」というのが「この世の真実」とされるわけです。実は、世界のほとんどはそういう文明なのです。(p.250)
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