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P.F.ドラッカー著「マネジメント 基本と原則」
Title: Management
Sub Title: Tasks, Responsibilities, Practices
Author: Peter F. Drucker

この本を読み終えるには、非常に長い時間がかかりました。また、Blog用にテキスト化するのにも、非常に長い時間がかかりました。この記事は、何度か読み返して、その都度理解を深める必要がありそうです。


●私のマネジメントとの関わりは、第二次大戦中、当時の最大最強の自動車メーカーGMでの調査に始まり、アメリカの大手鉄道会社と病院チェーンへのコンサルティング、カナダの政府機関再編への協力、日本の政府機関、企業への助言と進んでいった。それらの経験が私に教えたものは、第一に、マネジメントには基本とすべきもの、原則とすべきものがあるということだった。(p.i)

●全世界は、たとえ政治的には分裂していようとも、需要、欲求、価値の観点からは一つのショッピングセンターとなっている。したがって、国境を越え、生産資源、市場機会、人的資源を最適化すべくグローバル化することは、必然的かつ正常な対応である。(p.5)

●マネジメントには、自らの組織をして社会に貢献させるうえで3つの役割がある。~(中略)~
①自らの組織に特有の使命を果たす。マネジメントは、組織に特有の使命、すなわちそれぞれの目的を果たすために存在する。
②仕事を通じて働く人たちを生かす。現代社会においては、組織こそ、一人ひとりの人間にとって、生計の資(かて)、社会的な地位、コミュニティとの絆を手にし、自己実現を図る手段である。当然、働く人を生かすことが重要な意味を持つ。
③自らが社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題について貢献する。マネジメントには、自らの組織が社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題の解決に貢献する役割がある。(p.9)

マネジメントは、常に現在と未来、短期と長期を見ていかなければならない。存続と健全さを犠牲にして、目先の利益を手にすることに価値はない。逆に、壮大な未来を手にしようとして危機を招くことは無責任である。(p.10)

●これに対し真のマーケティングは顧客からスタートする。すなわち現実、欲求、価値からスタートする。「われわれは何を売りたいか」ではなく、「顧客は何を買いたいか」を問う。「われわれの製品やサービスにできることはこれである」ではなく、「顧客が価値ありとし、必要とし、求めている満足がこれである」と言う。(p.17)

●いかなるマネジメントといえども万能ではない。収益が見込める事業すべてに進出すべきであるとはかぎらない。いかなるマネジメントにも能力と限界がある。したがって、それぞれの企業とそのマネジメントに特有の能力を活用し、特有の限界をわきまえることも、生産性を左右する。(p.20)

●しかし実際には、「われわれの事業は何か」との問いは、ほとんどの場合、答えることが難しい問題である。わかりきった答えが正しいことはほとんどない。「われわれの事業は何か」を問うことこそ、トップマネジメントの責任である。(p.23)

●特に良質の人材と資金を引き寄せることができなければ、企業は永続できない。産業全体として見ても、その衰退の最初の徴候は、有能でやる気のある人間に訴えるものを失うことである。アメリカで鉄道が衰退したのは第二次大戦後ではない。~(中略)~実際の衰退が始まったのは第一次大戦のころからである。第一次大戦前には、技術系の有能な若者が鉄道に職を求めていた。ところがやがて、理由は何であれ、鉄道は、技術系にかぎらず、いかなる分野の高学歴の若者にも魅力のない職場になってしまった。(p.32)

●生産性の向上こそ、マネジメントにとって重要な仕事の一つである。困難な仕事の一つである。なぜならば、生産性とは各種の要因の間のバランスをとることだからである。しかもそれらの要因のうち、定義しやすいものや測定できるものは少ない。(p.34)

●何もかもできる組織はない。金があっても人がいない。優先順位が必要である。あらゆることを少しずつ手がけることは最悪である。いかなる成果もあげられない。まちがった優先順位でも、ないよりはましである。(p.36)

●公的機関不振の原因としてよくあげられるのが、次の3つである。①企業のようにマネジメントしていない。②人材がいない。③目的や成果が具体的でない。
いずれも弁解にすぎない。①まず公的機関は、企業と同じようにマネジメントすれば成果をあげられると、くどいほど言われてきた。これはまちがいである。~(中略)~公的機関不振の原因は、まさにそれが企業でないところにある。公的機関において企業のようにマネジメントするということは、単にコストの管理を意味するにすぎない。公的機関に欠けているものは、成果であって効率ではない。効率によって成果を手にすることはできない。あらゆる組織にとって、効率は必要である。~(中略)~だが公的機関の問題の根本は、コスト意識の欠如にあるのではない。成果をあげられないことにある。効率のよい公的機関もあるかもしれないし、現にいくつかある。しかし公的機関の問題は、なすべきことをしていないところにある。(p.44)

