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寺島実郎著「世界を知る力」
非常に読みやすい本でした。この本からも、いろいろな事を知ることができました。特に、以下の事は興味深かったです。
・ジョン万次郎
・グレーターチャイナ(大中華圏)
・agree to disagree
・マージナルマン



●そもそも、戦後の日本人は、「太平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん) たった四杯で夜も眠れず」の狂歌どおり、日本の開国はペリーの浦賀来航(1853年、嘉永6年)から始まったと思い込んでいる。それより150年も前に、ロシアの、それも「西の出口」に日本語学校が設立されていたなどとは、思いもよらないことだった。(p.24)

●江戸時代の漂流民というと、どんな人物を思い浮かべるだろうか。~(中略)~太平洋の無人島・鳥島に漂着しアメリカの捕鯨船に救助された後、アメリカでの知見を買われ、幕末には幕府直参の旗本、明治には開成学校(現・東京大学)の教授にもなった「ジョン万次郎」。(p.25)

●ちなみに、孫氏の「風林火山」は、決して信玄だけが着目した兵法ではない。最近、三国志の赤壁の戦い(208年)を題材にした映画『レッドクリフ』『レッドクリフⅡ』が上映されたが(わたし自身、飛行機のなかで何度か観た)、実は、あのなかにも「風林火山」の文言を背景にしながら舞い踊るシーンが出てくる。(p.43)

●七福神を祀る寺社は全国津々浦々にあるが、どれにも共通して「三国伝来」という"枕詞"がついている。「三国」というのは、日本と中国(唐土)とインド(天竺)のことだ。~(中略)~実際、恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋の七神のうち、日本土着の神と呼べるのは恵比寿さまだけである。あとは、インドのヒンズー教由来の神(大黒天、毘沙門天、弁財天)、中国の仏教由来の神(布袋)、同じく道教由来の神(福禄寿、寿老人)になる。(p.46)

●日本人の中国に対する態度は、夏目漱石も語っているように、日清戦争(1894~1895年)を境にして激変したといわれる。日清戦争前の中国は、日本人にとって尊敬、信奉、敬服の対象だった。だから、日本人は、その影響をたっぷりと受け取り、漢文の素養があることをもって教養人と見なしてきたのである。しかし、日清戦争に勝って、それが変わった。一転して中国を侮蔑し始めるようになるのである。(p.53)

●すると、欧米人が「中国人」と呼んでいる人たちが、わたしたち日本人にとっての「中国人」と、すこぶる素性が異なることに気づかされるようになったのである。なぜなら、返ってくる答えの多くが、「台湾のエレクトロニクスメーカーの人」であったり、「シンガポール華僑の会社の人」「香港華僑の会社の人」であったりしたからだ。わたしたち日本人は、通常、中華人民共和国の民を「中国人」と呼ぶ。しかし、欧米人が「チャイナ」とか「チャイニーズ」と呼ぶ場合、それは、必ずしも、中華人民共和国やその国民を意味しないことに、あらためて気づかされるのである。彼らは、全世界に約6000万人散在しているといわれる華僑も含めて「チャイナ」「チャイニーズ」と呼んでいるのだ。いま、世界で「チャイナ」「チャイニーズ」といった場合、それが必ずしも中華人民共和国やその国民を意味しないことを、わたしたち日本人は知っておく必要がある。欧米人が口にする広義の「チャイナ」-すなわち、中華人民共和国に台湾、香港、それから華僑国家と呼ばれるシンガポールを含めた「チャイナ」-を、中華人民共和国を指す狭義の「チャイナ」と英語で厳密に区別する言葉としては、「グレーターチャイナ」という言葉がある。これを日本語に訳したのが「大中華圏」だ。(p.63)

●ロンドン、ドバイ、インドのバンガロール、シンガポール、そしてオーストラリアのシドニーをつないだ図である。いずれも、かつて大英帝国の支配下にあったイギリス連邦の主要都市になるが、見事なまでに一直線に並んでいるのがわかる。(p.79)

