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坂本桂一著「ブレークスルーの瞬間」
坂本さんの本は、以前にも読んだ事があり、セミナーにも行きました。今回、坂本さんの本をまとめて3冊、一気に読みました。これから3冊続けて、ブログにアップしていきます。


●私は、東大時代の学生ベンチャーから始めて、自分でいくつもの会社を立ち上げてきた。いくつかは成功を収め、いくつかは大失敗した。誰でも知っている国民的プロダクトも育てた。年賀状ソフト筆王や電子マネーのウェブマネーなどである。~(中略)~海外とのジョイントベンチャーや、一部上場企業とのジョイントベンチャーを含め、立ち上げにかかわった会社は掛け値なしで100社以上にのぼる。(p.13)

●だが、長い間サラリーマンをやっている方たちの中には、「会社は永遠だ。うちは大企業だから潰れることはない。潰れそうな時には、国や銀行が助けてくれるだろう」といまだに信じている人がいる。我が社は世界シェア1位だし、技術レベルも高い。同業他社の動きにもいつも目を配っている。今の方針で負けることは考えられない。このマーケットはこれからも拡大基調なので、安定して成長できるはずだ……。しかし、不況下でたくさんの会社が潰れているのが現在の状況であり、2008年には、リーマンブラザーズをはじめ、世界に名だたる大企業が潰れてしまった。(p.14)

●1つの企業にとっての"ルビコンを渡る瞬間""桶狭間の瞬間""赤壁の戦いの瞬間"をいくつか取り出し、考察を加えることは価値があることではないか、今後への何らかのヒントが得られるのではないか。得られるものがあるなら、それを見てみたい。そう考えて、いくつかの企業の"ブレークスルーの瞬間"を短い読み物にし、オムニバスに並べたのが本書である。(p.16)

●各社の"ブレークスルーの瞬間"から読み取ってほしいのは、あたかもプロの将棋指しが盤面を読むがごとく、ビジネスを大きく全体として見る大局観である。ビジネスを感覚として見ていける目である。"ビジネス将棋指しの目"という言い方をしてもいいかもしれない。(p.20)

●本物のプロの経営者は、大局観を持って、普通の人には分からない一手をビジネスシーンにおいて打ち出すのである。ビジネスのこと全体を、あるいは、ある会社がどう動くか、その結果どうなるのか、あの競合会社との戦いに勝てるのか、といったことを予測するのは非常に難しい。むしろ不可能に近い。しかし、ビジネス将棋指しは、現実に高い確率でそれをやり遂げてしまうのである。(p.20)

●ソフトバンクに先駆けて出版事業を手がけていたアスキーの元取締役で、のちにマイクロソフト日本法人の社長を務めた古川亨氏に、「なんであのとき出版を最初にやったのか?」と聞いたことがある。すると古川氏は「啓蒙活動のため」だと言う。当時から、パソコンが今後普及していくとは確信していたが、啓蒙する手段がなければ正しい方向に発展していかない。だから出版が必要だったと。先進的なことをやって、それを世の中に正しく広めていくには啓蒙をする必要がある。そのため、自ら発信できる媒体を持っている企業は圧倒的に優位に立てる。だからソフトバンクもアスキーも媒体を持っていたのだ。(p.38)

●そんな状況を変えたのは70年代半ばにアメリカのMITSという会社が発売した、Altair8800というコンピュータだと思う。Altair8800の発売は革命的事件だった。今日、ITの巨人といわれている人々は、当時まだみな無名の十代で、Altair8800の洗礼を受けることとなった。ビル・ゲイツ、ポール・アレン両氏が創業したマイクロソフトも、Altair8800用のBASICを書いたことが事業の立ち上がりだったといえる。これが現在一大産業となっている、パソコン用ソフトウェアの事実上の第1号だったのではないだろうか。(p.51)

●Altair8800は箱の前部に16進のランプが光ることしか出力方法はなかったが、プログラムが書けて、動かすことができるようになっていた。ただ、Altair8800はコンピュータといってもコンピュータキットであり、マシン語と言われる数字の羅列しか受け付けないため、知識がない素人が使うにはかなり難易度の高いものであった。そのような時に、マイクロソフトを創業したビル・ゲイツ氏とポール・アレン氏がAltair8800で使えるプログラミング言語BASICを開発する。(p.53)