●公的機関と企業の基本的な違いは、支払いの受け方にある。企業は顧客を満足させることによって支払いを受ける。顧客が欲しているもの、代価を払う気のあるものを生み出したときにのみ支払いを受ける。企業においては、顧客の満足が成果と業績を保障する。ところが、公的機関は予算によって運営される。成果や業績に対して支払いを受けるのではない。収入は、活動とは関係のない公租公課による収入から割り当てられる。(p.45)

●このことは企業内サービス部門についてもいえる。成果に対する支払いは受けない。しかも通常、顧客たる他部門のマネジメントがスタッフ部門をどの程度利用するかによって支払いを受けるのでもない。支払いは、間接費すなわち予算から受ける。そうせざるをえない。企業内サービス部門は、公的機関と同じ性格を持ち、同じ行動をとる。(p.46)

●成功は愛着を生み、思考と行動を習慣化し、過信を生む。意味のなくなった成功は、失敗よりも害が大きい。(p.49)

●単一の作業よりも、いくつかの作業を組み合わせたほうがよく働ける。それだけでなく、人は同じスピードとリズムで働くことに適さない。スピードとリズムを変えるとき、よく働ける。しかも、あらゆる人にとって共通のスピード、あるべきリズムというものはない。スピード、リズム、持続力は、人によって違う。~(中略)~仕事は均一に設計しなければならないが、労働には多様性を持たせなければならない。スピード、リズム、持続時間を変える余地を残しておかなければならない。仕事の手順も頻繁に変えなければならない。仕事にとって優れたインダストリアル・エンジニアリングであっても、人にとっては最悪のヒューマン・エンジニアリングとなる。(p.58)

●人と労働のマネジメントに関する文献は、少なくともその数では、経営科学やコンピュータに関する文献にひけをとらない。それらのうちもっとも読まれ、もっとも利用されているものが、ダグラス・マグレガーのX理論とY理論である。~(中略)~X理論と名づけた伝統的な見方は、人は怠惰で仕事を嫌うとする。強制しなければならず、自ら責任を負うことのできない存在とする。これに対してY理論と名づけた見方は、人は欲求を持ち、仕事を通じて自己実現と責任を欲するとする。(p.64)

●カール・ツァイス(1816-1888)は、レンズの製作を家業とする職人だったが、偉大な発明家であり、イノベーターだった。彼は、大学出の物理学者エルンスト・アッベ(1840-1905)とパートナーシップを結んだ。1888年、ツァイスを引き継いだのが、このアッベだった。アッベは科学者出身の最初の発明家として、驚くほど生産的だった。~(中略)~だがその最大の偉業は、発明や企業経営ではなく、働くことと働く人のマネジメントにあった。ツァイスのアッベは、テイラーとは無関係に、科学的管理法としか名づけようのない仕事の分析を行った。(p.69)

●マネジメントは召し使いである。主人は、彼らがマネジメントする組織である。したがって、マネジメントにとって最大の役割は、自らの組織に対するものである。すなわち企業、病院、学校、大学の別を問わず、組織を機能させ、その目的とする貢献を果たさせることである。(p.100)

自らに能力のない仕事を引き受けることも、無責任である。それはむごい行動である。期待を持たせたあげく失望させる。組織、特に企業は、自らが及ぼす社会的影響について責任を果たすうえで必要な能力は、すべて身につけておかなければならない。(p.101)

●特に組織は、自らの価値体系に合致しない課題に取り組むことを避けなければならない。熟練や知識は容易に手にできる。だが価値観を変えることはできない。重要と思っていない分野で優れた活動のできるものはいない。(p.101)

●したがってマネジメントたるものは、少なくとも、自らと自らの組織にとって欠けている能力が何であるかを知る必要がある。たとえば企業は、一般的にいって、定量化できない分野における能力が欠如している。企業の力は、計算と測定の可能な分野にある。(p.102)

●地域社会の活動に参加することは望ましいことである。しかし倫理とは関係ない。責任とも関係ない。隣人として、一市民としての資格における個人の貢献の問題である。仕事の外にあるもの、マネジメントに関わる責任の外にあることである。(p.112)

