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曽野綾子著「人間の基本」
たまたまネットで見つけて買ったのですが、とても面白くて一気に読んでしまいました。

この本と、前に読んだ「デスマーチ」とは何の関係もないですが、どちらの本にも「トリアージ(triage)」という言葉が出てきました。日本でトリアージという言葉が有名になったのは、地下鉄サリン事件の時ですね。聖路加国際病院の日野原重明先生が、運び込まれる被害者に対しトリアージを実施したらしいですね。


●足場というか、基本というのは、実に大切なものです。それがないと流されます。流されれば、自分を失いますし、死んでしまうこともあります。でも今の日本は、足場や基本は問題でなくて、末端が大切な時代になりました。それも時代の動きでしょう。私は卑怯者ですから、流れにさからうということもしないんです。それでもそういう時に、ふと流れの傍に立って、半分立ち腐れのまま、川の中に立っている棒杭の姿に見とれることがあります。この本の背景には、そんな光景があるのかもしれません。(p.4)

●どなたでも一度キャベツを苗から一玉だけでいいから無農薬で育ててごらんなさい。朝夕、青虫を見つけるたびに手でつぶしていても、最後は葉がボロボロになってしまうくらい青虫がわいて、ついに諦めました。高地は知りませんが、春になって蝶々が出るようになったら、無農薬でアブラナ科のキャベツなんか作れません。自分で作ってみるとわかりますが、キャベツは葉の外側に虫がつくので、ダインという展着剤入りの殺虫剤をかけて駆除しなくてはなりません。つまり、穴ひとつないキャベツが当り前に手に入るということは、それぐらいの薬剤を使っているということです。(p.17)

●昨年来話題になっている電子書籍は、画面で文字を追いながら映像や音声まで楽しめる機能もあって、これを「リッチ化」と称するそうですし、視力に悩む人たちは、大きな活字で読めるので、その恩恵は大きいでしょう。しかし人間はできるだけ活字だけから、内容を頭の中で組み立てる力が要ります。これは大変重要な能力ですから、それをしなくていいことは、私には想像力の貧困化としか思えないのです。(p.22)

●想像力は加速度的に衰えていることは、テレビの天気予報一つでもはっきりしています。アナウンサーがいい年をした私たち視聴者に「傘を持って行くことをお薦め」したり、「洗濯日和です」とおせっかいを焼いたりするのは日本ぐらいのもので、よその国では素っ気ないぐらいに気象情報を伝えるだけでしょう。ましてや雨が降ると言うと、傘の印を持ってみせたり、まるで幼稚園児相手で、私は時々思わずテレビを切ってしまう。~(中略)~しかし、女性アナウンサーがウサギの帽子を被ってみせたり、「ゆるキャラ」と呼ばれる着ぐるみが全国的なブームになったりするのは、どうにも理解できないのです。幼児化というか、羞恥心というものがないのか、見ていて居心地が悪い。これも言葉だけで情報を伝達するという技術がなくなって来たからでしょう。いずれにしても、こうした日本特有の現象は、想像力が欠如した人向きではあっても、人間性に対する一種の侮辱であると同時に、日本人がそういう教育を受けてきたという結果でもあるのです。(p.28)

●私はもう40年以上経った木造の家に住んでいるものですから、始終どこかが壊れているのですが、公団住宅だったら家賃が安い上に、補修もすべてしてもらえるそうです。少くとも、まともに生活できている人たちからお金を取らずに、さらにお金を与えるのは過度の福祉という気がしますね。(p.31)

●天災に遭うのは本当に気の毒なことですが、さほどの大災害でもない場合でも、最初から一箇所にまとめられて行政の配給を待っているのが当り前の光景を見ると、日本人はそういう助け合う心を失ったのかと心配になります。どんな状況でも誰かの支援を待つばかりでなく、自分で考え、自分から動くことも大切です。火山灰がひどくても屋根さえあれば、七輪とお釜に塩鮭と昆布の切れ端、お酒とだしの素を入れるだけで即席の釜飯がつくれます。お鍋も要らないんです。私は海外に行った時もよくそうしていますが、別に料理自慢をしたいのではありません。小さなことでも、一つ一つ自分で工夫して状況を乗り越えるというのは、おもしろいことなんです。そういう能力が、近頃に人は、全体的に衰えてきているように感じるのです。(p.32)