●マイクロソフトの最初の偉業は、Altair8800にBASICを供給したことである。Altair8800を作ったMITSも偉大である。しかし、その土台のもとにコンピュータを一般の人が欲しくなるものにしたのがマイクロソフトなのである。Altair8800のBASICを見たアスキーの西和彦氏は、ビル・ゲイツ氏に電話をし、マイクロソフトの極東代理店にさせてくれと言ったという。西氏は当時まだ大学生であったが、ゲイツ氏に会いに米国まで行って独占販売権を獲得した。(p.54)

●PC-8001はNEC製のBASICが採用されることになっていたが、土壇場で西氏がNECを説得し、マイクロソフトBASICを採用させる。世界有数の巨大企業であったNECに西氏が営業して、PC-8001にマイクロソフトBASICが搭載されたことがマイクロソフトのその後の快進撃のはじまりであった。それまでマイクロソフトBASICは、Altair8800のほかいくつかのパソコンにしか採用されていなかったが、これをNECが採用したことで、富士通ほか日本の大企業がこぞって採用し、最終的にアメリカの会社までもが採用するようになった。日本の大企業が採用したことは、マイクロソフトBASICの性能が優れていることの最高の保証であった。すべてが、NECによるマイクロソフトBASICの採用から始まったのだ。つまり、西氏がいなければ、実は今のマイクロソフトの繁栄もなかったかもしれない。(p.55)

●そうした状況に危機意識を持った国は、国策として光学技術の強化を推進し、国策企業として日本光学(現ニコン)を設立するなど官主導でメーカーを育成、当時の世界水準の技術を生み出していく。(p.71)

●また、アメリカ人にはこちら側の考えをきちんと言葉にして説明することが大変重要である。先ほどの話で言うと、ソフト業界の収益構造が既存の業界と違うことくらい、皆が暗黙的に理解していると思うかもしれない。しかし、そうだとしても、それを言語としてきちんと伝えることが必要なのである。日本にいると、皆が同じ認識を持っていると思いがちだが、実際にはそんなことはありえない。改めてきちんと説明する必要がある。(p.104)

余談だが、アメリカ人のビジネスマンは教養の感じられない日常会話的英語は聞きもしない。どこかの英会話学校のコマーシャルではないが、皿洗いをして覚えたスラングだらけで文法無視の英語は、ビジネスの場では聞いてくれない。~(中略)~私の下手だが文法の正しい英語を、彼らは一生懸命聞いてくれた。この英語のルーツはどこにあるかというと、中学・高校時代に学校で習った英語や、受験英語である。日本の英語教育は実際に役に立つのだ(!!)。(p.105)

●ブランディングの基本は隙をつくらないということである。隅々まで徹底されていることがものすごく重要である。たとえ商品がどれだけよくても、カタログの紙が安ければそれだけで購買意欲が損なわれてしまうのだ。言い方を変えれば、ブランドの基本は"いいものがある"ということではなく"悪いところがない"ということかもしれない。(p.117)

●売上げだけで見るとヤマダ電機のほうが圧倒的に大きいが、戦略、オペレーションの質、高い利益率と、どれをとってもヨドバシカメラは他の量販店とは一線を画し、優れているといえる。(p.121)

●カメラ量販店のマーケティングは、それまでの家電量販店と全く異なっていた。ロードサイド型との比較でよくレールサイド型と言われるように、彼らの戦略は、ターミナル駅のそばに大型店を出店し、カメラの安売りで集客力を高め、扱い品目を増やしながら売上げを高めていくというものである。(p.126)

●これらターミナル駅への出店の裏には、客を秋葉原に着く前に取り込んでしまおうという戦略があった。(p.127)

●そして、ヨドバシカメラについて言えば、その戦略の最後の仕上げが2005年にオープンしたマルチメディアAKIBAであった。秋葉原の駅に隣接して巨大店舗を出店することで、秋葉原の電気街に行く前に、客を駅で押さえてしまうというのがその狙いだった。この出店により、電気街としての秋葉原の命運は実質的に絶たれたといってよい。(p.128)

