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中西輝政著「情報亡国の危機 インテリジェンス・リテラシーのすすめ」
この本を読む前は、「インテリジェンス・リテラシー」という言葉を違う意味でとらえていました。どちらかというと「ITリテラシー」のようなものかと思っていました。読んでみたら全然違ったので読み進めるか悩んだのですが、まぁ、たまには自分の不得意な分野の本を読むのも、新たな知見が得られてよいと思いました。



●インテリジェンスとは何か、この言葉をどのように定義したらよいのか。これについては、よく引用されるイギリスの学者で、内閣直属のJIC(合同情報委員会)の分析官を長い間つとめたオックスフォード大学のマイケル・ハーマン教授が次のような言葉で、非常にわかりやすく述べている(Michael Herman, Intelligence Power in Peace and War, 1996, pp.1-4)。「インテリジェンス」という言葉は、まず第一に、国策、政策に役立てるために、国家ないしは国家機関に準ずる組織が集めた情報の内容を指す。いわゆる「秘密情報」、あるいは秘密ではないが独自に分析され練り上げられた「加工された情報」、つまり生の情報(インフォメーション)を受けとめて、それが自分の国の国益とか政府の立場、場合によると経済界の立場に対して、「どのような意味を持つのか」というところにまで、信憑性を吟味したうえで解釈を施したもの。それを「インテリジェンス」という。(p.5)

●最も象徴的なのは暗号解読で、敵の暗号通信を傍受・解読する。通常、大変困難だが、これ以上確かな情報源は他にない。そして、この暗号解読への強い執念、というイギリスのインテリジェンス文化の伝統も18世紀に決定的に発達した。特筆すべきはジョン・ウォリス(1616-1703年)という人物であろう。彼はオックスフォード大学の数学教授で、今日も続く「王立学士院」(Royal Society)の創立者であった。数学における無限大の記号(∞)を作ったことでも知られ、ケンブリッジに学んだニュートンと同世代の人であった。ニュートン自身も暗号解読に関わって政府のために働いたことがあるが、ウォリスには敵(かな)わなかったという。(p.29)

●満州事変に至る過程での日本の満州政策についても、イギリスとソ連は日本の動きをほとんどつかんでいた。さらに真珠湾への決定的なきっかけとなった1941年7月の日本軍による南部仏印進駐も、英米は1カ月以上も前に察知し、あらかじめ石油禁輸で応じることを決めていたこともわかってきた(この点では、小谷賢『イギリスの情報外交』PHP新書、2004年を参照)。~(中略)~もちろん、全てが情報活動によって決まった、などというつもりはない。しかし、優れた戦略的方針に沿って情報活動が効率的に行われたときに成功を生む例は、国際政治の歴史、革命や戦争の歴史の至るところに、見出すことができる。(p.36)

そもそも「中国の工作員」として日本に住んでいる者が、かならずしも中国人とはかぎらない。他のアジア諸国の在住者や日本人ないし欧米人が、実は中国の工作員であるということもある。重要な任務であればあるほど自国の人間を使うとむしろ発覚した時のリスクが大きいため、できれば別の国の人間を使おうとする場合もある。それが、インテリジェンス・リテラシーが教えるこの世界の常識でもある。(p.51)

●つまり冷戦時代、こうしたことは日本の大学キャンパスでは日常的にある話だった。共産党など左派陣営は中国・ソ連から膨大な資金を流入させ、自民党もCIAから提供を受けていた。学者も、たとえば当時の京都大学には共産党細胞が各学部にあり、一説には、ある時期、京大の特定の学部では教授陣の半分以上は共産党員だったといわれている。他方、保守系の学者にはアメリカからのアプローチや種々の便宜が供与されていた。冷戦中だったから、いわば当然の話であり、しかも見えやすいものだった。(p.59)

●したがって、本来、「インテリジェンス」は「情報」より「諜報」のほうが近いのかもしれない。そしてこの「諜」という漢字を分析すると、「木」の陰から「世」間を窺い、それを「言」葉に表すという形で成り立っている。この字のごとく、中国には昔から、こっそり見ることがもっとも正しい情報の集め方であるという哲学があった。(p.104)

