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坂本桂一著「頭のいい人が儲からない理由」
坂本さんの本、一気に3冊まとめ読みしたものの2冊目です。

●だが、私の周りの多くがそうであるように、あなたはムダな努力をし、ムダに金を使い、ムダなチャレンジをし、大変ムダな時間の使い方をして、あっという間に若くなくなっていく可能性が高い。(p.5)

●本書の根底を流れる思想は、「戦略と戦術とはまったく違う。戦術の延長上には戦略はない」ということだ。戦略のとり方によっては、売らないほうが売れたり、努力しないほうが結果がよかったり、鈍くさい人がトップになったほうがビジネスに成功したりする。そんな常識にはずれたことばかりが本書には登場するが、常識こそウイルスである。もうすでに感染しているのに気付かない。気付かないまま寿命を迎えるか、気付いたときにはもう手遅れか。本書を読めば、いかに常識が間違っていて、ビジネスに害を与えているかが、わかるだろう。戦略を考えずに闇雲に努力することこそ、時間の浪費なのだ。(p.5)

●成功か失敗かの鍵は、なにをやるかのWHATではなく、どうやってやるかのHOWにかかっているに決まっている。それなのに、どうも日本人はいつもどこかに正解があると無意識のうちに思ってしまうらしい。それで、正しいWHATを探すのにばかり時間と労力をかけるのだ。そのくせHOWにはそれほど気を使わず、通り一遍のことしかしなかったりする。その結果、うまくいかなかったりすると、やっぱりあっちを選ぶべきだったとその原因をWHATのせいにして後悔するのである。(p.12)

●AとBがあったら、Aを選ぼうがBを選ぼうが、とにかく成功させてしまえば勝ちというのがビジネスの世界なのである。勝負を分けるのはどちらを選んだかではない、絶対に成功させるという気持ちがどれだけ強いかにかかっている。だから、どちらでもいい、まず選ぶ。そんなところで貴重な資源を浪費してはいけない。それらは極力そのあとのHOWに回すべきだ。(p.13)

●それに、どれだけやったところで事業の成功率はせいぜい2割、この私だって5割がいいところだ。現実というのはつねに動いている。最善の戦略を選び、その戦略の下でできるかぎりの戦術を駆使しても、想像を超える変化が起こって前提条件が崩れてしまえばひとたまりもない。(p.15)

●「徹底して追求する」とはどういうことか。非常に単純化していうと、人が1努力するところを、自分は2努力するということだ。たとえば、戦略を考えるのに10の仮説を出したら、そこでやめず、さらにもう10捻り出す粘りがあるなら、その人のサバイバル能力はかなり高いといえよう。だが、2の努力をできる人は実際にはほとんどいない。2努力することが大切だといわれて、頭ではそうだと理解しても、いざ2の努力が必要な局面がくると、ここまで頑張ったのだからもういいだろうとかなんとかいって、みんな1の努力でやめてしまう。これは頭のどこかで、これ以上やっても結果はたいして変わらない、2倍努力したところで結果はせいぜい1.2倍程度と思い込んでいるからだと思う。(p.16)

●ビジネスにおける2の努力の結果は、断じて1.2などではない。ビジネスの世界では、2の努力がもたらすのは5の成果だ。言葉を換えると、成果が飛躍的に伸びる臨界点は、1と2の間にあるのである。みんなこれを知らないから1でやめてしまう。もったいないことだ。いくら努力してもうまくいかないという人はたいてい、この臨界点に届くより前に努力をやめてしまっているとみて間違いない。(p.17)

●決めたことは必ずやり遂げるという精神力は、ビジネスだけでなく、どんな世界でも成功の最低条件ではある。それは間違いない。だが、その精神力も、これが俺のやり方だとわき目も振らず猪突猛進の方向に行ってしまうと、今度は失敗の原因になりかねない。そういう意味では、一本筋の通った人間より、器用さを持ち合わせた人のほうが、ビジネスにおいては成功しやすいといえる。(p.30)

●頭では変化を理解しても受け入れようとすると、体が猛烈な拒絶反応を示してしまうのだ。結局、そういう人は恐竜と同じ運命をたどることになるだろう。変化をうらみながら滅んでいくしかない。それが嫌なら若いうちに、さまざまな人に会ったり、いろいろな組織を経験したりして、この世界にはたくさんの価値観があるということを、その身をもって知っておくことだ。言い換えれば、変化への対応力を磨いておくべきだ。これをせず、なまじ成功したりすると、その成功体験を成り立たせた価値観が自分にとって絶対のものになり、そこから外に出られなくなってしまうのである。そうならないためには、自分が正しいと信じていることもまた多くの価値観のひとつにすぎないということに、できるだけ早く気がつく必要がある。(p.32)