●最近は、親が敬語をきちんとしつけることができなくなりました。親自身が、何でもかんでも「してあげる」に慣れっこで、謙譲語も尊敬語もでたらめになっている。親が子供に何かをする時には、「してやる」と言わねばなりません。(p.36)

●クラス全員の事情を知るという状況は、裏を返せば、他人が自分を理解して認めてくれるのを当然のこととして期待することです。しかし、先生が一人一人の生徒に向き合ってくれる、遅れ気味なら補習をしてでも教えてくれる、という考えは「甘ったれ」といってもいいでしょうね。人間は他者のことなど、そんなに理解するものではないんです。そもそも人間は「他人は自分を理解してくれない」という覚悟の上に、長い人生を立てて行かなくてはならないのです。(p.42)

●しかし結局のところ、考えるのは自分たち一人一人でしかありません。本当の考える力とはそういうものなのに、戦後の義務教育は子供たちに自分で考える力を教えてこなかった。他人と違うことを考えると試験や出世で減点されることが、さらに拍車をかけました。~(中略)~それを象徴するのが、広島の原爆死没者慰霊碑に刻まれた「過ちは繰返しませぬから」という、誰が主語なのかわからない文言です。(p.53)

●今は物を手に入れようとする時、ローンを組むのが当り前になっていますけれど、長期のローンで買うと倍近いお金を払うことになるそうですね。ローンと言うと聞こえがいいですけれど、つまり借金です。しない方がいいに決まっています。(p.55)

●最近は、英語の書類にも「husband」「wife」ではなく、ほとんどが「partner」と書いてあります。法律的に結婚すればハズバンドとワイフというのはアメリカではすでに古い考えのようで、届出の有る無しに関わらず、パートナーと呼ぶのが当り前だといいます。(p.57)

●本来「個性」は悪い言葉ではありませんが、私は個性的でしょう、と表面的にアピールするのはただの勘違いであって、単に他人のことを考えられない、自分中心で他者が希薄ということです。自分はこう考えるのだから構わないでしょう、という姿勢は何かを履き違えていて、逆に言うと、自分が他者をそれほど簡単にわかるわけがない、と自覚することが必要です。(p.59)

●あの海老蔵さんがケンカ後初めて記者会見した日ですけど、あの日はウィキリークス事件の起きた日で、CNNもBBCもウィキリークスによる機密文書の大量暴露のニュース一色だったんですけれど、日本のテレビでは海老蔵事件ばかり映していました。ウィキリークスが陰湿な悪なのか、正義の味方なのか私にはわかりませんが、国際社会の構図をもしかすると将来変えるような問題が起きていることに理解が及ばなかったのか、あるいは視聴率しか頭になかったのか、どちらにしてもNHKから民法まで知性不在ですね。(p.62)

●どんなに疲れていても、締め切りが来たらその日のうちに書き上げるのは物書きとしての義務であって、辛くたって当り前のことです。辛いことをしない人は何ももらえませんね。お金も達成感もなくて当り前です。何もしなかったんですから。~(中略)~もともと人間は、どこかで自分の好みに従って自らを鍛える存在であるはずですが、現実にそれができない人が増えているのは、自分自身の、自分なりの目標も考えも持たないからだと思います。(p.65)

●話は変わりますが、少し前に、民主党に「ぬくもり助け合い本部」なるものが出来たと報じられました。無縁社会への対策を考えるという目的は別として、そのネーミングの幼稚さはどうにもなりませんね。(p.66)