●プロフェッショナルの責任は、すでに2500年前、ギリシャの名医ヒポクラテスの誓いのなかに、はっきり表現されている。「知りながら害をなすな」である。プロたるものは、医者、弁護士、マネジャーのいずれであろうと、顧客に対して、必ずよい結果をもたらすと約束することはできない。最善を尽くすことしかできない。しかし、知りながら害をなすことはしないとの約束はしなければならない。~(中略)~それでいながら、プロたるものは自立性を持たなければならない。顧客によって、支配、監督、指揮されてはならない。また、自らの知識と判断が自らの決定となって表れるという意味においては、私的な存在でなければならない。しかし同時に、自らの私的な利害によってではなく、公的な利害によって動くことこそ、彼に与えられる自立性の基礎であり根拠である。(p.113)

●あらゆるマネジャーに共通の仕事は5つである。①目標を設定する。②組織する。③動機づけとコミュニケーションを図る。④評価測定する。⑤人材を開発する。
もちろん、目標を設定するというだけでマネジャーになれるわけではない。~(中略)~しかし、目標を設定する能力がなければ適格なマネジャーにはなれない。それは、糸を結べなければ優れた外科医になれないのと同じである。(p.129)

●マネジメント開発は、人事計画やエリート探しではない。それらのものはすべて無駄である。有害でさえある。組織がなしうる最悪のことは、エリートを育成すべく他の者を放っておくことである。10年後、仕事の8割はその放っておかれた人たちが行わなければならない。しかし、彼らは軽んじられたことを覚えている。成果はあがらず、生産性は低く、新しいことへの意欲は失われている。他方選ばれたエリートの半分は、40代にもなれば、口がうまいだけだったことが明らかになる。(p.135)

●真摯さの定義は難しい。だが、マネジャーとして失格とすべき真摯さの欠如を定義することは難しくない。
強みよりも弱みに目を向ける者をマネジャーに任命してはならない。できないことに気づいても、できることに目のいかない者は、やがて組織の精神を低下させる。
②何が正しいかよりも、誰が正しいかに関心を持つ者をマネジャーに任命してはならない。仕事よりも人を重視することは、一種の堕落であり、やがては組織全体を堕落させる。
③真摯さよりも、頭のよさを重視する者をマネジャーに任命してはならない。そのような者は人として未熟であって、しかもその未熟さは通常なおらない。
④部下に脅威を感じる者を昇進させてはならない。そのような者は人間として弱い。
自らの仕事に高い基準を設定しない者もマネジャーに任命してはならない。そのような者をマネジャーにすることは、やがてマネジメントと仕事に対するあなどりを生む。(p.147)

●日本流の意思決定は独特のものである。日本社会特有の仕組みや組織の性格を前提とするものであって、どこでも使えるものではない。だがその基本は、日本以外でも十分に通用する。それどころか、これこそ効果的な意思決定の基本である。(p.151)

●マネジメントの行う意思決定は、全会一致によってなされるようなものではない。対立する見解が衝突し、異なる見解が対話し、いくつかの判断のなかから選択が行われて初めて行うことができる。したがって、意思決定における第一の原則は、意見の対立を見ないときには決定を行わないことである。(p.152)

●ある案だけが正しく、その他の案はすべてまちがっていると考えてはならない。自分は正しく、他の人はまちがっていると考えてもならない。なぜ他の者は意見が違うのかを明らかにすることからスタートしなければならない。明らかにまちがった結論に達している者がいても、それは、何か自分と違う現実を見、自分と違う問題に関心を持っているからに違いないと考えなければならない。(p.153)

●常に「意思決定は必要か」を検討しなければならない。何もしないことを決定するのも、一つの決定である。(p.153)

●「何もしなければどうなるか」との問いに対して、「うまくいく」との答えが出るときには手をつけてはならない。多少頭痛の種ではあるが、たいした問題ではないときも手をつけてはならない。しかし、多くの問題は中間にある。何とかなるというわけではないが、危険に陥るというわけでもない。大きな機会ではあるが、変革の機会というよりは改善のための機会にすぎない。そのようなときには、行動したときのコストと行動しないときのコストとを比較する。(p.154)

●扁桃腺や盲腸を半分切除しても、全部切除したときと同じ化膿やショックの危険を冒す。多くの場合それは治療というよりは悪化である。外科医は手術するかしないかいずれかである。意思決定も、行動するかしないかいずれかである。(p.154)

