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武田邦彦著「偽善エコロジー」
Twitterでフォローしている楠木健さんが、『それを言っちゃあお仕舞いよ、という話が続く。工学的には無駄なことばかりしているわけだが、世の中そんなもんだ、とも思う。』とつぶやいているのを見て、興味を持ちAmazonで注文。


●環境問題でも同じで、マスメディアが「環境キャンペーン」なるものを張って、読者を指導します。実際は地盤沈下で海に浸食されているツバルという島国を、「温暖化による海面上昇で沈んだ」という事実に反する情報を流し、読者にある考えを植えつけるようなことがよい例です。(p.10)

●この本は、これまで続けてきた「ウソの環境生活」をこの辺でやめよう、これからは後ろめたさのない生活、表面上は環境にいいといっているけれども、実は自分が得すればいいのだという「環境」から、本当に日本のため、子孫のためになる「環境」に切り替える時期ではないかと思い、執筆しました。多くの人が「環境を大切にしたい」と願っています。しかしながら、年賀状に「40%リサイクル紙」と書いてあるのを信じていたら、ほとんどリサイクル紙が入っていなかったり、毎日こまめに洗って分別して出しているプラスチックの多くが、実は焼却されていたりと、年金問題や食品偽装と同じように、環境に関しても偽装が増えて、せっかくの努力が無駄になっているのではないかと思うと、心配になってしまいます。今回、可能な限り、確実な情報を整理しました。地球温暖化についてはIPCC(気候変動に関する政府間パネル)という国連機関のデータを、毒物についてはその道の専門家の信頼できる論文を、そして海外のことについてはその国の新聞などをあたり、「本当に環境を守るためには」という視点から書いています。そしてこの本の中で日常的に皆さんが得ている情報と違う場合には、その出典や理由を、詳しく説明しながら進もうと思います。(p.10)

●家庭でよく見かける「ポリ袋」や「レジ袋」は、かつて「ビニール袋」と呼ばれました。これは「塩化ビニール」という成分の名前からきているのですが、それまで無駄にしていたオレフィン成分からできるポリエチレンに変わり、袋の名前も「ビニール袋」から「ポリ袋」になりました。(p.17)

●そのような状態だったのに、そして、石油化学の若い技術者が一所懸命、努力してなんとか石油の成分を残らず有効に使えるようにしたレジ袋を、「環境のため」といって追放しようとするのですから、その間違った考え方を直したほうがよいでしょう。もともとレジ袋が「タダ」で供給されるようになったのは、価値がなかったものが使えるようになったという背景があったのです。(p.17)

●このようにして生まれたレジ袋をやめた場合、どうなるでしょうか?レジ袋を追放すると、新しく3つのことをしなければなりません。まずレジ袋に使っていた石油の成分を、違う用途にまわさなければならないこと、第2に、レジ袋に代わる買い物袋を製造すること、そして第3に、ゴミを捨てるときにレジ袋に代わる専用ゴミ袋を作らなければならないことです。まず単純にレジ袋をやめれば、これまでレジ袋用に作られていた原料がいらなくなるので、それをまた煙突で燃やさなければなりません。~(中略)~レジ袋が環境に影響を与えるぐらい多く使われているなら、その代わりのものを探すのも大変です。多くの人は「レジ袋を減らした分だけ石油の消費量が減る」と錯覚していますが、石油の成分は1種類ではないので、他のものも同時に減らないと効果は上がりません。(p.18)

●エコバッグの多くはBTX成分からできています。ですから、もし、レジ袋の代わりにエコバッグを買い、エコバッグが汚れたからといって1年に1度買い換えることになると、石油を使う量はレジ袋の比ではありません。少ない量のBTX成分を使ってエコバッグを作り、あまっている成分は燃やすという昔へ逆戻りしてしまいます。「エコバッグ」と名付けてエコのように偽装する手口も感心しません。対策として、エコバッグを綿で作ったりする方法がありますが、100%綿でできていない限り、さらに石油を多く使うことになります。第3に、毎日の生活では生ゴミや小さな紙くずなどのゴミが出ます。このゴミを捨てるには「袋」が必要で、これまではタダでもらったレジ袋を代用していました。どうせ燃やしてしまうのですから「使った残りものをリユース(再利用)する」というのがいちばんよいのですが、なぜかレジ袋は多くの自治体で再利用が禁止され、レジ袋と同じ成分でできた「ポリエチレン製専用ゴミ袋」を消費者が新たに買って使わなければならなくなっています。これほど非合理的なことが起こるとはビックリします。もともと使い道のない原料を使って石油の有効利用をしているのに、より貴重な資源を使うエコバッグを推奨し、せっかくゴミ袋として再利用できるのに、新品のゴミ袋を買わせるのです。環境というのは、一つひとつのことを個別に考えてすむものではありません。「環境」そのものが総合的なものですから、環境によいことを何かするときには、その影響が全体としてどのようなものかを考えなければならないのは当然です。(p.19)