●実際、2007年秋には、700人乗りの新鋭巨大ジャンボ機「エアバスA380」が、シンガポール~シドニー間に就航している。747に代わる「世界最大の旅客機」として長い間注目を浴びてきた「A380」の最初の納入先がシンガポール航空になり、最初のフライトがシンガポール~シドニー間になったことは偶然ではない。(p.83)

●シンガポールは、しばしば「バーチャル国家」と呼ばれる。もとになったのは、UCLAのR.N.ローズクランス教授が出版した『バーチャル国家の台頭』(1999年)だが、そのなかで教授は、「バーチャル国家」をこう描写した。「土地、資源、原材料という生産要素よりも、良質の労働力、資本、情報」をもっぱら重視する「頭だけをもち身体をもたないダウンサイズされたバーチャル国家」。(p.84)

●わたし自身の体験からいえば、ユダヤ人ほど誇り高き個人主義者たちはいないと思う。自分の運命を集団的陰謀に託すほど単純な人たちではないのである。(p.89)

●彼らはよく「MENSCH(メンチ)」という言葉を口にする。「信頼に値するひとかどの人物」を意味するイーディッシュ語だが、彼らが「ひとかどの人物」とみなすかどうかは、決して肩書きに左右されない。人間として真剣に議論をするのに値する人物、明確な己・技能・見識をもっている人物を「メンチ」と呼んで、限りなく敬愛するのである。したがって、ユダヤ人のネットワークというのも、こういった「メンチ」を愛する強力な個人を基盤として成立する大人の契約と考えるべきである。(p.90)

●天上の国で、人類史上、偉人として知られる5人のユダヤ人が議論を交わしたという。テーマは「人間の行動を本質的に規定するものは何か」。まず、モーゼが、ものものしく戒めるように断言した。「人間が人間であるための要素、それは理性である」。次に、キリストはハートを指しながら、やさしく反論した。「いや、それは愛です」。二人が「理性だ」「愛だ」といい合っていると、「とんでもない」という顔つきをしながらマルクスが宣言した。「すべては胃袋、経済が決定する」。すると、「もっと本音で議論すべきだ」といって、フロイトが割って入った。「結局は、性、セックスなのだ」。「理性だ」「愛だ」「胃袋だ」「セックスだ」と4人が侃々諤々(かんかんがくがく)議論をしているところに、アインシュタインがやってきた。そして、舌をぺロリと出しながら、こういった。「いやいや、皆さん、すべてのことは相対的なのです」。誰もが知る5人の偉人だが、これがすべてユダヤ人というところに、いわれてみれば唖然とするものがある。(p.91)

●流浪の民であるユダヤ人には、その土地で採れる資源やモノによって豊かさを確保しようという発想はない。どこに流れ着いても活用できる目に見えない価値、すなわち、技術や情報を習得することで身を立てようとするのがユダヤ人なのである。頭ひとつで「無から有を生み出し」勝負しようというわけだ。だから、科学技術や芸術をはじめ、金融の世界でも、医学、法律の分野でも、ユダヤ人世界に大きな地歩を占めてきたのである。(p.97)

●ちなみに、「ユダヤ人の敵はユダヤ人」といわれるほど、ユダヤ人は普段、徒党を組むのを嫌う。しかし、いったん「イスラエルの存続」にかかわる問題が生じると、驚くべき結束を見せるのである。(p.98)

●余談だが、石油が利用されるまでアメリカの夜の灯りは、すべて鯨の油によって成り立っていたのである。(p.117)

●振り返ると、戦後日本の政治状況は、見事なまでに世界潮流を反映する鏡のごとく動いてきた。そもそも、1955年から約40年間にわたって日本の政治状況を規定してきた、いわゆる「55年体制」という枠組みが、東西冷戦時代を反映したものだった。「55年体制」とは、55年に左右の日本社会党が再統一され、それに呼応して保守の側も日本民主党と自由党が合同して自由民主党を結成することでできあがった、「自民党対社会党」という対決の構図である。保守・自民党の結集軸は「改憲(自主憲法制定)、安保維持」、革新・社会党の結集軸は「護憲、反安保」。以来、日本の政治は、いわば「資本主義対社会主義」の代理戦争のような形で展開されることになる。(p.122)