●現存する最古の修辞論であるプラトンの『パイドン』によれば、ソクラテスは「大工と話すときは、大工の言葉を使え」と説いた。コミュニケーションは受け手の言葉を使わなければ成立しない。受け手の経験に基づいた言葉を使わなければならない。言葉で説明しても通じない。経験にない言葉で話しかけても理解されない。(p.158)

●組織においてわれわれが扱う人間社会、すなわち複雑な知覚の世界においては、測定という行為は客観的でも中立的でもありえない。主観的な行為であり、何がしかの偏りを持たざるをえない。しかも、それは測定の対象を変えるのみならず、測定者をも変える。なぜなら、測定することによって、新たな知覚を得るわけでなくとも、知覚の経験が大きく変わるからである。(p.165)

●これまで管理的な仕事、すなわち組織の内部の現象、事象、データについては惜しむことなく分析が行われ、優れた研究が行われてきた。しかし起業家的な活動については、それらの分析や研究に比肩するものはほとんど行われていない。効率すなわち努力を記録し、これを定量的に把握することは容易である。だが、成果すなわち外の世界に表れるものを記録し、定量的に把握する手段はほとんどない。(p.166)

●必要とする労力が少ないほど優れた管理である。管理手段が少ないほど管理は効果的である。管理手段を多くしても、よりよく管理できるわけではない。かえって混乱する。管理システムの設計と利用にあたってまず検討すべきは、管理のために最小限必要な情報は何かである。(p.167)

瑣末なことを測定してはならない。成果に影響を与える事象だけを対象とすることによって、初めて本当の管理が可能となる。成果にとって意味のない事象を管理することは、本当の管理を放棄することを意味する。もちろん、定量化できるということだけでは測定の理由にはならない。(p.168)

●市場シェア26%という数字は、正確であるかのような響きを持つ。だがそのような言い方は、まったく不正確であって何の意味もない。大ざっぱな数字のほうが、かえって本当の姿を伝える。一見根拠があるかのごとき細かな数字こそ不正確であることをしらなければならない。(p.169)

●連続的かつ同時的に、つまりリアルタイムに管理することが流行している。それが必要なケースもある。~(中略)~しかしこの種の管理が、生産プロセス以外の分野で必要になることはまれである。(p.169)

●経営科学を生産的にするためには、次の4つのことを期待し、あるいは要求しなければならない。
①仮定を検証する
②正しい問題を明らかにする
③答えではなく代替案を示す
④問題に対する公式ではなく理解に焦点を合わせる
これらの要求は、経営科学が、計算の道具ではなく分析の道具であるとの前提に立っている。経営科学の目的は、あくまでも診断を助けることにある。経営科学は、万能薬でないことはもちろん、処方箋でもない。それは、問題に対する洞察でなければならない。(p.176)

●組織構造は、重要な問題、基本活動、成果、業績に関心を向けさせるものでなければならない。就業態度、礼儀作法、手続きに関心を向けさせてはならない。縄張りに関心を向けさせてはならない。それは人をまちがった方向へ持っていく。そのとき組織構造は、成果に対する障害以外の何ものでもなくなる。(p.195)

●優れた人間関係とは、優れた礼儀作法と同じように自然に生まれるものであり、気にしないですむものである。人の気持ちを気にしなければならない状況は、最悪の人間関係である。このような症状を持つ組織は、だいたいが人員過剰となっている。人の気持ちを傷つけ、ぶつかり合い、足を踏むのは、混んでいるからである。十分な空間があればぶつからない。人が過剰な組織では、成果は生まれず仕事ばかり増える。(p.196)

●いかなる組織構造であっても、組織として最小限持たなければならない条件がある。すなわち、①明快さ、②経済性、③方向づけの容易さ、④理解の容易さ、⑤意思決定の容易さ、⑥安定性と適応性、⑦永続性と新陳代謝である。(p.198)

●組織マニュアルの助けなしでは、自らの所属や行くべきところ、あるいは自らの位置がわからない組織構造は、無用も摩擦、時間の浪費、論争や不満、意思決定の遅れをもたらす。そのような組織構造は、成果をあげる助けとなるどころか障害となる。(p.199)

●組織構造は、組織のなかの人間や組織単位の関心を、努力ではなく成果に向けさせなければならない。成果こそ、すべての活動の目的である。~(中略)~成果よりも努力が重要であり、職人的な技能それ自体が目的であるかのごとき錯覚を生んではならない。(p.200)

●正しい問題について、正しいレベルで意思決定を行い、実際の仕事に移し、成果に結びつけなければならない。~(中略)~常に高いレベルで意思決定を行わざるをえなくなっている組織構造は、意思決定にとって障害以外の何ものでもない。(p.201)