●「環境」というと、誰でもエネルギーや食糧、地域の町作りなどを思い浮かべますが、現在の日本の役所の構造では、「エネルギーの節約」は経済産業省、「食べ物関係」は農林水産省、「川や道路、町作り」は国土交通省が担当しておりますから、環境省はそれらに手を出すことができません。そうすると、肝心の環境問題で環境省が担当しているものがいないので、何かテーマを探さなければなりません。それで環境省から出てきたのが、「クールビズ」や「レジ袋の追放」のように、「社会の一部だけを見た環境政策」なのです。レジ袋を追放して、かつ、「買い物袋」も「専用ゴミ袋」もいらないのなら、石油の消費量を減らすことになりますが、レジ袋の代わりのものがいるのですから、消費量がほとんど変わらないのは素人目にもわかります。(p.20)

●レジ袋に使っている石油重量(消費量)は現在25万トン。仮に、百歩譲って、レジ袋を追放し、専用ゴミ袋とエコバッグを使うことで石油消費量が半分になり、12.5万トンになったとしても、全体のエネルギー量からすると、わずか0.023%の削減にしかなりません。~(中略)~個人の思想信条でレジ袋を使わないのは良いのですが、とても社会運動として展開したり、他人に強制するものではありません。(p.21)

●このように考えてくると、日本の森林をこれからどのように利用すればよいかが見えてきます。まず、国内での森林利用率を増やすこと-無意味な紙のリサイクルをやめ、国内で作った割り箸を使い、割り箸以外の端材の上手な利用法を考えることです。また、日本の地形や人工林、天然林のことを視野に入れ、今より合理的な森全体の利用法を考える必要があります。戦後、日本は人工林を増やし、そこにすぐ育つスギを植えました。それが成長して今では利用もされず、ただ花粉を大量に放出して、花粉症で苦しむ人を増やしているという状態です。(p.33)

●ところが、どんどん水の使用量が増え、現在では1人当たり1日300リットルの水を使っています(図表4)。数字だけではピンとこないかもしれませんが、500ミリリットル入りのペットボトルに入れると、600本分という大量の水です。これを1人1日使うのです。どうしてこんなに大量に使うようになったかというと、いちばんの原因は水洗トイレです(図表5)。(p.37)

●日本の環境問題への意識が高まり、かなり長い間、節約や節水といった行動をしているにもかかわらず、なかなか成果が上がらないのは、私たちが求めてきた快適な現代生活と、頭で思い描く環境問題の解決が、同時に手に入れられると、錯覚しているからに他なりません。(p.42)

●水洗トイレも同じで、昔のような衛生的ではないトイレを使えば、水はほとんど使いません。でも衛生環境は悪くなるでしょう。だから水洗トイレを使って水を節約するのだといっても、そのような努力、「もったいない」という思いから出る行動と、水洗トイレがなかったときの行動がもたらす結果は、桁が違うことを知らなければなりません。(p.43)

●天然ものは、養殖ものと比較するとさらにエネルギーを多く使うのですが、養殖のように、運動不足で抗生物質などを与えていることもないので、安心して食べることができます。(p.50)

●環境団体がバイオエタノールを支持するのは、石油は自動車の燃料に使うと二酸化炭素が出て地球の温暖化につながるけれども、トウモロコシやサトウキビは、太陽の光でできるので、そこから作ったエタノールを燃料にして自動車を走らせても二酸化炭素は出ない、と考えているからです。それを「カーボン・ニュートラル」と呼び、食料から自動車燃料への転換を推し進めているのです。しかし、ここには大きな錯覚があります。(p.56)

●いま自動車燃料にするというサトウキビにしても、トウモロコシにしても、食べられますし、おいしいものです。それをエタノールにして自動車の燃料にするということは、コムギをパンにし、暖炉にくべることとまったく同じです。(p.57)