●それより、これをやりたいというものがあるなら、それを確実に実現させるにはどうすればいいか考えることにもっと時間を割くべきだ。もし、成功の秘訣があるとするなら、それ以外ないと私は思う。実際、私の知っている世に成功者と呼ばれる起業家たちは例外なく、もうこれ以上無理だというくらいギリギリのところまで考えに考えて、頭の中に完璧なイメージをつくりあげてから行動を起こしている。まだ何も実現していないことを、あたかも見てきたかのごとく話せるくらいに。これが重要だ。(p.34)

●たしかに初期投資でカネが出ていっているときに、高い掛け率で仕入れ先に支払わなければならないとなると、苦労した割に利益はほとんど残らないから、売る喜びというのが湧いてこない。それなのに、たくさん売れれば掛け率も下がって儲かるじゃないかと尻を叩くのは、楽になりたければもっと働けといって農民からきびしい年貢を取り立てた江戸時代の役人のやり方と根っこは同じだ。~(中略)~これに対しユダヤの場合は、作り手と売り手がひとつのチームという発想なのである。~(中略)~このように、日本人の考える常識というのは、国境を越えても通用する普遍的なものでもなんでもないのだから、しがみついたり過大にその価値を評価したりするのはやめたほうがいい。(p.42)

●だから、少なくとも自分で会社をつくって経営してやろうという人間なら、商品の値段決めひとつとってみても、安いほうが売りやすいに決まっているなどと安易に考えてはいけない。最適価格というのは、いくらのとき何個売れて利益が最大になるのかというシミュレーションを徹底してやったうえで初めて決まるものなのだ。売れなければ値段を下げればいいなどという理屈は、商売にはない。それこそ日本人だけに通用する常識のひとつである。(p.43)

●市場に新規参入する際は、少しずつ様子を見ながら、徐々に販路を広げていくというやり方を、多くの人は無条件で選択する。つい選択してしまうこういう考え方を、私は「暗黙の仮説」と呼ぶ。そして、暗黙の仮説をそのまま採用すると、たいていは失敗する。(p.44)

●同じ陸上競技であっても百メートルと42.195キロでは、求められる走りの質はまるっきり違う。百メートルを9秒台で走れるからといって、その選手がマラソンでも世界記録を出せるわけではない。~(中略)~ところが、これがビジネスになるとなぜか、百メートルの走り方のまま距離だけ延ばしていけばそれでマラソンも攻略できると、みんな平気で錯覚してしまうのだ。たとえば、目の前の百の在庫をさばくというのは戦術のレベルである。だが、いくらその手の目先の戦術を重ねていったところで、3年後にシェア1位を確保するというゴールをクリアするための戦略になりはしない。その時、その時に全力疾走することが、つねに最善の方法論であるはずがないし、そもそも戦略というのはそうやって、演繹的にできあがるものではないのである。(p.44)

●それから、暗黙の仮説には代表的なものがもうひとつある。値段を下げれば売れやすくなるというのがそうだ。いっておくが、こんな事実はない。(p.45)

●戦略を練るというのは、暗黙の仮説だけでなく、ありとあらゆる仮説を考え、それらを横一列に並べて、そこからいちばん成功の確率が高そうなものを選ぶということだ。たとえば、20日間で営業の結果を出さなければならないのなら、私ならその20日間をフルに走り回るなどという無謀なことはしない。まずは喫茶店にでも入って、じっくり戦略を立てる。初日に売り上げは捨てるのだから、実質19日間で勝負することになるが、そんなもの1日あたりの効率を5パーセントアップすればいいだけの話だ。むしろ、私の経験では、1日かけて最善の仮説を選ぶことができれば、なにも考えず営業するよりも30パーセントは確実に効率は上がる。(p.46)

●今日できるだけたくさん売ることが、将来の成功につながる。安いのはいいことだ。やらなければならないことがたくさんあるから、寝ないでやろう。つねに全力疾走すべき……。こういう考え方というのは、いわば人間の本能のようなものだと思う。暗黙の仮説というのは、まさに本能に基づいた行動なのだ。だから、誰もが違和感なく受け入れてしまう。そこに危険が潜んでいる。本能的なふるまいというのは、大自然の中で生きる時には有効かもしれないが、人工的でルールのある社会においては、必ずしもそれが有利に働くとは限らない。むしろ、競争に勝つためには、あえて本能に逆らう選択をしなければならないことのほうが圧倒的に多いのである。(p.49)

●戦略に時間をかけろという話を聞いて、さっそく朝から12時間ぶっ通しで戦略会議を行ったところで、最後の数時間は前半の焼き直しのような意見しか出てこないだろう。それより、6時間ずつ2日、あるいは4時間ずつ3日間でやったほうが、より密度の濃い議論ができるのではないか。戦略以前に、こういう発想ができるかどうかで、すでに差はついているのである。(p.50)

