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竹中平蔵、冨山和彦著「日本経済 今度こそオオカミはやってくる」
たまには経済の事も考えながら、こんな本も読んでみました。この本は2011年9月末(民主党政権時代)に発行されたものです。ちなみに竹中さんと冨山さんのセミナーには、2009年に参加したことがありました。


●私たちは、そんな厳しい日本の現実を正面から捉え、ささやかに、しかししたたかにこれを乗り越えるための議論をしたいと思いました。政治が悪い、これで日本の時代は終わった……などと嘆くことはしません。一方で、ただ単に、日本には底力がある、頑張ろうニッポン……などと情緒的な議論に逃げ込むこともしません。マクロ経済とビジネスのリアリティ(現実)を冷静に見つめて、進むべき道を議論したいと思いました。現実の悪化を認め、開き直ることによってはじめて、活路は開けると思います。そのためには、まず現状を徹底して批判的に検証することが不可欠です。日本国内の経済議論と経営議論は、無知なマスコミや評論家に誘導された誤りに満ちています。それらを糺(ただ)す必要があります。そのうえで、経済と経営の基本原則に則ってやるべきことは何か、を議論します。(p.2)

●実際に組織を経営するときには、ビジョンをぶち上げるだけでは何も起きず、誰も動きません。最初の方針をかみ砕き、具体的なディテールの戦術にまで落とし込んでいかないと、物事は実現できないのです。その過程で、新たな方針では損をする人が出てきますから、そういった人たちを説得する、そのためにある程度は妥協をする、どうしようもないときは権力闘争で抵抗勢力を排除するといった、ドロドロしたプロセスも乗り越えなくてはなりません。これが組織経営のリアリズムです。(p.30)

●もう1つ、民主党に同情すべき点があるとすれば、今起きている事態は、たとえば小泉政権であっても対応に苦慮したと思います。~(中略)~しかし、それでも政治に責任があるとあえて言いたい。自分でできないことは、人の力を借りる。これは、マネジメントの基本中の基本です。残念ながら、彼らはそれすらやっていないわけです。今の政権は、子どものサッカーのようなやり方で政治を運営しています。ボールがあるところにみんなが一斉に集まり、団子状態になっているけれども、ボールは動かない。誰か一人でも高い位置、フィールド全体を見渡せる位置にいれば、どうすればよいかがわかるはずなのに、誰も高い位置から見る人がいないので、みんな同じところに集まって、喧々囂々(けんけんごうごう)やっています。(p.31)

●今は非常事態だから大胆な政策をとらなければいけないという人がいます。フロム・スクラッチで大胆に考える必要はありますが、基本を踏み外してはいけません。過去の教訓を見ると、基本を踏み外したときに失敗しているのです。私は現状において、国債の日銀引き受けに反対です。状況によっては国債の日銀引き受けをしなければいけないときもある。でも今回はそれほど深刻だとは思いません。日銀が直接引き受けなければいけないほどの大量の国債発行ではない。であるならば、基本を守ったほうがいいというのが私の考えです。関東大震災の後に、政府は震災手形の日銀引き受けを実施しました。その結果何が起きたかというと、一時的に経済が安定したように見えて、じつはそれが引き金になって数年後に昭和金融恐慌が引き起こされた。基本を誤っているから一部の人が悪用したのです。(p.44)

●平時はそれでも回ります。しかし、有事になったとたん、すべてが負の回転をはじめるのです。会社も同じです。業績が悪化すると、みんな人のせいにしはじめます。営業は開発のせいだと言い、開発は生産のせいだと言い、お互いにあいつが悪い、あいつのせいだと言い張って、よけいに業績が悪くなる。責任を他人に押しつけているときは、ある意味、みんな心地よいのです。誰も最終的な責任を負わないから。特に高学歴インテリ系が多い組織は、みな恥をかくことや他人から批判されることが大嫌いですから、この罠にはまりがちです。そういうときに、社長がひと言「俺の責任だ」と言えば、すべておさまる。そういう社長が出てくるかどうかです。(p.53)