●さらに悪いことには、自動車の燃料を買う人はお金持ちなので、少しぐらい食料の値段が上がっても基本的には購入します。すると、ますます貧しい人が食料を買えなくなるのです。ですから、バイオエタノールが環境にいいかというと、明確にNO!と言えます。温暖化も怖いと言えば怖いのですが、餓死は直接的に人の命を奪うからです。(p.58)

●ですから、苦労してトウモロコシをエタノールにして、それを自動車にくべるくらいなら、最初から石油を直接ガソリンにまわすのと同じですから、何をやっているのかわからないといえます。しかし世界には、多くの専門家、エネルギーや食糧の専門家がいるのに、なぜこんな奇妙なことが「カーボン・ニュートラル」という名前を付けて行われるのでしょうか。それは、農業団体や石油団体が、より安定した商売をしようという思惑と圧力があって、それに環境によさそうな響きを持つ「バイオエタノール」を推し進めるという政治的な力からくるものなのです。(p.60)

●2008年の正月があけて、テレビや新聞は一斉に「地球温暖化を防ぐためにあなたは何ができますか?」と呼びかけました。しかし、結論から言うとそれは無理な話です。人間は日々希望を持って生活していますが、いつも叶うわけではありません。人間には「そうなりたい」と願っても、できることとできないことがあります。その典型的なものが「温暖化を防ぐ」ことで、できないものはできないのです。(p.63)

●たとえば、ドイツは1990年に東ドイツと西ドイツが統一され、東ドイツの石炭の発電所を止めているので、形式的には削減になっていますが、実質的には増加になります。京都議定書は政治的な条約ですが、温暖化は科学の問題ですから、いくら言い訳があっても、二酸化炭素が増えれば温度が上がるというのは変わりません。基準年などというのは政治の話で、科学がもとになった話ではありません。この辺の詳細は、拙著『環境問題はなぜウソがまかり通るのか2』(洋泉社)をご覧ください。ともかく知っておかなければならないのは、現在、世界中で「温暖化を防ぐために京都議定書を守りましょう」と言っている国は日本だけで、実質的に削減努力をしているのも日本ただ1カ国だけなのです。(p.64)

●世界の人々が温暖化を止めようとしていないのですから、現実に温暖化するでしょう。では、私たちはどうすればいいのでしょうか。自分の身は自分で守るしかありません。自分の身を守るということは、夏の40℃の中でも熱中症にならないようにするとか、涼しいところに住むということです。後でもとりあげますが、みなさんが夏の熱い日に、いくらクーラーを止めても、温暖化は止まりません。反対に、身を守るために夏はクーラーをつけなければいけません。これは、台風を止めることはできないけれども、戸や窓枠、屋根瓦、アンテナ、庭木などを固定・修理したり、植木鉢など飛ばされそうなものは屋内に入れたりして、台風に備えることができるということと同じです。(p.67)

●「直(ちょく)にして礼(れい)なければ則(すなわ)ち絞(こう)す」-これは孔子の言葉ですが、その意味は、「正義感が強すぎて、真面目すぎると、かえって(周囲を)絞めつけるようになる」という意味です。"真面目"というのは立派なのだけれども、それがいきすぎて絞めるようになってしまう、つまり、「二酸化炭素を減らさなければいけない。私がこれだけやっているのだから、あなたの国もやりなさい」と言いはじめると、まわりの国は引いてしまって、国際的に孤立した状態になっているのです。(p.69)

●また、電力会社がよく広告で節電を呼びかけていますが、利益優先の企業の価値観からすると、不思議に思う人もいるでしょう。普通に考えれば消費者が電気を使ってくれたほうが儲かるからです。では、電力会社が身を削って温暖化のことを考えているのかといえば、そういうわけでもありません。電力会社は基本的に競争がなく、売り上げが上がっても下がっても、それに応じて電気料金を変える仕組みになっています。実際、日本の電気料金は高止まりしています。政治家とつながりを持ち、電気料金の認可をもらえば問題ないので、消費者には、節電のような「会社の利益が減る方向での広告」を呼びかけることができるのです。(p.73)

●ダイオキシンは、身近にある「危険なもの」の代表として、多くの人に今でも敵対視されています。でも実際には「それほど危険ではないもの」なのです。今まで聞いてきたこととあまりにも違うので、びっくりされる方が多いのですが、事実は事実です。(p.82)