●近頃はトイレにこもって昼ごはんを食べる大学生がいると聞いて驚きましたが、他人とご飯を食べるのが嫌なら、公園のベンチに座って一人で堂々と食べればいいのです。(p.67)

●ルールという表面的なことにとらわれると、自由を失いますし、なぜそういうことをするか、と尋ねられても、人を納得させる返事はできません。常識の大局さえ外さなければ、めいめいが、いいと考えたことをすればいいのです。ただし理由を問われた時は、その人なりの個性で明確な返事ができなくてはならないということです。(p.70)

●このお話、何から何まで無礼でみみっちいのです。細かくルール化すればするほど本質から遠ざかり、内容そのものが良いのか悪いのか、それさえもわからなくなることが問題です。いちいち詳細なルールなど作らなければ、自分がどういう思いで行動し、人に聞かれた時にどう説明するか、人間性の内実をしっかり踏まえてその都度考えられるはずです。最初からその過程を放棄してルールの中に逃げ込んでいては、どんどん人間そのものがわからなくなっていきます。(p.73)

●善か悪か、白か黒かでしか物事を考えられないのは幼稚さの表れだと私は思います。~(中略)~多くの人間は凡庸で、神でもなければ悪魔でもありませんから、完全な善人も、完全な悪人もいない。善悪99パーセントから1パーセントの、いわば極限の間にいて、100パーセントの善人にも悪人にもなれないのが人間です。pHなら、7という値を境にアルカリ性と酸性を分けるのは理系的な感覚ではあっても、人間というものは善悪はっきり分けられませんからね。ルールの中には収まらない優しさ、恐ろしさ、面白さを抱えた存在であることを見きわめる感受性と勇気が必要です。人生のあらゆる要素が、その人にとってプラスとマイナス、どちらに作用するかはわかりませんが、どちらも要るものだと私は思います。希望もいるし、絶望もいる。孤独だけでもへたばるから、時には大勢でお酒を飲んでいい気分になる時もいるでしょう。両面があって両方とも要る、ということです。(p.77)

●世の中には私と同じように感じる人もいるはずで、良いことは結構だが、良いことだけでもやっていけない、という気がしてしまいます。周りを見渡してみても、自分を含めて皆いいかげんで、思いつきで悪いことをしたり、ずるをしたりする。でも、いいこともしたいんです。その両方の情熱が矛盾していない。それが人間性だと思うのです。昔から私は純粋より不純が好きで、不純だけがリアリズムで実人生だと思っていますし、実際それほど図抜けて善い人にも、全く悪い人にも会ったことがありません。(p.78)

●アウシュビッツを初めて訪れた時、私はたった1日で自律神経失調症になりました。自分ではそれほどやわな人間だとは思っていなかったのに、不整脈を起こすぐらいの衝撃を受けた。それからナチスに関連する本を次々に読んだのですが、たくさん読めば読むほど、ヒトラーもアイヒマンもつまらなくなってきました。(p.79)

●邱永漢さんは昔、「ほんとうに幸せなのは、小金のある庶民だ」と言いましたが、私を含めて多くの日本人がこれにあてはまります。その日に食べる物、着る物には事欠かず、毎日お風呂に入れて、薪集めをしなくても、冬は暖かく暮せる。近代的な警察組織が治安を守り、交通機関が正確に運行されていて安心して外に出かけられる。世界でもごく少数の人しかあずかれないこういう暮らしに対して幸せを感じないとしたら、大変な人間性の欠落ですね。(p.90)

●私が考える貧困の条件とは「今晩食べる物がない」ことたった一つです。食べるのに困るといっても、どこかに行けばあるのは貧困とは呼びません。アフリカで「食べ物がない」と言ったら、本当にどこにもないことで、その解決策は、空き腹を抱えて水を飲んで寝る、盗む、物乞いをする、その3つしかないんです。(p.91)

●イタリアでは、乞食もまたれっきとした職業の一つとして割り切っているから、人形の彼もまた「働いている」んです。イタリアという国は首相が買春で訴追されるなど俗っぽくて賑々しい反面、実に人間的で奥が深いところがあります。堕落した司祭も中にはいますが、それで信仰がなくなるというわけでもなく、混沌をそのまま受け入れています。(p.92)