●かくして職能別組織は、調整役、委員会、会議、問題解決の専門家、特命を帯びた者など、複雑で、金がかかり、しかも扱いにくいマネジメントのための道具だてを必要とするようになる。それらマネジメントのための道具だては、だいたいにおいて問題解決に役立たず、関係者の時間を浪費するだけである。(p.206)

●チームとは、異なる技能、知識、背景を持つ人、しかも本来異なる分野に属しながら、特定の仕事を果たすためにともに働く人の集まりである。それも通常かなり少人数である。チーム型組織にはリーダーがいる。多くの場合、リーダーは交替しない。しかし実際にチームを指揮する者は、仕事の段階や要求によって変わっていく。チームには上司も部下もない。シニアとジュニアがいるだけである。(p.207)

●チーム型組織にはいくつか優れた点がある。メンバーは全員、チーム全体の仕事が何であり、自分の責任が何であるかを知っている。新しい方法やアイデアも容易に受け入れられる。事態の変化にも容易に適応できる。だがチーム型組織には、いくつかの大きな欠陥がある。明快さや安定性に欠ける。経済性も悪い。人間関係、仕事の割り当て、説明会、会議、コミュニケーションなど、チームの内部管理に絶えず気を配らなければならない。エネルギーの相当部分が、単に仕事を進めることに費やされる。全員が共通の課題を理解しているとはいっても、必ずしも全員が自分の責任を理解しているとはかぎらない。他のメンバーの仕事に関心を持ちすぎ、自分の仕事にあまり注意を払わないことさえ起こる。(p.208)

チーム型組織の最大の限界は規模にある。メンバーの数が少ないときは有効に働く。~(中略)~あまり大きくなると、チームの利点たる柔軟性やメンバーの責任感が急速に減少し、成果をあげられなくなる。同時に、チームの欠陥たる組織構造の明快さの欠如、コミュニケーションの不足、内部管理や人間関係への過度の関心が致命的になる。(p.209)

●最近の大企業には、事業部グループを担当するトップマネジメントのメンバーがいる。事業部グループという現業の長をつとめながら、時間の一部、たとえばその3割の時間を企業全体のトップマネジメントの仕事に向けている。もっともらしく見えるが、うまくいくはずがない。トップマネジメントの役割を果たすには、日常の仕事に忙しすぎる。トップマネジメントとしての貢献ができなくなる。(p.227)

●単純で小規模な企業を除き、トップマネジメントとしての責任を負う者は、トップマネジメント以外の仕事をしてはならない。(p.227)

●トップマネジメントのメンバーは、仲良くする必要はない。尊敬し合う必要もない。ただし、攻撃し合ってはならない。会議室の外で、互いのことをとやかく言ったり、批判したり、けなしたりしてはならない。ほめあうことさえしないほうがよい。(p.228)

●不祥事が起こると、取締役会が愚鈍だった、怠慢だった、情報を持たなかったといわれる。だが、同じことが繰り返し起こるならば、問題は個々の取締役会ではなく、取締役会という制度そのものにあると結論せざるをえない。取締役会は、どのような名称を持ち、どのような法的な地位を持っていようとも、一つの虚構と化している。(p.231)

●トップマネジメントの多くは、取締役会の衰退に不都合はないと反論する。彼らは、取締役会が虚構になったことに満足する。完全に消滅することさえ望む。完全な社内取締役会になっているならば、すなわちトップマネジメントが完全に支配しているならば、取締役会はすでに消滅したといってよい。(p.232)

●大企業のマネジメントには、小さな事業に必要な感覚がない。大企業は小さな事業を理解できない。したがってまちがった決定を行う。だが大企業といえども、革新を行うには冒険的な事業には手をつけなければならない。新しいものは、常に小さなものから始まる。(p.240)

●企業以外の組織のなかには、明らかに規模の限界を超えたものがある。病院は、ベッド数が1000床を超えるとマネジメントが不能になる。ベッド数3000から4000床というニューヨーク市のモンスター病院、ベルビュー病院やキングス・カウンティ病院は、すでに組織のマネジメントも、患者の世話もできなくなっている。(p.243)

●自力開発と買収とは、まったく異質である。それらをともにうまく行う組織はあまりない。買収がうまくいったことのない企業は買収を考えてはならない。不運なのではなく、そういう体質ではないからである。この種の企業は、適切な買収に伴う些細な問題を対処する用意がない。(p.253)