●2001年1月、当時、東京大学医学部教授で免疫学や毒物学の日本の第一人者であった和田攻(わだおさむ)教授が、「ダイオキシンはヒトの猛毒で最強の発癌物質か」という論文を書かれました。~(中略)~ダイオキシンに関する先生のご論文の最初と最後の部分を紹介します。~(中略)~この論文に書かれた細かいデータは割愛しますが、結論を示したいと思います。「少なくともヒトは、モルモットのようなダイオキシン感受性動物ではない。また、現状の環境中ダイオキシン発生状況からみて、一般の人々にダイオキシンによる健康障害が発生する可能性は、サリン事件のような特殊な場合を除いて、ほとんどないと考えられる」(p.84)

●この和田先生の論文は今でも否定されていません。むしろ、この論文が発表されてからすでに7年を過ぎ、また日本でいちばんダイオキシンが多かった1970年から38年もたっているのに、患者さんは1人もいません。まさに、和田先生の結論どおりになっているのです。(p.87)

●では、なぜ私たちは「ダイオキシンが毒物だ」と思っているのでしょうか。ダイオキシンが猛毒であるという報道が盛んに行われたのは1997年でしたが、毎日のように「ダイオキシン、ダイオキシン」と報道されました。あそこの焼却炉の近くがダイオキシンに汚染されていた、所沢のどこそこがどうだというように言われたのです。所沢を含めてその多くが偽装報道であり、さらに「ダイオキシンが人間に対して猛毒である」というデータも、当時はまだ出ていませんでした。つまり、「データがないのに報道された」という異常な状態でしたが、そんなときに発言された専門家が、意図的だったのか、または心配のあまり、データがないのにあたかもデータがあるように発言されたのかは、今となっては不明ですが、ともかく、国民に大きな誤解を与えたのは確かでしょう。(p.91)

●また「サリドマイド事件」というのを知っている人も多いと思います。これは、睡眠・鎮静剤として開発されたサリドマイドを妊婦が服用したところ、生まれてくる赤ちゃんに奇形を生じた薬害事件です。この事件はダイオキシンとは反対に、「動物実験では十分に安全」だったのですが、人間には毒だったという例です。つまり「動物の毒=人間の毒」、「動物に安全=人間に安全」とすると、かえって、大変危険であるという一例です。さらに、ダイオキシンの場合、ネズミの類でもラットやモルモットには毒性が強いのですが、ハムスターにはそれほど強い毒性を持っていません。私たちから見ると、ラット、モルモット、ハムスターなどはみんな「ネズミ」の類で似た生物ですが、結果は大きく違うのですから、毒性というのは、本当に専門的な知識を持って考えなければならないことがわかります。(p.92)

●ダイオキシンの場合は、先の和田先生の文章の通り、日本人が普通の生活をしている範囲では特別に注意しなくても健康障害が起こらない、というのが正確な表現です。~(中略)~化学物質に取り囲まれている現代生活の中で身を守るためには、毒物に対する先進的で優れた考えを参考にしなければなりませんし、また専門家は、十分に慎重に考えて説明しないと、多くの人に余計な不安をかき立てることになります。(p.93)

●まとめますと、「狂牛病は危なくない」というのには2つの理由があります。1つは、原因が完全にわかっていること、そしてその原因を取り除いたことによって、現実に狂牛病のウシがいなくなったことです。原因がわかるというのは、安全を保つうえできわめて大切なことです。(p.102)

●現在、リサイクル全体のうち分別回収に使われている税金が、自治体だけで5000億円になりますから、国民1人当たり、1年で約5000円です。環境をよくするためには1人5000円ぐらいよいということで、多くの人が積極的に払っていますが、一説によると、この税金をもらう人は1万人程度、つまり、税金を払うほうは5000円ですが、もらうほうは、1年に5000万円ですからこたえられません。また、この膨大なお金を管理するために多くの法人ができて、そこにお役人が天下りしています。なんのことはない、食品リサイクルという体のいい言葉を掲げて、世界で飢餓の人を増やし、畑を危険にし、さらに税金を払い、私たちは単に、一部の人の収入を増やしているだけなのです。(p.115)

