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波頭亮著「プロフェッショナル原論」
結構、癖のある言い回しの多い本でした。


●プロフェッショナルは自由な職業である。どの仕事をするのかしないのかを決めるのは自分であり、結果さえきちんと出していればどういうやり方でやろうがそれもまた本人の自由である。(p.7)

●プロフェッショナルの仕事は人々を救い、感動させ、そして感謝と敬意を得ることができるのである。(p.8)

●わが国では長い間良い就職とは一流企業や官庁に入ることだというのが常識であったが、近年ではこの常識が揺らいでいる。安定を求めて大企業に入ったはずが突然破綻の憂き目に遭ったり、一流企業こそ社会的信用の証であったはずが社会的公正を逸脱した行為が次々に発覚して世間を騒がせたりと、これまでの一流企業や官庁が持っていた存在感や信頼感は大きく減退して来ている。(p.8)

●プロフェッショナルの世界は元々ギルドであり、一般の社会とは異なったルールで仕事が行われ、一般の社会とは違う常識や規範が通用している。しかも自分達のことは一般の社会には明かさない習慣がある。(p.10)

●実際筆者がコンサルティング ファームに入社した時に、まず最初に叩き込まれたのは戦略論でも財務分析の手法でもなく、プロフェッショナルとは何かという講義であった。別の見方をすれば、医者や弁護士等の長い歴史を持つプロフェッショナルな職業は、国家試験や公的資格によってプロフェッショナルとしての身分が保証されているが、一方コンサルタントには何の試験もない代わりに、何の資格も保証もない。だからこそコンサルタントが認められるためには、プロフェッショナルとしての実質が強く問われることになる。(p.11)

●プロフェッショナルとは、一言で表すならば、「高度な知識と技術によってクライアントの依頼事項を適(かな)えるインディペンデントな職業」と定義することができる。(p.15)

●つまり通常一般の人では全く及ばない水準の、長年の修練によってようやく身につけることができるような高度で専門的な知識や技術でなければならない。こうした極めて高度な職能を有していることがプロフェッショナルの第一の要件である。(p.15)

●通常のビジネスのように財やサービスを不特定多数の人々に無差別に提供するのではなく、特定の問題を抱えた特定の人からの依頼に基づいて仕事が成立し、その問題を解決してあげるのがプロフェッショナルの仕事である。(p.16)

●プロフェッショナルは仕事においては、誰の命令も受けないし、誰にも管理されない。仕事においては、自分の主人は自分自身であるというのがインディペンデントであるということの1つ目の意味合いである。もう1つの意味合いは、仕事を自己完結することができるということである。プロフェッショナルの仕事は依頼人からの問題を解決してあげることであるが、その問題解決に必要なものはプロフェッショナル自身の中に保有している属人的な職能が全てなのである。つまり自分自身さえいれば仕事ができる。資本も組織も大がかりな設備も不要である。プロフェッショナルは、仕事において価値を生み出す行為を自分一人で自己完結することができるという意味でもインディペンデントなのである。(p.16)

●つまりプロフェッショナルとは、その職業に就くのに際して神に誓いを立てなければならないほどの厳しい職業なのである。何を神に誓うのかと言うと、社会に貢献し公益に寄与することを目的として働くこと、そしてその目的を果たすために定められているプロフェッショナルの掟を守ることである。(p.18)

●一般の人々が働く主たる動機は金を儲けることであったり、出世や権力を手にすることにある場合がほとんどであろう。一方、プロフェッショナルは自分の利得のために働くのであってはならない。会社のためや家族のためですらあってはならない。~(中略)~正当なプロフェッショナルであるためには、世のため人のため、即ち公益に寄与することを唯一の動機として働かなければならないのである。(p.18)

高度な職能を有していても、私的な利益のために働いているのであれば、それは単なる有能なビジネスマンあるいは腕の良い技術屋でしかない。(p.19)

●この「ヒポクラテスの誓い」には、正しく医者である為の、即ち正当なプロフェッショナルであるための掟が7ヶ条にわたって示されている。その中でも例えば、
 ・患者の利益を第一とする
 ・男と女、自由人と奴隷とを差別しない
 ・患者の秘密を守る
という項目などは、全てのプロフェッショナルな職業に共通する掟として現代でも全く同様に尊重されているのだ。以上のようにプロフェッショナルは職業の形態としての3要件に加えて、「profess」という語源が象徴する厳しい使命感と掟を背負ってこそ、真の意味でのプロフェッショナル足り得る。(p.20)

●自分がどのように立ち振るまえば出世できそうかとか、どうすれば多くの報酬が得られるかという観点から完全に離れて、何をするのが自分のミッションを果たすために最も正しく有効な仕事なのかを見極めて、信念を貫く働き方をすることができるのであれば、その人はもはや単なるサラリーマンとは呼べないであろう。個人の利得や出世を目的として働くのではなく、本来のプロフェッショナルにも等しい高度な職能を身につけた上に、厳しい倫理感と他者への貢献意識を持って頑張るのであれば、十分にプロフェッショナル的である。(p.34)

