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高瀬広居著「老害の人 老益の人」
この本は、「老害」というキーワードが気になった時に、Amazonで「ポチっ」と古本で購入したものです。読み進めてみると、「あれ、思っていた事と、なんか違う事が書かれているな」と思ったりもしましたが、いい事が書いてあったので、最後まで読み進める事にしました。

ちなみに最近はAmazonで古本を購入する事が多く、だいたいはキレイな本が多いのですが、この本はビックリするくらい汚れていました。なので、初めての事なのですが、Blog記事を書いたら捨てる事にします。(書き込みが汚いというレベルでなく、本当に汚いんです。。。)



●若さという躍動的な体軀(たいく)に嫉妬(しっと)し憧れ、健康の障害をとりのぞけば老いは去ると思う、その焦燥そのものが、実は老いなのです。いいかえれば、老いを恥じること自体が老化のあらわれなのです。(p.5)

●人間は人生経験によっていろいろのことを学ぶ。若いころあれほど熱望した金や名誉や性愛が、それほど価値あるものでも感動的なものでもないことを教えられてきます。だから、きらびやかなもののうちにも空しさを感じとるようになります。若者はそれを知りません。人間の成長とは、その空しさを少しずつ理解してゆくことかもしれません。(p.10)

●長い人生にはわが身を引き裂かれるような苦しみもあるし、裏切りにも出会う。老いの衝撃にも脅(おび)えよう。しかし、自らを満足させようとする老人は、人びとの尊敬をかちとります。誰も、その人の老いに対しては「美」も「幸福」も「微笑」もプレゼントしてくれません。老人に神聖を付与したのは遠い昔のことです。老いの幸せとは、まず、自分自身に調和と自己満足をつくるほかないのです。(p.21)

●皮肉なことに、だらしのない人、無神経な老人には、こうした疲れが少ないのです。日常生活の面でも、仕事の面でも、あるいは対人関係の面でも、秩序を重んじ、几帳面で義務感や責任感が強く、とくに他人に対してひじょうに気をつかう人、俗にいう苦労性の人、律儀なマジメ人間が疲労型老人になってしまうのです。(p.33)

●刺(とげ)を抜こうとすれば、逆になかへ入ってしまうように、怨(うら)みというものも、悶(もだ)え、あせり、いらだってゆけば心の底深く残る。(p.86)

●多くのサラリーマンは、せかせかと食事をかきこみ、バス停にかけつけ、電車のなかで新聞を読み、会社に行って仕事に追われ、夜は接客と商談にせっつかれ、帰宅してもゆっくり入浴、食事、セックスというわけにもゆかず、時間と闘いつづけてます。新幹線にのっても経営書をよみふけり、パソコンを打ち続け、日帰りで往復する。どこにも「詩」や「ゆとり」がありません。それがない人生に寛大さは芽生えない。~(中略)~老人は「間(ま)」を楽しみ、遊びを人生にもつ人です。ヒマだからではない。限られた条件のなかで、そのゆとりを見出すのです。ほんとうの遊びとは無償の行為です。一種の美的体験です。酒をのむときはゆるりと味わい、仕事や上司のことなどサラリと忘れる。風呂に入るときは、心ゆくまで湯に身を沈め、ゆったりと楽しく過ごす。(p.110)

●この世の中はすべて、きびしさとやさしさにつつまれてなめらかに流れてゆくのです。厳格(スパルタ)主義だけで社員はいうことをきくでしょうか。放任主義一本で企業は栄えるでしょうか。硬と軟、剛と柔、勝と敗その二つが「不二(ふに)」であってこそ、人間は服するのではありませんか。(p.116)

●おじいさんの優美さとは知性です。おばあさんの美しさとは情愛のこまやかさです。敬愛される老人の役割はこれにつきます。どちらもが「感じのよさ」を与えてくれるのです。そうなるためには、老人になってから努力してもむずかしい。壮年期から心がけてこなくては、微笑と優美の老人は生まれません。私が、この本をこれから老人になる人びとに向けて書いているのもそのためです。(p.142)

●美しい老人は、第一にわがままではない。一徹であっても我欲心で行動しない。第二に負ける心をもっている。柔よく剛を制すというように、柔和な芯の強さを備えている。動物の世界には、この「負けるが勝ち」という心がない。彼らは食うか食われるか、「勝つ」ことだけで生存を守っている。負ける心は人間を動物から切り離す精神文化の源です。(p.143)

●美しい老いを迎えた人、不屈の老人、知恵深い老年者、幸せな老後を享受するおじいさん、おばあさん、その人たちは、みな、そうなるべくしてなった老人ばかりです。老いの将来を決定する力は、壮年期の生き方にかかわっています。(p.147)

●ゆずる心のない老人ほど醜悪なものはありませんし、弱さをさらけ出したものはありません。奪いとられる年寄りはゆずる勇気のない弱者といってもよいでしょう。(p.158)

●博覧強記型と創造型は両立しないし、年を取れば記憶力は下降してくるのだから、かえって論理的・創造的・総合的な判断力の円熟さこそ大いに磨くべきだというのです。いつまでも、記憶力を誇っているような40代、50代は、もっと高度な哲学的・統括的思索力の研磨に努めよというわけです。初老になっても学生時代のような、棒暗記で成績を競うのはアホのすることだということです。(p.172)
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