●生ゴミのリサイクルが危険であることがわかったところで、他のリサイクル、特にプラスチックのリサイクルと、その危険性について整理をしておきたいと思います。リサイクルは、環境を守る、資源を節約する、ゴミの量を減らしたりする環境にいいものと考えられていますが、基本的に極めて危険なものです。なぜかというと、今まで捨てていたものを再利用するからです。リサイクルをする前まで、私たちが捨てていたものはどこに行っていたかというと、廃棄物処分場へ直行していました。廃棄物処分場から毒が流れるといって、よく大騒ぎになりますが、これはいわゆる廃棄物のゴミの中に危険物が入っているということを意味します。(p.117)

●洗剤の容器に、電気洗濯機に使う量の目安が書いてありますが、洗濯物の汚れはいつも同じではありません。ひどく汚れていたり、油が付いていたりすると、その汚れや油を取り囲む分だけの合成洗剤が必要ですから、メーカーは「安全をみて」少し多めの量を書きます。洗濯をして汚れがきれいに落ちないと、消費者は洗濯機の性能が悪いとか、落ちにくい洗剤と錯覚をしますので、メーカーも洗剤の量を多めに書いてしまうのです。もともと洗剤メーカーは、消費者が洗剤を多く使ってくれたほうが売り上げも増えるし、「よく落ちる」という評判も得られるので、多めに使ってもらったほうがよいと考えている、というくらいは、消費者も頭を回したほうがよいでしょう。(p.126)

●最後に「リン」について解説をしておきます。昔は、リンは洗剤の重要な成分でしたからかなり大量に使っていましたが、リンを使うと、それがプランクトンや藻の栄養になって異常発生するので、最近では、無リンかあるいはリンの量を減らしたものになっています。ただ、「リンが環境を汚す」という表現は適切ではありません。正確に言うと、「リンは生物にとってとても大切なもので、リンがなければDNAを作ることができず植物も動物も生きていけない、ただ、あまりに大量に1カ所に放出すると、そのリンを使って繁殖力の強い生物が大発生するので、生態系を破壊する」ということなのです。つまり、リンが「生物に毒になる」のではなく、「栄養になるので生物が増えすぎる」のです。~(中略)~もし「リンは毒物」と錯覚し、人間が自然界にリンがない状態を作るとしたら、すべての生物は死滅します。(p.128)

●私たちはこの現代の社会で、本当に危険なものに集中して注意をしなければなりません。ダイオキシンの項目で整理をしましたが、私がダイオキシンをあまり注意しないよう訴えているのは、日本で今まで健康障害を起こしたこともないようなものに注意を向けていると、本当に危ないものへの注意がおろそかになってしまうからです。安全を考えるときに、2つのポイントがあります。第1には、頭に浮かぶ危険性が、どの程度のものかということです。(p.131)

●最近では、直接的にタバコを吸うより副流煙のほうが危険と言われていますが、私はその論文を読んでみて、結論に少し疑問がありました。それまで言われてきたように、タバコを吸う人に比べて、タバコを吸う人の横にいる人の危険性は40分の1程度、というのが妥当な科学的な判断と思います。つまり、タバコを吸う人に比べると、吸わない人はそれほどの危険はありませんが、人がタバコを吸うことによって、ちょっと(1000分の1以上)危険があると、イヤだと思う人間の心理が働くのです。自分の周囲にある危険をどのように感じるかについては、心理学的、科学的な研究の対象ですが、先のような見方を日常生活の中で応用すると便利です。たとえば、タバコは危険かどうかを考えてみると、タバコを吸う人が平気で吸っている限り、タバコはそれほど危険ではないことがわかります。「自分の意思か否か」ということは、気分の問題としては大切ですが、現実にどのぐらいの危険性があるかということとは関係がありません。(p.133)

●まず、「紙を使うと森林が破壊される」ということですが、基本的に、人間は自然のものを使わなければ死んでしまいます。私たちが食べるお米やパン、牛肉から卵まで、すべて「他の生物の命をいただく」ものです。ですから、「自然のものを使う」というのが「自然を破壊するからやめるべきだ」となると、私たちの生活は立ちゆきません。もちろん、自然を利用するのは1つの制約があります。それは大昔から現代に至るまで同じですが、「新しく成長する範囲で使わせていただく」ということです。お米や麦は1年草ですから、その年にできたものしか使えませんが、一部の魚や動物などは、捕りすぎると絶滅してしまうことがあります。(p.141)

●製紙産業は森林の利用は非常に慎重で、むしろ一般の方々より、森を守るという点では神経を使っています。(p.143)