●アメリカ大統領がロンドンのバッキンガム宮殿などを訪問する際には、当然ながら周囲に大統領警護官が張りつく。周知のとおり、アメリカでは彼らのことを「シークレット・サービス」と呼ぶ。しかし、もしイギリスで「大統領の周囲にシークレット・サービスがいる」といえば、誰もが驚くに違いない。イギリス英語で「シークレット・サービス」とは、「007」のような本物のスパイを指すからである。~(中略)~だから、アメリカのTV放送で、「大統領の横には3人のシークレット・サービスの人が歩いています」とアナウンサーがいうのを聞いて、イギリス人はびっくり仰天してしまうのである。(p.106)

●その意味では千変万化の世界だが、近代国家として最低限必要なのは、政府の最高指導者にはかならず全ての秘密情報を届けるということだ。それも、客観・中正な情報でなければならない。ある省庁や部局の思惑の入ったバイアスをかけられた情報、特定の政策に誘導するような情報が意図的に指導者に届けられるようになれば、その国は国家として半ば破綻状態である。(p.126)

●"首相直属の情報機関"として、日本には「内調」(現在は内閣情報調査室)があるではないか、という人もいるが、これは私は何度もいっているとおり「内調」は近代国家の中央情報機構に必要なスケールもパワーも、そして政策をもつ各省庁が上げてくる情報をダブルチェックできるだけの能力も持ち合わせてはいないのである。(p.127)

●また欧州各国では、政治家が権力の座を去るとき、オフィスから文書を一枚でも持ち帰ったり意図的に毀損したりしたら、場合によると「国家反逆罪」として重罪に問われることにもなる。前政権からの秘密文書の継承こそ、政権交代の核心であり、その隠匿や破棄があれば、国政の継続性が脅かされるからだ。(p.131)

●欧米では、大学を卒業してビジネスや行政の世界に入った人がより高いポジションを目指すために、30歳代前後になって大学院などに戻って勉強し直すケースが少なくない。あるいは仕事に就いたままでも、政治家やエリートを目指して勉学に励む人もいる。そういう人は、専門分野が何であれ、以下の三点の勉強を欠かさない。第一は、核兵器についてだ。欧米の主要国は核保有国だから、これを学ばなければ政治家にはなれない。大学のキャンパスでも、学生や教員どうしが核について熱く議論する光景はよく見かける。~(中略)~第二は、国際金融についてだ。理科系でも、古典文学を専攻している人でも、金融のメカニズムについては一般常識としてよく学んでいる。~(中略)~そして第三が、インテリジェンスの基礎教養ないし知識である。これについても、エリートの卵や知識人だけでなく、国民の誰もがきわめて詳しい。(p.133)

●実際に以前、警視庁は中国の蛇頭(じゃとう)を追っている過程で、中国人民解放軍系の技術者が大手自動車部品メーカーのデンソーに産業スパイとして潜入している事実をつきとめたことがある。警視庁は当然、デンソーに注意を促したはずだが、同社は聞く耳を持たなかったようだ。そして結局、被害の大きさに気づいたのは、犯人が逮捕された後だった。(p.150)

●ゾルゲは昭和10年代に、日本について「この国を動かすには軍隊もスパイもいらない」と書き残している。あるいは「日本には本当の意味での政治というものが存在しない」とも指摘している。「空気によって動くから」というのがその理由だ。とすれば、その「空気」を自在動かすにはどうすればよいのか、つまりメディアや国家中枢への工作を通じ、国策を操ることが日本に対する最も効果的なインテリジェンス活動である。尾崎やゾルゲはそれを熱心に考えた節が見られる。いわく、「この国には決断がない。むしろ指導者が権力的に決断を下せば、国民にそっぽを向かれる。そのかわり空気さえ醸成していけば、どんな重大な決断でも導くことができる。だから空気をいかにつくるかが重要だ。そのためには、頭の中は空っぽでもいいから、協力的で、こちらが望む記事を書いてくれるジャーナリストが何人かいればよい。それだけでこの国を完全に牛耳ることができるときがある」。(p.155)