●忙しい人というのは単に、時間の使い方、生かし方がそれだけ下手なのだ。そういう人がなにに時間を使っているのかをよくみてみると、たいていは、どうでもいいことに毎日何時間も費やしていて、肝心なことをやっていない。とりわけ、そういう人たちは、自分を納得させるためだけに多くの時間を割いている。この、自分を納得させるための時間こそ、どうでもいい時間の最たるものだろう。(p.51)

●私は、朝の9時から夕方の5時までが就業時間で、そこで終わらなかった仕事は残業してやるとか、1週間は月曜から始まるというような発想が、仕事の密度を下げているような気がして仕方がない。(p.53)

●仕事ができるようになりたかったら、まず、新聞を読むのをやめること。まあ、それは極端としても、新聞にたよるのをやめたほうがよい。私自身この20年、新聞をまったく読んでいない。それまでは毎日5紙、それこそ隅から隅まで舐めるように読んでいた。でも、やめた。ムダだと気づいたからだ。それで、なにか不自由があったかというと、なにもない。(p.56)

●それに、新聞は社会の公器といいながら、そこに掲載されている記事には明らかにいろいろな事情によるバイアスがかかっている。新聞には必要な情報が載っているということ自体が幻想なのである。(p.58)

●それでは、現代において仕事ができるというのは、いったいどんな人を指すのか。それは、インプットした情報の付加価値を高めてアウトプットできる人のことである。同じ情報も彼というモジュールを通過すると価値が上がるとなったら、その人はどこの企業からも引く手あまたなのは間違いない。それは、言葉を換えると、考える能力の差ということだ。(p.59)

●新聞よりはまだ漫画のほうがましだ。頭は疲れないし、リラックスできる。それに、現実離れしたストーリーで頭を柔らかくしておくのも、発想のクリエイティビティを高めるのに効果がある。(p.60)

●ビジネスには法則がある。雑な人間は絶対に成功しないというのもそのひとつだ。雑というのは、たとえば、次の四半期に新規顧客を10件開拓しろというノルマが課せられたら、すぐに会社を飛び出して、朝から晩まで飛び込み営業をするようなことを指す。(p.66)

●ビジネスというのは勝負だ。最善の方法論で勝負に臨んだものだけが、市場という土俵で勝利をおさめることができる。(p.67)

●戦略こそが重要な鍵をもつということを、一流のビジネスマンはみんな知っている。一方、仕事ができない人ほど、流した汗は裏切らないなどとうそぶき、徒手空拳で勝負に向かう。~(中略)~ただし、最善といっても、唯一絶対的に正しい方法論がどこかにあらかじめ隠されているということではない。もしそういうものがあるとすれば、それは「神のみぞ知る」のであって、実際に試してみないかぎりわれわれ人間には、その戦略が果たして最善かどうか知ることはできないのだ。つまり、戦略というのは仮説なのであって、考えうるあらゆる仮説の中から、これが最善だ、これしかないというものをひとつ選ぶのが、戦略を立てるということなのである。(p.68)

●だから、マトリックスを使いたければ過去の整理に限定すること。しかも、そこから未来の答えが導き出されることは絶対にないと全員が自覚しておかなければならない。では、未来戦略を立てるには、マトリックスの代わりになにを使えばいいのか。それは、頭と言葉だ。こうすればどうなる、こうしたらどうだ……そういう仮説を、もうこれ以上出ないというところまで愚直に搾り出すのである。私が新規事業などのコンセプトを作る際は、壁じゅうに模造紙を貼った部屋にブレーンを集め、そこに朝から晩まで缶詰になって出た仮説をどんどん書き込んでいく。それを週末を使ったり合宿をしたりして、もしそれが新規事業立案なら、3ヵ月、延べ200から300時間かけてやるのが普通だ。とにかく、人間に考えられるすべての仮説を出し尽くさなければ、自信をもってこれだといえるコンセプトには到達できないのである。(p.71)

●ウイナー・ゲッツ・オール、ただひとりの勝者がすべてを手にするのが21世紀だという言葉を聞いたことがあるだろう。みんなそう思っているはずなのに、なぜ平均的なコンセプトのまま走り出せるのか私にはよく理解できない。(p.72)

●もちろん、私もインターネットに可能性を感じていたひとりだし、やりたいことやアイデアはいくつもあった。だが、私はやりたいことよりも、勝てることを優先して戦略を考えた。どんなアイデアがインターネットの世界で受け入れられるかまだわからないが、ビジネスとして確実に成功する方法は、探せば必ずある。だから、まずはそこで成功を収め、それからやりたいことをやればいい。(p.73)