●紙を使っても森林は破壊されない、そして森林は太陽の光で樹木が生育した量だけ人間が活用したほうが、かえって健全な森林を作ることができる、ということですから、「(リサイクル紙ではない)新しい紙を使う」のが、最も環境によいことがわかります。(p.144)

●それから、リサイクルのときに使う物は石油が主です。市中から古紙を回収してくるときでも、工場へ運んで夾雑物(きょうざつぶつ)を除き、さらに漂白などをするときでも石油を燃やして、熱を発生させなければ何もできませんし、薬品も多く使います。その薬品を安全に捨てられるように処理するにも廃液処理に多くの石油を使います。リサイクルを神様がやってくれるなら別ですが、人間がするのですから石油に頼らなければならないのです。紙のリサイクルがいかに環境を汚すかがわかっていただけたと思います。(p.146)

●つまり、一所懸命になって牛乳パックをリサイクルしても、紙の消費量が3000万トンですから、10万トンというと、わずか0.3%、つまり300分の1にしかならないということです。このような話をすると、「ちりも積もれば山となる、と言うじゃないか、少ないからといってリサイクルしなければなにもできない」と反論されます。けれども、意味のないことは意味がないと認める勇気を持たないと、本当の意味で環境を守ることはできません。(p.149)

●家を掃除するときに、大きなゴミや汚れがひどいところは掃除をすればきれいになりますが、部屋の隅に少しだけある汚れをとろうと10分もかけていたら、いつまでたっても部屋はきれいにならないのと同じです。3000万トンも使っている紙なのに、10万トンをリサイクルするのは、それに要する時間なども考えれば意味はありません。(p.150)

●ところで、ペットボトルが悪者に仕立て上げられた1つの原因に、「ペットボトルを燃やすと有害物質が出る」という根も葉もない宣伝がありました。ダイオキシンの毒性にあまり気をつけなくてよくなった今でも、「ペットボトルは燃やせるんですか、有害物質が出るんじゃないですか」と質問する人がいますが、これはまったくの間違いです。プラスチックを燃やしたからといって有害物質が出るわけではなく、「どんなものでも、有害物質が出るような条件で燃やせば、有害物質が出ることがある」というのが正しいのです。(p.155)

●ものを燃やすと有毒物質が出ると言われます。確かにある程度は出るのですが、それは密閉した住宅で、十分な酸素が供給されず不完全燃焼したときに起こることです。すでに日本の住宅は密閉されているので、火災のときも昔のように焼け死ぬというよりも一酸化炭素の中毒で犠牲になることが多いのです。不完全燃焼で一酸化炭素が出るのは、プラスチックだからとか木材だから、鶏肉だからということではなく、高分子ならどれでも同じです。その中で、ペットボトルはポリエステルという高分子でできているので、材料の中に酸素がかなり含まれています。分解も容易なので、非常にきれいに燃えるプラスチックの1つです。高分子材料の中には、ススが出るものや、燃え残りの炭化物が出るものがありますが、ペットボトルはほとんど何も出ず、きれいに燃えます。(p.155)

●自治体の発表するゴミの量は、あまり信用はできません。つまり「ゴミ業者に渡せば、ゴミとして計算しない。そしてそのゴミがどうなったかは監視しない」ということなので、とにかくゴミを業者に渡しさえすれば、その自治体のゴミは減る仕組みになっています。実際にリサイクルしたペットボトルが、どの程度、使われているのかは、まだ1度も公表されていません。(p.160)

●アルミが材料になることは、1906年にドイツのウィルム氏によって偶然発見され、改良されて、現在の形になりました。鉄の3000年の歴史から見れば、アルミは100年の歴史しか持っていない、まったく新しい金属ですが、豊富にありますし、土類に分類されていることからもわかるように、砂とほとんど同じ成分で安全性も高いのです。アルミのようにすばらしい材料はありません。一時期、アルミがアルツハイマーの原因になるのではないかと疑われましたが、これはまったくの濡れ衣であることがわかりました。(p.163)

●アルミ缶はリサイクルの優等生ですし、日本には原料となるボーキサイトがないので、おおいにアルミ缶を使い、それを街角の回収場所に置いておけば、業者が持って行くと思います。市民から見ると、税金はとられず、業者は儲かり、資源は有効に使えるのですから、こんなによいことはありません。アルミだけでなく、同じようにリサイクルが可能な鉄も一緒でよいので、「金属類の回収場所」さえ決めておけばよいのです。腐ることもないので、本当によいリサイクルができると思います。(p.169)