●一例として、日本郵政は就職先として上位の人気企業かもしれませんが、どうして日本郵政へ行きたいのか、社外取締役の一人としては言いにくいのですが、理由が思いあたらないのです。人間が字を書かなくなった時代ですから、郵便事業が年々赤字続きなのは当然です。いつになったら郵便事業を止めるのか、誰も口にしませんが、私は「もう止めた方がいい」と思っています。止めるのは、恥でも何でもないことです。物事にはすべて潮流というものがあり、扇子屋も墨屋も事業自体が悪かったわけではなく、世の中が、時代が変わってしまったのです。人間がいつかは死ぬのと同じように、どんな仕事や事業にも終息の哲学とか美学がありますね。何百億もの赤字といっても、一部の人が巨額の横領をしたとか、従業員がうんと怠けたわけでもないのですから、全然恥ではありません。誰かの責任を問うのではなく、事業としての運命を受け入れる勇気があるかどうかの問題です。日本航空の二の舞になる前に郵便事業から賢く、人間的に撤退することは、非常に男らしさの要る決断だと私は考えています。(p.108)

●私はむしろ、へそ曲がりをしていれば食える、と考えるほうです。別に大した根拠はないのですが、みんなと同じ所に向かって行くと踏み殺されるから、とにかく人が行かない方向を選ぶ、他人がやりたがらないことをすれば少しは自分の生きる道があるかもしれない、ということです。(p.109)

●誰もが善人でいい人を装っていては、どんどん世の中が平板になっていきます。人間というものは善悪両面で成り立っていて、善の要素がないのが悪魔、悪の要素がないのが神だとすれば、どちらも私たち人間の手に負えるものではないのです。(p.110)

●同年代の人たちと話をしていると、私たちの世代は「筋金入り」なのかなあ、と思いますよ。それは、お金がなくても生きていられるだろう、と思えるからです。アフリカでは、お金も食べ物もない状況は当り前にありますが、そういう状況に置かれたらどうするか。答えは簡単で、恵んでもらうか、ちょっと盗むしかありません。もちろん盗みは良くないことですが、飢え死にするぐらいなら、誰かの家の裏の干しシイタケでもアジの開きでも失敬するより仕方がない、私はそう考えます。(p.113)

●もう一つの手段は、恥も外聞もなく乞食をすることです。「乞食」と書くと、新聞社も出版社もすぐに削るように言ってきます。しかし、食えるか食えないか、生きるか死ぬかという状態だから「旦那さん、お恵みを」と食を乞うのであって、そうした行為を差別だというのは、世の中の現実を見ようとしない貴族趣味でしかありません。世界中の多くの国で、乞食はれっきとした生業なのです。(p.114)

●人間はどれだけ文明のお世話になるとしても、自力で生きるしかありません。始終そればかり考えてはいられないとしても、もともとこの世は危険と煩わしさと抱き合わせですからね。私は時々それと向き合うことでその都度、何かしら大事なことを教えてもらいました。(p.118)

●藤原正彦さんはイギリスで研究生活を送った経験から、イギリス人がいかに執拗かつ陰険に相手の教養を試そうとするか、よくご存知です。~(中略)~近年、国際会議のような場で評価される日本の政治家がいなくなりました。日本では「いい人」で済みますが、そういう場に出ると単に無教養で無個性な人としか思われない場合が多い。私は昔、大学で、最低限、英語で暮らす人々の間で教養と言われるものが何であるか教わったんです。英文学の主なサワリの所を、英語で言えるとかギリシャ神話の知識とかね。(p.130)