●現在グローバルな次元では、自由主義経済に基づく競争が激化しています。その結果、優勝劣敗がはっきりし、そのダイナミズムの中からイノベーションが生まれる、という当たり前の企業経済社会のメカニズムが、全世界に猛烈な勢いで浸透しています。ところが、日本国内においてはこの4、5年、「行きすぎた自由主義を見直そう」との価値観に基づき、競争を緩和する、あるいは、競争しないようにさせる政策が続いてきました。このような状況に置かれている企業には、つねに2つのアンビバレント(二律背反)な心理状態が働きます。国内では同業他社と仲良く、みんなでキズを舐め合いましょうという政策がどんどん打ち出される。そこにもたれかかっていると楽だし、何となく問題を先送りできてしまう。そういう誘惑があって、しかし、他方では、そんなぬるま湯に浸かっていたら、グローバル競争でいつかは息の根が止められてしまうかもしれないという危機感を抱く。その2つの思いの間で、どっちつかずになってきたというのが、真相ではないかと思います。日本経団連クラスの企業でさえ両方の間で惑ってきました。(p.56)

経済政策は、そもそも「強気を助け、弱気をくじく」のが本来のあり方です。「弱気を助ける」のは救済原理に基づいて行なう社会福祉政策。国家においてはどちらの政策も必要ですが、そもそもの目的がまったく違う。福祉国家のモデルとして日本で喧伝されている北欧の政策体系においては、両社はきわめてクリアカットに峻別されています。ところが、日本ではこの2つが、ごちゃまぜになってしまいがちです。(p.58)

●産業復興に関しては、先ほどのファンドの議論と同じで、強いところにお金を出さないと、全員が共倒れになってしまう。救済原理以外の目的で弱者にお金を出すというのは、えせヒューマニズムです。一時的に延命させて、かえって傷口を広げるだけです。でも、そう言うと「薄情だ」と非難される。しかし薄情、すなわち「薄情け」はかけられる側にとってこそ仇になる。一見やさしい政策には、ものすごく大きなリスクがあるということは、知っておいてほしいですね。(p.99)

●われわれ学者やメディアにも責任があると思いますが、日本では「この産業に最もふさわしい産業組織はどうあるべきか」という議論が抜け落ちています。いまだに、どういう産業が発展するかという議論をしていて、これからの日本はITか、福祉か、バイオかと言っているわけです。しかし、そういう議論のしかたに意味はないのです。ITや福祉、バイオなどの成長産業においても、儲かる部分と、どんなに頑張っても儲からない部分があるのに、そこに目がいかない。逆に、成熟産業にも儲かる部分と、どんなに頑張っても儲からない部分があるのです。さらに、「大企業が強くて中小企業が弱い」という議論もほとんど意味がありません。大企業にも、強いところもあれば弱いところもある。中小企業にも、強いところもあれば弱いところもある。自戒の念も込めて言えば、日本人の頭の構造が1960年代あたりから変わっていないのが残念です。(p.133)

●無風状態では、イノベーションは生まれません。これからは、電力の世界もそういう土壌づくりに注力すべきだと私は思います。巨大なサンクコストの設備を持っていないとゲームに参加できないというルールを変える。イノベーションは知識から生まれるのであって、資本やサンクコストの大きさがイノベーションを生むわけではありません。お金がなくても知識がある人、意欲のある人が入ってこられる余地をできるだけ大きくとっておくべきなのです。(p.135)