●もともと、ガラスビンをリサイクルしようと考えること自体が間違っているのかもしれません。ガラスの原料は「土」ですし、日本が自給できるものです。廃棄しても毒性のあるものだけ注意すれば環境も汚さず、資源の枯渇にもなりません。その意味では石油を使うペットボトルより「リサイクルしないガラスビン」のほうが優れているとも言えます。私は本来、人間にとって大切だったガラスビンを、幻想のようなリサイクルに当てはめようとして、このよい製品をダメにしてしまったように感じます。(p.174)

●これまでの説明でほとんど整理ができてきましたが、ペットボトル以外の食品トレイやプラスチックは、ペットボトルよりもっと積極的に生ゴミと一緒に出さなければいけません。理由は非常に簡単です。現在の食品トレイやプラスチックの容器は、ペットボトルの約8倍、430万トンという、大量の高分子材料が使われています。そして、これはリサイクルするという建前になっているため、現在はリサイクルのほうにまわっていますが、現実は、この容器包装プラスチックをリサイクルすることができません。430万トンの10分の1の、約40万トンはリサイクルとして処理されますが、残りの約400万トンは、焼却されたり、埋め立てられています。数字が並ぶと少し実感しにくくなりますが、430万トンのプラスチック容器が捨てられて、そのうちわずか40万トンがリサイクルにまわるということは、トレイを10個リサイクルに出しても、そのうちの1個しかリサイクルにまわらないというのですから、分別してリサイクルしようと思うだけ無駄骨です。あとはどうされているかというと、多くはいろいろな方法で燃やされています。燃やすのも、自治体の焼却炉で燃やす場合や、セメント会社で燃料として使ったり、鉄鋼会社でコークスの代わりに使用したりします。そのたびごとに違う名前を付けているので、あたかも役に立っているように感じますが、これは税金をとるための言い訳で言っているだけで、燃やしているのは同じことです。(p.175)

●ところで驚いたことに、リサイクルにまわった40万トン、つまり10分の1のものですら、そのままリサイクルされていません。自治体にまわったリサイクル目的の40万トンのうち、現実にリサイクルしているのは、公的に発表されている数字で8万トン、私の調査と計算では4万トン程度です。これまで整理してきたことを簡単に図で示しました(図表17)。信じられないでしょうからもう1度言いますと、プラスチック容器は430万トンが捨てられて、そのうちの40万トンがリサイクル目的にまわされ、最終的に使ったのは4万トンということになります。これはもうリサイクルしているとは言えないわけですから、「リサイクルしているから家庭で分別してください」などと言わないほうがよいでしょう。言い訳はしっかり用意されていますが、事実は偽装に近いものです。(p.176)

●それではその収入をどのように使ったのか、その収入でどのぐらいものを買ったのかというと、日本が21トン、ドイツが42トン(1996年度調査)です。驚いてしまいます。日本人とドイツ人は、ほとんど同じ収入で暮らしているのに、物を買うという段階になると、ドイツが日本の約2倍も使っているのです。(p.179)

●国民1人当たりの総廃棄物量(2003年度)、つまりゴミの量は、日本人が3.6トンで、ドイツ人は4.5トンです。ドイツ人のほうが、日本人より1.25倍もゴミを出していることになり、さらに、国民総生産当たりにすると、日本人がドル当たり97グラムのゴミを出すのに対して、ドイツは160グラムということになります。(p.180)

●まず、家庭で出るゴミは、細かく分別するのをやめて、2つに分ければいいことになります。1つは金属類、もう1つはその他です。~(中略)~金属は、種類ごとに分ける必要はありません。なぜかというと、鉄は磁石につきますし、アルミは軽いので、鉄とアルミと銅が混ざっていても、それは業者が容易に分けられます。むしろ、個人がいくら一所懸命分別しても、アルミ缶の中には鉄が入るし、鉄の中にも銅が入ってきます。産業がこれを使うときには、アルミの中に鉄が入っていたら、それは分けなければいけません。どうせ分けるのですから、個人が出すときには、「金属類」として一括して出すのが適切です。なぜ、一括して出したほうがいいかというと、分別して出すと、分別して運ばなければいけないからです。3つの金属の種類に分ければ3台のトラックがいりますが、まとめて運べば1台ですみます。まとめて運んで工場で分けるというほうが社会的にも効率的です。金属以外のゴミ、たとえば生ゴミ、プラスチック、紙などは一括して出します。生ゴミはプラスチックや紙が入っているので、燃えやすくて、大変都合がよいのです。(p.183)