●入退店時における従業員、出入り業者の徹底したボディーチェックを最初に始めたのもヨドバシカメラではないだろうか。かつてはコンビニでの万引きの7割以上が従業員によるものと言われていた。家電量販店における万引きのきちんとした統計データは見たことがないが、おそらくかなりの割合を従業員、出入り業者が占めてきたと思う。人から聞いた話ではあるが、家電量販店では従業員が万引きする場合、欲しい物をこっそりポケットに入れるというようなレベルではなく、店舗が休みの日にトラックでやってきて、欲しい物を荷台に積んでもっていく、というようなことまで行われていたそうである。一般的に小売りにおいては、顧客による万引きより、従業員による万引きリスクのほうが高い。販売管理費を1%下げるのにどの会社も必死に値段交渉している中で、こうした万引きによるロスは恐らく売上比数%はあったであろう。そこに目をつけたヨドバシカメラは、従業員はもちろん、当時の私たちのような取引先であっても店内に入るときはボディーチェックを課し、荷物もすべて預けさせた。これによって実質的には販管費を数%下げるくらいの効果が出たと思われる。(p.130)

●しかも、アポロ以降の40年間、今日に至るまで誰も再度月へ到達したものはいない(最後は1972年12月アポロ17号)。アポロ計画は、古代のピラミッドや万里の長城の構築に匹敵する歴史的な偉業であると私は思う。このビッグプロジェクトの成功の背景には、ヴェルナー・フォン・ブラウン(以下フォン・ブラウン)という一人の卓越した技術者かつプロジェクトマネージャーの存在があった。(p.141)

●1944年に入ると戦局はドイツにとってさらに厳しいものとなっていく。敗戦の流れを感じたブラウン氏は、V2の主要技術者とともに、設計図などを持ってアメリカへ投降することを決意。それも、自分が開発したロケットの技術を守りたいという一心からだった。結果としてアメリカは、300機のV2の実機とともに、ドイツのロケット技術のほぼすべてを独占的に手に入れることになった。ブラウン氏のチームは丁重に扱われ、アメリカ本土へと移送された。アメリカは、同時期に別途開発されていた核兵器とロケットを組み合わせることに大きな可能性を感じていたのだ。核の時代の幕開けであった。アメリカに帰化したブラウン氏は、冷戦における核開発競争の流れの中で、ドイツ時代と同じようにミサイル開発に注力しなければならなかった。しかし、彼は宇宙開発をあきらめたわけではなかった。そしてついに、アメリカは宇宙開発に乗り出すことを決定する。(p.144)

●ポストアポロ計画として企画されたスペースシャトル計画は、「繰り返し使用できる宇宙船」という、過去誰も実現したことがない目的を、過去使ったことがない新しい技術で実現しようとするものであった。~(中略)~結局、スペースシャトルはそれ以前のロケットに比べて危険性が上昇、しかもコストも下がらないという失敗プロジェクトとなってしまった。見たこともない新技術の見本市ではあったが、プロジェクト全体の評価は低い。主要部品は開発コストの問題ですべてを再利用できるようには至らず、また、燃え尽きるまで噴出を止められない固体燃料を使ったために、打ち上げ途中での緊急対応ができないものとなってしまった。(p.153)

●しかし、実はそのビジネスモデルの中身は、今から返り見ると、単純な小売業というより、むしろ"ストック型"の不動産業とも言うべきものであったと思う。出店候補地があれば、まず店舗用地とその周辺の土地を広く一括して取得し、その中に店舗を建てる。店舗ができれば店舗周辺全体の土地の価値が上がり、買っていた土地の価格が上昇する。ダイエーは、店舗用地以外の余剰分の土地を販売し差益を得るほか、店舗の土地資産の含み益を担保に、さらなる出店資金を銀行から借り入れて拡大にドライブをかけていく。(p.159)

●イトーヨーカドーが、セブン-イレブンの日本展開に向けてサウスランド社と本格的に接触を開始したのは、1972年ごろのことだった。~(中略)~そのころ、イトーヨーカドーの鈴木敏文氏は、国内でのスーパー出店にあたって中小商店との折衝を重ねる中で一つの考えを温めていた。それは、大型店の進出に苦境を訴える中小商店の不振の本当の原因は生産性の低さであり、生産性を高めることで大型店と棲み分けるビジネスモデルができるのではないか、ということだった。米国セブン-イレブンのシステムは、その目的にまさに打ってつけに見えた。それはまた、転換期を迎えたスーパー業界にとっても大きなビジネスチャンスであり、またフランチャイズという形で店舗展開することで、地域商店との共存共栄も可能となるのではないかと思われた。(p.163)