●私の数少ない体験からですが、他の国々の要人からその存在を覚えられたり、一目置かれるかどうかは、ワーキングディナーやコーヒーブレイク、あるいは席について会議が始まるまでのほんの短い立ち話の間に、ちらっと話すことで決まるのだと思います。別にシェイクスピアの一節を持ち出さないまでも、適切な時に適切な言葉で、国際会議に伴う場であればその常識を当然に踏まえた上で、自分らしい表現ができるかどうかが教養なんです。(p.131)

●セーターや上着など、質のいい上等のものは裏地があって手が通しやすいけれど、一枚ものはどうも突っかかって着心地がよくないように、何事にも誰にも裏というものがあり、その方がいいのです。人として生きて行く以上、自分には裏表がある、という自覚が必要です。そして、裏表があると認めることが意外なことに「愛」なのです。(p.136)

●私は、年をとったら何も楽しみがなくなった、という話を聞くと不思議で仕方がありません。男性なら料理教室にでかけてちょっと綺麗な中年の奥さんとお友達になって、たまにはお茶を飲むぐらいしてもかまわない。毎日何もせずに家で寝転んでいるより、その程度のやましさは人間らしくてちょうどいいんじゃありませんか。(p.146)

日本では、年をとって病気になったりして口から食べられなくなると、当り前のように胃に穴を開ける「胃瘻(いろう)」で栄養分を流し込みます。けれど、ものを食べなくなってやがて死ぬのは人間として自然な死に方ですから、そうまでして「食べさせる」必要はないでしょうね。(p.151)

●いずれ日本でも、安楽死が合法かどうかという議論が出てくるだろうと思います。スイスではすでに合法的に認められた組織があって、安楽死を望む人が国境近くで待っていると、迎えの車が来て、2時間程度で処置を終えて戻してくれるのだそうです。けれどその安楽死病院の話を聞いた時、あまりいい気持ちがしなかったのは、組織的に安楽死の処置をする前に何かすべきことがあるのでは、という違和感を覚えたからです。昔の老人は死が近づくとものを食べなくなり、家族はそれを自然に受け容れていました。(p.152)

●しかし今は自宅での死を望んでも、実際は8割以上の人が病院の中で亡くなるという、死が見えづらい社会です。家族みんなが見守る中で祖父母が死に逝く姿を見るのは自然なことなんです。犬や猫でもいいから、子供のうちからそれを見ることで死を学んでいくべきなのです。(p.153)

●宗教学的に正確な言い方ではありませんが、人間は神様の道具(God's Tool)です。つまり、神から見ればそれぞれの人間が、紐なのか鋏(はさみ)なのか、お皿なのか包丁なのか、それはわかりませんが、いつどういう形で使われるかもしれないままに、いつか必ず出番がある。それまでもったいないから取って置きなさい、ということです。(p.161)

●同じことは政府の被災者への初期対応にも表れていました。道が寸断されて救援が入れず飢えと寒さに苦しんでいる人たちへ、なぜ物資の空中投下(エア・ドロップ)ができなかったのか。水や食糧、暖をとる携帯カイロや毛布など、急場をしのぐ最低限の物は投げ落せばどんな所にだって届くんですけどね。物資の投下は海外では常識です。それをしなかったのは法規上の理由からだそうですが、米軍のヘリなどは「やむをえず不時着したが、積載物が多すぎたので荷物を降ろして飛び立った」といって手続きなしで物資を運んだと聞きます。日本側の硬直した姿勢とは正反対の、まさしく超法規の行動です。現代の日本人は「超法規」と言うと、あたかもルール無視の悪いことのように考えますが、私のいう超法規とは、いかにして周りの人たちを守り、一刻も早く法規の世界に戻すか、つまり人間が人間に対して何をできるか、ということを基本から考えることなんです。(p.169)

●法律も制度もあくまで人間が作ったものであって、非常時には停止したり、弱体化したりもする。やがて状況が落ち着いて常態に戻った時にはルールの世界に戻るとしても、非常時にはそれを壊して生きる必要があるのです。(p.171)