●また、ガラスはできるだけ使わないようにして、ガラスは一般の廃棄物の中に入っても、先に書いたように、焼却すると焼却炉の下に出てきます。現在、完全に分離する方法がありますし、かつ毒物を含まず、埋立や土壌の改良などにも使えますので、生ゴミと一緒にするのも現実的な方法としてあると思います。(p.184)

●事実、2005年の5月に東京で行われた国際的な環境大臣会議では、南アフリカの大臣が「先進国は中古品だといって粗悪な製品を途上国に売り、途上国では修理もままならないので、廃棄物が増えるばかりだ。こんなことは中古品の販売という名を借りた廃棄物の輸出であって、許せない」という意味の演説をしています。これを日本政府が、聞いて聞かないフリをしているのですから、日本人の誠実さも地に落ちたものです。(p.209)

●世界全体が温暖化ガスの排出削減は必要と考えていますが、「ほどほどに」という中で、世界が動いているのです。日本だけが、やけに熱心に「チーム6%」などと言って取り組んでいるのを見ると、何となく気味が悪くなるのもわかります。さらに、もし温暖化ガスを日本だけが削減しても、若干でも温暖化を防止できるなら日本の行動が理解される余地がありますが、もともと世界の温暖化ガスの5%しか出していない日本が、その6%を削減したところで意味がないのは誰でもわかります。意味のないことを、国を挙げてやっているのですから、穀類自給率を含めて、「日本という国は理解できない、信用できない」ととられても仕方がありません。(p.219)

●私はリデュース、リユース、リサイクル、いわゆる「3R」と呼ばれるものが嫌いです。なぜかというと、まず英語を使っているからです。日本語で呼ばずに英語で呼んでいるものに、ろくなものはありません。リサイクルをせずに焼却することをサーマルリサイクルと言ったりするのがその例です。日本人は、日本語で言ってもらうと正確に言葉を理解することができるのですが、英語で言われると本来の目的や意味があいまいになります。そのわずかな隙を狙って、相手をだまそうとしている人がウソをつくのに英語を使うことが多いからです。サーマルリサイクルのことを焼却と日本語で言ったら、おそらく誰も、焼却をリサイクルに入れないでしょうが、サーマルリサイクルというと、何となくリサイクルのような感じがしてしまうから、恐ろしいことです。英語の本場ヨーロッパでは、廃棄して焼却した場合はリサイクルに入れてはいけなと現に禁止しています。英語の本場では、その意味がはっきりわかってしまうからでしょう。(p.222)

●私自身はどうかというと、実は32歳のあるとき、「社会が、大切とか儲かるということと、自分の人生としてよいこととは違う」ということに気がつき、それ以来、自分が満足する生活の仕方に少しずつ切り替えてきました。(p.226)

●また、歩けば健康になりますが、あまり頻繁に車に乗ると足が弱くなります。これも、別に環境のことを考えているわけではないのですが、健康を考えると環境によいという結果になります。みなさんもぜひ、最近、明らかになってきた環境問題のウソをいい機会として、これまで「環境のため」と思ってきた生活を、「人生のため」という生活に切り替えてみてください。その結果として、環境によい生活に自然になるという実感を得てほしいのです。(p.227)

●おそらく、これまでの日本は、お役所や公的な機関にウソをつく人がいなかったのでしょう。その結果、多くの日本人は「公的なデータには誤りがない」と考え、マスメディアは「公的なデータさえ使っていればクレームをつけられない」と安易に処理してきたのだと思われます。学者やマスメディアは、公的機関のスポークスマンではないのですから、あくまでも、自分の研究や取材によって得られたデータに基づかなければならないと私は考えています。書籍や新聞、テレビなどで情報を発信する側は、公にされた知識や情報をつねに検証し、オリジナルなデータと思想を持つことが大事です。また、それらを受け取る側は、「国が発表した数値だから」「新聞やテレビがそう言っているから」と安易に鵜呑(うの)みにせず、「なぜそう言えるのか」という問いを、どんな情報に対しても、一度投げかけてみることが大切だと思います。(p.230)
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