●ここで、「東京一極集中問題」に関する議論のたびに触れているエピソードを、あらためて紹介します。リチャード・フロリダは著書『クリエイティブ都市論』(ダイヤモンド社、2009年)で、宇宙から夜の地球を見たときに観察される、煌々と輝く20から40の「光の塊」をメガリージョンと名づけ、この集積こそがイノベーションを生んでいると述べています。そして、世界でいちばん大きな「光の塊」は東京圏なのです。この中にクリエイティブクラスの人々が集まっていて、それに見合ったモノやカネも存在しているから、付加価値を生み出せるのです。日本経済を支えている最大のポイントは東京圏です。その東京圏の集積をわざわざ台無しにしてはいけません。ただし、首都機能のバックアップシステムは持つ必要があるでしょう。~(中略)~しかし、そのことと、東京に一極集中しすぎて危ないから東京から「ヒト・モノ・カネ」を分散させろという議論は、明らかに意味合いが違います。(p.138)

●知識の集積というと、米国のサンフランシスコ・ベイエリアの南部にあるシリコンバレーが思い浮かびますが、あの地域には明らかに気候を含めた地理的な優位性があります。近くにサンフランシスコという面白い街があるから、あそこは強いのです。若くて上昇志向が強くて野心家の人というのは、とにかくよく遊びますから。映画『ソーシャル・ネットワーク』で、フェイスブック創業者のマーク・ザッカーバーグが東海岸のボストン・ハーバード大学の暗い環境から西海岸にやってきて、サンフランシスコの飲み屋で弾けちゃうシーンがあります。ああいう、ある種異様な盛り上がりが都市にはある。それがイノベーションの源だったりするわけです。都市集積というのは、さまざまな条件が重ならないとうまくいきません。たとえば、何にもない野原にいきなり学研都市として「つくば」をつくっても、簡単にはうまくいかないのです。(p.141)

●2030年までに人口が増えると予測されているのは、東京、神奈川、沖縄、滋賀の4都県だけです。滋賀は京都の人口が溢れ出したときの受け皿になる、という予測です。(p.147)

●そもそも、田舎の人口が爆発的に増えたのは戦後の話なのです。大都市が焼け野原になって、そこから移住してきた人たちと、満州など海外からの引き揚げ組が都会ではメシが食えないので田舎に流れていった。ですから、過疎化といっても、戦後、不自然な形で増えすぎた地方の人口が元に戻っているだけという側面もあります。(p.151)

●この、賞を出すということはとても理にかなっていて、教育の基本は「エンカレッジメント(励まし)」だという考えに基づいています。「You Can Do It.(君ならできる)」というわけです。ところが、日本の教育の基本は「しつけ」です。あれをやってはいけない、これもやってはいけません。要するに、「ディスカレッジメント(落胆させること、がっかりさせるもの)」中心になってしまっているのです。(p.170)

●ところが、今の若い人たちは違います。この会社に就職するかどうかという以前に、そもそも自分は働くべきかどうか、そこにモチベーションが必要なのです。就職しなくても生きていくだけなら困らないからです。就職するためには、自分を納得させることが必要なのです。そういう学生に、いかにモチベーションを与えるか。私は一つのきっかけになるかもしれないと思って、サミュエル・スマイルズの『自助論(Self Help)』を読みなさいとすすめています。(p.187)

●たとえば、ニューヨークに行くと、フィリピンから来てハイヤーのドライバーをやっている人がいます。「子どもはいるの?」と聞くと、「コーネル大学に行っている」と言うわけです。「学費も高くてたいへんでしょう?」と聞くと、「Yes, however life is not easy.」。だから教育を受けさせなければいけないんだ、と。夢を見てアメリカに渡った人たちは、いかに「Life is not easy.」か、身に沁みてわかっています。自分の代は苦労しても、子どもにはもっと幸せになってほしいという願いを込めて、「Life is not easy.」と口にする。俺たちを土台にして、もっといい生活を送ってほしいという親心です。(p.188)

●英国のサッチャー元首相がいみじくも言ったように、「金持ちを貧乏人にしたところで貧乏人が金持ちになるわけではない」のです。見事な標語です。そうした反発を抑える方法はただ1つ、リーダーがきちんと説明することです。「金持ちの足を引っ張っても、全員が等しく貧しくなるだけだ」となぜ言わないのでしょうか。むしろ「金持ちが気持ちよくお金を使える環境をつくれば、お金が動く。そうなれば、貧しい人たちのところまでお金が流れていく」のです。そのような当たり前の経済原理を、わかりやすく、きちんと伝えなければなりません。(p.196)