●事業開発担当としてこの交渉に携わった鈴木氏は、そのままセブン-イレブン立上げの担当として指揮を執ることになった。そして契約締結後、米国セブン-イレブンのノウハウを余さず身につけようと参加した研修で、彼は愕然とした。期待していたそのノウハウは、日本ではほとんど使い物にならないことが判明したのだ。店内で提供するファストフードは冷凍のハンバーガーやサンドイッチであり、そのオペレーションと味、品揃えは、とても日本の消費者に受け入れられるとは思えなかった。また、店舗開発についても、新規出店中心のアメリカと、酒販店など既存商店の参加・改装が多いと想定される日本とでは全く異なっていた。結局、高いロイヤルティを払って米国セブン-イレブンからそのまま日本に導入できたのは会計システムとロゴぐらい。その他のほぼすべてを日本で一から作り上げていくことになった。(p.164)

●セブン-イレブンの1号店は東京・江東区の酒販店を改装した店舗だった。1974年5月の開店時の品数は約3500点、酒販店時から比べれば点数は飛躍的に増加したが、中身はといえば、鍋、釜まで置く手探り状態であった。迎えた初日、前日から泊まり込んだ本部関係者が見守る中、セブン-イレブンは幕を開けた。この日のセブン-イレブン第1号店の来店客の中には、ダイエーの中内氏の姿もあったという(彼はこの約1年後、自らローソンというブランドでコンビニビジネスをスタートする)。(p.165)

●物流を効率化するためにも、初期から徹底したのが出店時におけるドミナント(エリア集中)戦略である。鈴木氏は1店目の出店エリアである江東区に初期の店舗開発を限定させ、どんなに担当から要請があっても、そのエリア外には一歩も広げることを許さなかった。今日でも、セブン-イレブンがいまだに全都道府県への出店を行っていないのは、この戦略が理由なのだろう。(p.166)

●ジョブズ氏のデザインに対するこだわりは強く、逸話も多い。彼は、「偉大な大工は誰も見ないからといって床裏にひどい木材を使ったりはしない」と、外からは見えない内部の配線の美しさまでこだわっていたという。(p.174)

●ゼロックスが複写機業界における競争優位のために設立したパロアルトで、現在のパソコンや通信の基礎技術の多くが発明されたといってよい。パロアルトが開発した技術の主なものを挙げてみればそのことがわかる。GUIやプルダウンメニュー、マウス、ビットマップディスプレイ(文字と画像が並存できる)などはすべてパロアルトが出発点だった。ゼロックス自身は結局こうした研究からビジネスを生み出すことはなかったが(パロアルトは最も偉大で、最も役に立たなかった研究所と言われる。ゼロックスにビジネスを見極める人材がいなかったというのが一般的な見方だ)、研究所を視察したジョブズ氏は一目でその価値を見抜き、LISA、そしてMacへと活用していく。(p.176)

●新OSの自社開発をあきらめたアップルは、OSを外部から購入することを検討する。目をつけたのは当時ワークステーション用のOSを提供していたNeXT社だった。それはなんと、10年前にアップルを追われたジョブズ氏の会社であった。1996年、アップルはNeXT社の買収を発表。それに伴い、ジョブズ氏はアップルに顧問として帰還を果たす。(p.179)

●しかし、iMacの本当の革新性はそのコンセプトにあった。外部機器接続として、当時まだ珍しかったUSBを利用、主流だったフロッピーディスクドライブは廃した。そして何よりiMacは、必要な情報はインターネットから取ってくることを想定した、初の「インターネットマシン」であった。このコンセプトは、今日の「クラウドコンピューティング」(ユーザー側の端末は最低限の機能だけで、ソフトウェアやデータなどはネットワーク上のサーバーに置き、都度ネットワークを利用するコンピューティングスタイル)につながる、まさに再び「時代を10年先取り」したものであった。(p.180)