●インテリジェンスにまつわる「感覚」ということでいえば、たとえばふつうに企業活動や社会活動をしていても、「何か変だ」と思うことがあったとする。一例として、中国に進出している関連企業に出張中、いろいろな人がさまざまな情報を持ち込んできたりすることがある。~(中略)~そんなとき、一応のインテリジェンスに関する知識があれば、多くのトラブルは避けられる。(p.238)

●あるいは自分が外国に出張したときも、政府はもちろん民間の組織や企業に属しているなら、身辺を注意して行動するのは当然だろう。一歩外国に踏み出したら、そこはインテリジェンスの観点からは、日本とは全くの「別世界」である。(p.239)
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英米人の脳裏には、現実の世界があると同時に、非現実の世界観 (world view) がある。

現実の世界を現在時制の内容で表現すると、非現実の世界は未来時制の内容として表現できる。
現実の世界と非現実の世界は、英語では一対一の対応がある。
そして、現在時制の内容に対応した未来時制の内容が過不足なく考えられる。

真実は現実の中にある。が、真理は考え (非現実) の中にある。
現実は真実である。現実の内容として述べられる非現実は嘘である。
時制がなく、現実と非現実の区別がつかなければ、本人は嘘ついてるという自覚はない。
話の内容が現実離れしていることに違和感がない。

現実の内容は五感の働きにより得られるが、非現実の内容は瞑想により得られる。
現実の世界が過不足なく成り立つように、考えの世界も過不足なく成り立っている。
もしも、考え (非現実) の世界に矛盾があれば、それを見つけて訂正しなければならない。
自他が協力して構想の中の矛盾を丹念に淘汰すれば、非現実の世界は現実の世界と同じ広がりと正確さをもち、場当たり的な発言の内容とはならない。

日本語脳は、非現実の内容を脳裏にとどめ置くことができない。
それは、日本語には時制がないからである。
日本人は常に実を求めている。現実にとどまることのみを信じている。
日本人の考えは、現実の外に出るものではない。
現実を現実の外にある理想に導くものではない。

西遊記に出てくる孫悟空は、自己の有能さに得意になっていた。だが、釈迦如来の手のひらの中から外に出ることはできなかった。孫悟空には、世界観がないからである。

英語の時制を使うことができない英米人は、子供のようなものである。
だから、非現実の世界を考えることができない日本人は、12歳の子供のように見える。

考えがなければ、議論ができない。
日本では「議論をすれば、喧嘩になります」と言われている。
意思は未来時制の内容である。
時制が無ければ、恣意となり、その思いは公言にもならず宣言にもならない。

物事の決着は、談合により行われる。
そこには、公言も宣言も必要でない。
意見を述べようとすると「理屈を言うな。理屈なら子供でも分かる」と言って相手にしない。
もっぱら恣意と恣意のすり合わせを行って決着する。いわゆる、どんぶり勘定である。
和をもって貴しとなすためには、金を配るしかない。これも馬鹿の一つ覚えか。
現ナマは、現実の内容であり、日本人には信用の証となる。

究極の人生目的は、狭義の自己利益・金を得ることにある。
国内では、学閥など序列を作って自己利益を確保しようとする。それで、忠義が尊ばれている。
人間が縦一列に並んで他を入れない密な人間関係である。
序列作法の励行により、序列の外に出られない島国根性が植えつけられる。だから、玉砕を覚悟する。

国内においても、国際社会においても、日本人は金を配って存在感を示そうとする。
これもひとえに社会の中での序列順位向上のためである。
だが、日本人は内容のない発言により信用を失うことが多い。
それでも、日本人は人類のために貢献している。
だが、その貢献の仕方は、発言のない家畜が人類に貢献するのと似たところがある。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

【2011/09/25 03:32】 URL | noga #sqx2p0JE [ 編集]



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