●本当の戦略を知らず、経験や感覚でビジネスを始めても、きちんとした戦略で攻めてこられたらひとたまりもないということを私はいいたいのである。成功の確率を高めたかったら、最初に課題を明確にし、その課題はこうやって解決するという仮説を考えられるだけ挙げ、徹底的に比較検証し、そこからもっとも優れたひとつを選んで戦略とするという正しいやり方で戦略を立てることを学ぶべきだ。(p.83)

●よく、ビジネスを食うか食われるかの弱肉強食の世界に喩える人がいるが、それは違う。たとえ勝負に負けようが、その負けをも商売のネタにして儲けることができるのがビジネスなのである。実際、宛名職人には計算どおりの利益が入ったし、私のほうはエンジニアをウィンドウズ版に集中できるようになった分、ウィンドウズ版筆王の売り上げが伸び、それでマッキントッシュ版のマイナスは楽に回収できお釣りがきたくらいだ。さらに、アジェンダからの利益が加わったのである。まさに、これこそが撤退益を出すビジネスモデルというわけだ。(p.99)

●実際、マーケットがないところで大ヒットを飛ばした事例はこれまでもたくさんある。たとえば、現在はオリンパスの顧問を務める米谷美久氏が開発したオリンパス・ペン。それまでは売るほうにも買うほうにも、カメラというのは高級品だという共通のイメージがあったので、コンパクトで使いやすく安価というペンのコンセプトを米谷氏がいくら説明しても、営業からは市場がないから売れないと反対され、製造現場からもそんなオモチャはつくれないと、最初は総スカンを食らったそうである。それが、蓋を開けてみれば全世界で1千万台以上を売る空前の大ヒット商品となった。マーケットはなかったが、マーケットが待たれていることを、米谷氏は知っていたのである。近い例ではグーグル。ラリー・ページとセルゲイ・ブリンが、検索というビジネスモデルがあるかどうかマーケティング会社に調査を頼んでいたら、検索エンジンで7千億円以上売り上げるビジネスは生まれていなかっただろう。(p.136)

●成功に必要なのはクリエイティビティであり、イマジネーションであり、考えることであって、調べることでは断じてないのだ。(p.137)

●ビジネスにもまったく同じことがいえる。与えられた仕事を処理するのと、自分で仕事を創出するのとでは、商人と小説家のごとく必要な能力が180度違うのだ。みんなここを勘違いしているから、なまじ人より処理能力が高いと、自分でビジネスをやっても成功するんじゃないかと錯覚して、勇んで起業し痛い目を見てしまうのだ。(p.139)

●私が最初の会社であるサムシンググッドをつくったときも、動機はただひとつ、ポルシェに乗りたい、それだけだった。ポルシェなんてサラリーマンをやっていてもなかなか買えない。だけど、自分で会社をつくり、必死に働けばすぐ買えるかもしれないと思ったのだ。(p.142)

●サムシンググッドは、起業どころかサラリーマン経験すらない東大生5人が集まって、駒場の学食で産声をあげた。(p.144)

●一流大学から一流企業に入り、順調に出世の階段を上ってきた人ほど、失敗に慣れていない分、失敗を過剰に恐れる傾向にある。そうするとどうなるか。どうすれば成功するかではなく、どうすれば失敗しないかという発想になってしまう。(p.153)

●また、事業に失敗したことでプライドが傷ついて立ち直れないという人は、一度『般若心経』でも読んでみるといい。そこには色即是空、空即是色、この世に存在する形あるすべてのものは、永遠に存在することなどできないと書いてある。そう、あのトヨタだってソニーだって、いずれは衰退しこの世からなくなるときがくるのである。トヨタやソニーどころか、世界を丸く支配したといわれるモンゴル帝国だって消滅した。それなのに、あなたがひとつ会社をつぶしたからといってなにが恥ずかしいものか。(p.156)

●ビジネスで成功したければ、信念と執念をもって全力で取り組むのは当たり前だが、俯瞰してみれば、仕事なんて人生の一部でしかない。成功して大金持ちになったとしても、その人の人間としての価値が財布の大きさだけ膨らんだわけではないし、失敗して借金を抱えても、失ったのはカネだけであって、人生を丸ごとなくしたということではないのである。一銭もなくたって、友だちがいれば飯ぐらい食べさせてくれるだろうし、公園で寝泊まりしても生きていける。借金取りが来ても、ないものは払えないし、たとえ相手がヤクザであっても、カネがない人間を殺したところで自分が損するだけだから、無一文の人間の命を取ったりはしない。つまり、カネが人を殺しに来るなんてことはないのだ。それなのに、借金が返せないからと自ら死を選んでしまうなんていうのは大バカ者としかいいようがない。カネなんて、なくなったらまた稼げばいい。会社だって、一度つぶしたら、もうつくっちゃいけませんなんていう法律はないのだから、やる気があるなら何度だってつくればいいのだ。(p.158)
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