●30年近く前、私はマダガスカルの産院に取材して、現実に行われる命の選別をテーマに『時の止まった赤ん坊』という小説を書きました。それを読んだある看護師のシスターに「トリアージも題材になさったんですね」といわれましたが、私自身は当時トリアージという言葉さえ知りませんでした。トリアージ(triage=識別救急)とは簡単に言うと、災害や大事故のような医療資源が限られた非常時に、すでに手遅れ、急を要する、多少はもちそう、という具合に怪我や病気の人に生きられそうな可能性の順位をつけて選別していくことです。(p.174)

●東京の自宅でも、ずっと前から400リットルの水を常備しています。2リットル入りのペットボトルで200本、空気にふれないように蓋まで水を入れて、本当は時々ゆすっておかなきゃいけないんですけどね。船の航海用の真水は常に揺られているから腐らない、という話を聞いたからです。~(中略)~どの家庭も、水だけでなく、厚い布団より断然暖かい寝袋、非常食であり容器にもなる缶入りの乾パン、懐中電灯、使い捨てカイロ、ラジオ-電気が停まっても当分はしのげるだけの備えをしておくことが必要だと思いますし、時には全国規模で緊急停電の訓練をするぐらいしてもいいんでしょうけど。もともと私は自分も他人も信用していないんです。(p.177)

●運というものは人生にも通じます。どれだけ計算したところで、思い通りにうまく行くものではない、ということです。逆に、大して計算もしなくても棚ボタもあるから、その時は素直に喜べばいい。大事なことは、幸福の絶頂でも、絶望のどん底でも運はゼロではないということです。(p.181)

●以下は産経新聞の「正論」でも書いたことですが、戦争中の危険と貧困を体験し、世界中の貧困の僻地を見続けてきた者として大震災に際しても「喜んだ」「喜ばねばならなかった」ことを再録します。~(中略)~
○泣きわめくような附和雷同型の人は被災地にはほとんどいなかった。感情的になっても、ことは解決しないことを日本人の多くは知っている。風評に走らされた人は、むしろ被災地から離れた大都市に見られた。
○地震当夜、野天で寝た人は例外で済んだ。皆どこかの堅牢な壁と屋根のある避難所に入れた。どこの国でも可能なことではない。
○この混乱の中でも荒々しい略奪、放火、暴徒化、集団レイプが起きなかった。犯罪は日常の範囲内で起きる程度で済んだ。遺体や倒壊家屋からの盗み、壊されたコンビニへの侵入や持ち去り、義捐(ぎえん)金詐欺など、極めて人間的な範囲の悪にとどまった。~(中略)~
○日本は東西に長い国で、全身麻痺に陥ることなく、せめて一時的半身麻痺で済んだ。半身が健全でいたら復興はできる。原発事故が日本の東海岸で起きたことも不幸中の幸いであった。偏西風が長い眼で見ると放射性物質による被害をやや小さくしてくれるはずだ。~(中略)~
○人工透析患者に対する手当てさえすばやく考慮された。アフリカではふだんでも透析をしてもらえる患者などまずいない。
○整然と列を作ることのできる国民だった。これも大混乱を防いだ偉大な理由である。
○今回の被災者は災害の直後から自分たちで生活を続けるために働きだした。国民全てに自治能力があるとは限らないのである。
○事故が起きたのは冬の終りだった。時々雪が降っても、春はそう遠くないから。(p.182)

●「喜べ」とは、物事の見方を意識して変えること。この世はオール・オア・ナッシングではないのだから、どんな悲惨の中にあっても一脈の希望の光明は見つけられるし、一方では、どんなに順調と思える時でもひっくり返される脅威は常にあります。(p.185)

●放射能で死んでもいいから自分が生きてきた土地は離れない、という人がいても構わないと私は思います。生活には庶民のたくましさ、強さが宿っているものです。知は無知に優ると誰もがいいますが、知識ある人の弱さと哀しさもあれば、無知ゆえの健全と強さもある。私自身、その両方を卑怯に使い分けながら生きて来たつもりなんです。(p.189)
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