●しかし、世の中には、「みんなで決めたほうがいい問題と、みんなで決めてはいけない問題」があります。たとえば、社員食堂の規約をどうするかという問題は、社員みんなで決めればいい。でも、次の人事部長を誰にするかという問題は、みんなで決めてはいけません。トップの人が決めないとダメで、そのメリハリをつけるのがリーダーです。(p.197)

●しかしそれと同じやり方で、「工場を閉める」ことについての議論はできません。自分たちの職場がなくなるかもしれないという問題を、利害が絡んだ当事者にまかせることはできないのです。あるいは、研究開発のように長期的でリスクを伴うテーマや、「あれかこれか」の戦略的な意思決定も無理です。全員参加型の意思決定は、一見すると民主的で、ボトムアップで、美しい。そのため、重大な問題ほどそういう方法で決めるべきだという人がいますが、現実の組織経営論的にはむしろ逆で、重大な問題こそ一人のリーダーが、ごく限られたメンバーだけで決めるべきです。(p.198)

●小泉元首相が言った「自助自立」の精神は、社会が成り立つための根本的な原理の一つです。われわれ一人ひとりが自分のことは自分で面倒を見る。どんな時代になっても、どんな政権になっても、この原則を崩したら社会は成り立ちません。当たり前の話ですが、国家が国民全員を助けることはできません。自助自立の人がたくさんいればいるほど、本当に困っている人を助けることができるのです。これが私たちの社会が成立する大前提です。(p.200)

●もう一つ、チャーチルの言葉に、「利益を上げることが悪徳だというのは、社会主義的な考え方であるが、私は損失を招くことこそが悪徳だと思う」というものがあります。損失を出すということは、大切な資源を無駄遣いしてしまっているわけですから、そんな企業ばかりだと経済は発展しません。損失を出している企業には退出してもらうというのが、長期的に豊かになる道なのです。ところが最近の日本政府は、そういう企業を一生懸命助けようとしてきたわけです。(p.201)

●政策の世界では、困っている人を見逃すわけにはいかないので、ときにはヘルプはやらなければいけないのですが、それはいつまでも続けられない。なぜなら、ヘルプを続けていると、モア・ヘルプになってしまうからです。残念なことに、受け手にモラルハザードが生じて、「もっともっと」と要求がエスカレートしてしまうのです。現在、この雇用調整給付金で300万人ほどの雇用が維持されています。これがなくなれば、日本の失業率は2倍に膨れ上がります。実質的な失業率は10%を超えていると考えられます。成長戦略を行なわずに、ただお金を配るだけでは、失業問題はいつまでたっても解決しないのです。(p.202)

●今後、雇用はジワジワ減っていくはずです。雇用機会がなくなると、OJTもできなくなるので、労働者の質も落ちていきます。日本人がいくら勤勉だといっても、訓練を受けていなければ能力の伸ばしようがありません。(p.203)

●たしかに民間には知恵があります。しかし、こと政策立案に関しては、民間には知恵がないと私は思います。もちろん、経営については民間に知恵がある。毎日それをやっているからです。ビジネスパーソンに、「役人や政治家を連れてきて、会社の経営ができると思いますか?」と聞けば、たいていの人は「無理」と答えるはずです。同じように、民間の人を霞が関に連れてきても、いきなり政策をつくれるわけがありません。(p.206)

●よく、「役所は、民間では当たり前のことができていないから、民間人を入れさえすれば効率が上がる」という意見が出されますが、それはまったくの幻想です。そんなに甘いものではない。官僚の世界は官僚の世界で、経済人とはまったく違うタイプの複雑なゲームをやっているわけです。そもそも種目が違うから、民間の発想をそのまま官僚の世界に取り込むことはできません。(p.206)