●典型がアメリカの2大企業、GMとGEである。両社とも自覚しているようである。GMは数十年にわたり、自力ではほとんど何も開発していない。しかし、うまくいっている企業を買収し、花形事業に育てあげることではすばらしい実績を持っている。~(中略)~逆にGEは、創立以来、買収ではあまり成果をあげていない。しかし、自力で新しい事業を成功させることでは、優れた歴史を持っている。(p.253)

●第3の手段は分離である。うまくいっていない事業は、できるだけ早く惨めな状態から解放する必要がある。そのままでは資源を消耗し、マネジメントを押しつぶす。(p.253)

●既存事業のための予算とイノベーションのための予算は、別途に、しかも別の観点から編成しなければならない。既存事業について発すべき問いは、「この活動は必要か。なくてもすむか」であり、答えが「必要である」ならば、次に発すべき問いは「必要最小限の支援はどれだけか」である。これに対して、イノベーションについて発すべき第一の問い、しかももっとも重要な問いは、「これは正しい機会か」である。答えが「しかり」であるならば、第二の問いは、「この段階において、注ぎこむことのできる最大限の優れた人材と資源はどれだけあるか」である。~(中略)~イノベーションのための活動に関して発すべき第三の問いは、「手を引くべきか。どのように手を引くか」である。(p.269)

●イノベーションのためのチームは、既存事業のための組織の外に独立してつくらなければならない。伝統的な意味での分権化した事業とまではいかなくとも、既存事業のための組織からは独立させなければならない。(p.272)

●マネジメントの第一の役割は、組織本来の使命を果たすべくマネジメントすることである。第二の役割は、生産的な仕事を通じて人に成果をあげさせることである。第三の役割は、社会と個人に生活の質を提供することである。(p.274)

●危機に瀕したとき命運を決するのは、明快な命令の有無である。沈没しかけているときに会議を開く船長はいない。命令する。船を救うために全員がその命令に従う。意見も参画もない。危機にあっては、階層と服従が命綱である。(p.281)

●もちろん組織には、守るべきいくつかの原則がある。
①組織は透明でなければならない。誰もが組織の構造を知り、理解できなければならない。当然である。実際には軍を含む多くの組織でこの原則が守られていない。
②組織には最終的な意思決定者がいなければならない。危機にあっては、その者が指揮をとる。
③権限には責任が伴わなければならない。
④誰にとっても上司は一人でなければならない。三人の主人を持つ奴隷は自由人であるとのローマの格言こそ真理である。忠誠の重複を避けるべきは、昔からの原則である。板挟みになる。いまはやりのジャズバンド型のチーム型組織がうまくいかない原因がここにある。チームに入った者は、自らの専門分野の部門長とチームリーダーという二人の上司を持つ。
⑤階層の数は少なくしなければならない。情報理論が教えるように、情報の中継点は雑音を倍加しメッセージを半減させる。したがって、組織構造は可能なかぎりフラットにしなければならない。(p.282)

●人のマネジメントの仕方に唯一の正しい方法があるはずであるとの前提は、人のマネジメントに関わるほとんどあらゆる理論の根底にある。もっとも有名なものが、人のマネジメントはX理論とY理論のいずれかによるとし、自らはY理論を贔屓したダグラス・マグレガーの『企業の人間的側面』(1960年)である。私自身も、その少し前、『現代の経営』(1954年)において同じことを言った。ところがその数年後、エイブラハム・H・マズローが、『ユープサイキアン・マネジメント』(1962年)において、マグレガーと私のまちがいを指摘した。マネジメントの仕方は、その対象によって変わるべきことを明確にした。これに従って、私自身はただちに考えを改めた。彼の立論には圧倒的な説得力があった。だが今日にいたるも、彼の言ったことに注意を払う者はさほど多くない。(p.284)

●動機づけ、特に知識労働者の動機づけは、ボランティアの動機づけと同じである。ボランティアは、まさに報酬を手にしないがゆえに、仕事そのものから満足を得なければならない。挑戦の機会が与えられなければならない。組織の使命を知り、それを最高のものとし、献身できなければならない。よりよい仕事のための訓練を受けられなければならない。成果を理解できなければならない。(p.287)
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意外な方法を使うと短時間で適応障害を改善することが可能だとしたら薬も体に害のあるものは一切使用しないで適応障害改善が可能だったらあなたは鐔い海療?祿臆噂僂鮖遒靴討澆泙垢?
適応障害改善プログラム【2011/10/02 08:48】