●全方位の展開により、マクドナルドのビジネスは単なるハンバーガーチェーンの枠を超えつつある。ある時はハンバーガーチェーンと競合するが、別の時間帯はカフェ、またある時はコンビニや弁当屋、またある時はファミリーレストランと競合するなど、外食領域を超え、中食なども含めた市場に対して新しい食ビジネスとしての地位を築いている。その背景にあるのは、店舗という「箱」のポテンシャルを使い切る、ターゲットや時間帯までを細かく組み合わせた新しいスタイルのマーケティングである。(p.200)

●そうしたことを考えながら、しばらく経ったある日、当時の事業開発室長が電子マネーのプランを持ってやってきた。しかし、彼が持ってきたその内容は一目見て複雑すぎた。エンジニアが考えるプランにありがちな、ユーザーを置き去りにしたプランであった。私は「複雑すぎて、こんなのは絶対普及せんから」と、その場でホワイトボードを使ってビジネスの仕組みを考え始めた。まず私は、「電子マネー」という実体がないものを、実体がないまま売ろうとしてもうまくいかないと考えた。いきなり「これが電子マネーです」と言われても一般のユーザーはピンとこない。さらに、販路として想定していたコンビニの店員も、当時はまだインターネットを知らない人がほとんどであり、電子マネーと言ってもその概念を理解できないと思われた。そこで私は、ちょうどテレホンカードが衰退していた時期でもあったので、その販路を活用することを考えた。電子マネーにプリペイドカードという形で実体を与え、テレホンカードと同じ経路で流通させることにしたのである。(p.207)

●こうしてウェブマネーが使えるサイトが増えていくにつれ、決済数も増えていった。そして、それがある程度の数に達したのを見て、コンビニではサンクス1社だけにウェブマネーを卸し始めた。サンクスを選んだのは、その店舗数と立地がウェブマネーの初期にはちょうどよい組み合わせだったからである。大手のコンビニでは店舗数が多すぎて、市中の滞留在庫数が大きくなりすぎる。深夜、ゲームをするためにセブン-イレブンやローソンを通り過ぎてサンクスにウェブマネーを買いに行き、ほかのものも買ってくれればサンクスもうれしい。(p.215)

●営業マンは「売る」ことによって評価されるため、商品やサービスを本能的に「売ろう」とすることが多い。しかし、目先の「売る」ための「戦術」と、1000億円規模の大きなビジネスを作るための「戦略」とは全く異なるものである。マラソンを考えてみてほしい。ランナーは最初から最後まで全力で走るのではなく、最初は先頭グループの後ろについていって、○キロ地点で勝負をかけるといった、戦略と戦術の使い分けを当然のように行う。ところがビジネスでは皆、戦略と戦術をごちゃごちゃにし、最初から全力で売りに行こうとしてしまう。「戦略」は「戦術」の延長戦上にはない。戦略上は、ときに「売らない」という選択肢(戦術)を取ることが近道の場合もある。「当初1~2年は積極的には売らない」というデシジョンを下したときこそが、ウェブマネーの"ブレークスルーの瞬間"であった。(p.216)

●IMF危機が、韓国企業が成長するスタート台になったことが分かるはずだ。さらに、経済重視だった韓国政府が、大きな業界再編を促すことで産業育成を側面から支援した。多数あった自動車メーカーは現代・起亜自動車グループだけにまとめられて、鉄鋼も実質的にポスコに集約、電機はサムスンとLGの2社にまとめられた。このように、国内市場で戦うのではなく、世界市場で戦うことを初めから想定し、危機的状況を好機とばかりに活かして、さらには海外市場で戦うための体制を国とともに構築したことが、強い韓国企業を作りだしていったのだ。(p.225)

●例えば、サムスンの会長は日本への留学経験も長く、日本企業が世界に進出するときにどのように失敗し、どのように成功したかを事細かに研究している。(p.228)

●けれど、この本の本当の目的は、プロローグで述べたように、多くの"ブレークスルーの瞬間"を目のあたりにすることで、読者の皆さんに、ビジネス社会で活動していくときの判断基準のもとになる、いわゆる大局観を身につけていただくことにあります。(p.232)
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