●小泉政権が構造改革をはじめたちょうど同じ頃に、日産自動車のカルロス・ゴーン社長が改革をはじめて、ゴーンさんの改革は速いけど、小泉さんの改革は遅いと批判した人がいました。しかし、それは無茶苦茶な批判です。なぜかというと、ゴーンさんは1年に1日だけ株主総会をやればいいのです。~(中略)~政府にとって、株主総会に当たるものは何かというと、国会です。国会は年間2百日程度開かれています。「株主総会が200回開かれている会社だと思え」と私はよく言っています。簡単に改革ができるわけがないのです。(p.208)

●政府といっても法律事項、予算事項は授権されないので、毎回国会の承認をもらわなければいけません。企業なら役員会で決められる話を、すべて株主総会を開いて、そこで議決しているようなものです。それがどれほどたいへんか、わかっていない人が多すぎます。(p.208)

●役人たちは、天下りまで含めた終身雇用制度の中に完全に組み込まれています。今の時代、彼らが、国民の利益の最大化ではなく、組織の利害の最大化という潜在的な欲求を持ってしまうのは、そのせいでもあります。官民を行き来するような人材市場の流動性がほとんどない中で、個々人の人生設計が自分の所属する省庁にどうしようもなくロックインされて、そこから出られなくなっています。年を取れば取るほど、ガチガチに組み込まれて身動きが取れなくなる。若い頃は彼らも青年の志を持っているのです。それがだんだん年齢を重ねて、課長補佐から企画官になるあたり、管理職になるあたりが分かれ目で、そこからは、先が見えた人からもう組織と心中するしかなくなっていきます。(p.216)

●キャリア制度にはもう一つ、大きな弊害があって、それは日本の高級官僚が驚くほど低学歴だということです。博士・修士がほとんどいなくて、学士ばかり。こんな国はほかにはありません。財務省のエリートは高学歴と思っている人が多いかもしれませんが、国際的な水準で見ると、高級官僚としては低学歴です。学士だけでそれほど高いポジションにつける国はきわめて稀です。(p.218)

●会社でも、本気で改革をやろうとすると、最初は抵抗があって、いったん業績が落ち込むケースがよくあります。なぜかというと、膿を出すことで落ちる部分と、新しいやり方をするため、最初は慣れていないからうまく回らない部分が生じ、ダブルパンチで下げ圧力になるからです。場合によっては2期連続で落ちることもあります。膿を出すのは織り込み済みなのでしかたないのですが、新しいやり方を導入すると、従業員は半ば無意識のうちにサボタージュをしがちになります。~(中略)~しかし、従業員が多少すねたからといって、経営者がぶれると、もっとすねるようになります。最初の1、2年は経営者と従業員の我慢比べです。そこで我慢できないと、元に戻るどころか、むしろさらに悪い状態に陥ってしまう。会社の改革においては、実際、そういうケースがすごく多いのです。だから、ここは経営者が頑張り抜かないといけません。「俺の目の黒いうちに何年かかってでもやるぞ!」と強く訴えかけ続ければ、みんなあきらめて「やるしかない」という気になります。(p.223)

●中曽根元首相は「風見鶏」と呼ばれ、小泉元首相は「変人」と言われて、当初はどちらも短命内閣になるだろうという見立てでスタートしました。ところが、舞台が人をつくるのです。どちらも本格政権となって、日本の歴代首相の中でも突出したリーダーとして歴史に名を刻むことになりました。政界の実力者と言われる人物がそのまま強いリーダーになるわけではないのです。(p.230)

●大企業は無意識のうちに、中曽根元首相、小泉元首相的な、気質のある、一匹狼的で強い信念を持つ人間をどこかに「飼っている」ものです。たとえば、野村ホールディングス会長の氏家純一さんは、本流というよりもずっと辺境にいた人です。さらには、パナソニックの中村邦夫会長、伊藤忠の丹羽元会長と、大企業で大改革を成し遂げた人には、いわゆる傍流出身者が多い。(p.231)
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