●20世紀の日米中3国の関係に深い影響を与えた人物をひとり挙げろといわれたら、わたしは迷わず、タイム・ワーナー社の創始者ヘンリー・ルースの名を挙げる。『タイム』(1923年~)、『フォーチュン』(1929年~)、『ライフ』(1936年~)を創刊するなど、一代でアメリカの雑誌文化を築き上げ、「メディアの帝王」と呼ばれることになった人物である。彼は、アメリカが米西戦争に勝利した1898年、中国山東省の田舎町で生まれた。(p.137)

●ルースは、山東半島で14歳まで過ごすことになる。といっても、決して牧歌的な時代ではない。ルースが2歳だった1900年には、排外的なテロリスト結社が列強やキリスト教の進出に反発して、多数の外国人を殺害する「義和団事件」の嵐が吹き荒れている。(p.138)

●まさに、米中が連携して日本を倒したのが太平洋戦争だった。ルースの執念は、ここに実を結んだかに思えた。しかし戦後、事態は一変する。国民党と、ソ連から援助を受けた中国共産党との間に国共内戦が起こったからである。アメリカの大統領は、蒋介石と距離をとるトルーマンに代わっていた。かくして1949年、蒋介石の国民党は中国共産党に追いつめられ、台湾への遷都を余儀なくされる。(p.141)

●戦中の米中関係をしたたかに見つめていたイギリスは、即座に毛沢東の中華人民共和国を「中国の正統な政府」として承認した。しかしアメリカでは、ルースに代表される「蒋介石支援の台湾ロビー」こそがチャイナ・ロビーの主流だった。中華人民共和国を正統な政府として承認することはできない。~(中略)~ここにいたり、ルースを頭目とするアメリカのチャイナ・ロビーは、皮肉な決断を迫られることになる。「共産中国を封じ込めるためには、日本を西側陣営に取り込み戦後復興させるしかない」。こうして、日本復興のシナリオが動き始める。1951年にサンフランシスコ講和条約と旧日米安保条約が締結されたのも、こういった力学が働いた結果である。(p.142)

「賛成はできなくても、相手の主張の論点は理解した」という姿勢をもつことが肝要だ。中国の大学生たちも、話が「agree to disagree」に及ぶと、さすがにシーンとなって、最後まで聞いてみようという姿勢に変わるのである。(p.183)

●最後に、わたしの心のなかのメッセージであり続けた「マージナルマンという生き方」について触れておきたい。~(中略)~マージナルマンとは境界人という意味で、複数の系の境界に立つ生き方という意味である。ひとつの足を帰属する企業・組織に置き、そこでの役割を心を込めて果たしつつ、一方で組織に埋没することなく、もうひとつの足を社会に置き、世界のあり方や社会のなかでの自分の役割を見つめるという生き方、それをマージナルマンという。サラリーマンとして帰属する組織に参画し、そこでの仕事に積極的に貢献し、評価を高める努力をすることは、きわめて重要である。~(中略)~ただ、仕事先の組織を唯一の世界と思い込み、「うちの会社」という意識に埋没し、家畜ならぬ社畜となって自らの存在すべてを譲り渡すことはするまいという意識を失うことはなかった。自分の時間を確保する努力をし、会社の外の研究会に参加したり、フィールドワークをする試みを続け、それを毎夜机に向かい整理して作品にしてきた。(p.202)

●とりわけ、時代は右肩上がりの「終身雇用・年功序列の時代」を終え、帰属組織を失ったなら生きていけない虚弱なサラリーマンではなく、技能と専門性をもった汎用性の高い人間を必要としているのである。自らのテーマをもち、自らのライフスタイルを貫く意志をもちながら、帰属組織に腰を据えて参画する、これがマージナルマンの生き方なのである。(p.204)
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