●実際、コンサルティング ファームに入ってまず教え込まれるのはマネジメントの知識やデータ分析の手法ではなく、プロフェッショナリズムについてである。プロフェッショナルとは何ぞやに始まって、プロフェッショナルとして守らなければならない行動規範や倫理規定、仕事に対する取り組み姿勢や日常生活の注意事項に至るまで、形而上学的なレベルからハシの上げ下ろしに至るまで徹底的に教え込まれる。これは筆者が経験したコンサルティング ファームだけの話ではなく、ロー ファーム(弁護士事務所)やアカウンティング ファーム(会計士事務所)なども同様である。(p.38)

●「その結論はクライアント インタレスト ファーストに合致しているのか?」とか、「その計画はヴァリュー ベースになっていないと思う」とか、「君の努力は分かるが、センス オブ オーナーシップに欠けている」とか。ファームの中での全ての活動と仕事が、常にこれらの掟に照らし合わされて評価されフィードバックされる。(p.40)

●本節ではこのプロフェッショナル ファームの規範と価値基準をクライアント インタレスト ファースト(顧客利益第一)、アウトプット オリエンティド(成果指向)、クオリティ コンシャス(品質追求)、ヴァリュー ベース(価値主義)、センス オブ オーナーシップ(全権意識)という5つの掟として具体的に紹介、説明する。(p.40)

●クライアント インタレスト ファーストとは文字通り、プロフェッショナルが仕事をするのに際しては、クライアントのインタレスト(利益)に貢献することを何よりも優先しなければならないし、クライアントの利益に貢献し得てこそその仕事の価値が認められるということである。補足的に説明すると、プロフェッショナルの仕事というのは、自分が帰属するファームの利益の為にするのではないということでもある。ましてや自分自身の利益の為に頑張るのでもない。~(中略)~ちなみにこの顧客の利益を最優先すべしという規範は、先に紹介した「ヒポクラテスの誓い」に載っている7つの規範の中でも、「患者の利益を第一とする」として第一番目に掲げられている。(p.41)

●一方、商人道の「お客様は神様です」は、自分の利益を得るための手段である。つまりお客様を神様のように扱うことによって自分を気に入ってもらい、自分の商売を成功させるための、自分が利益を得るための便法としてのビジネスの手段なのである。(p.43)

そしてプロフェッショナルは引き受けた仕事に対しては結果をコミットしなければならないのであるから、結果を出せる確信が持てない持てないのならば、その仕事を引き受けてはならないのである。(p.49)

●プロフェッショナルにとって、問題は分析するためにではなくて、解決するために存在する。いかに見事に問題の原因を突き止め、因果のメカニズムを美しく解明しても、仕事がそこで終わってしまっては問題を解決したことにはならない。(p.49)

●ヴァリューベースとはプロフェッショナルは自分の仕事の価値をより大きくすることを常に指向し、そのためには決して手間を惜しんではならないし、さらには費用をかけることについても躊躇(ちゅうちょ)してはならないという掟である。~(中略)~このようにプロフェッショナルの仕事において、手間はもちろん費用も惜しんではならないという考え方が重要なのは、プロフェッショナルにとっては顧客利益を最大限に達成すること自体が仕事の目的だからである。(p.61)

●一方、利潤をあげることを目的としてビジネスを行っている一般の企業やサラリーマンにおいてはこうはいかない。コストの観点が重要である。利潤を大きくするためには収入とコストのバランスが大切であり、通常一人一人のサラリーマンが日々仕事をする際にはヴァリューを大きくすること以上にコストを切り詰めることを強く意識させられているものである。本当にお客様のことを考えるともう1ランク品質の高い材料を使った方が壊れにくくなるのにとか、本当はサービス体制の人員を増やした方がお客様を待たせなくても済むのにとか、顧客の満足度を向上させるための手立てが分かっていてもそのために必要なコストが利潤を圧迫するのであれば、そういった施策は採用されない。(p.62)

●若いのにグリーン車に乗らせて貰っている、寝るだけならビジネスホテルで十分なのに一流ホテルに泊めて貰っているという意識が強く心を刺激し、こういう一流の扱いを受けるのに相応(ふさわ)しい一流の仕事をしなければという思いに駆られたし、全身全霊を傾けて一流のアウトプットを出さなければという気持ちが高まった。「形から入る」という表現があるが、一流の形、すなわち一流ホテルやグリーン車といった一流の扱いを身に施すことで一流の中身を喚起することも、ヴァリュー ベースの行動スタイルとして合理性を持つのである。(p.66)

●通常の当事者意識を超えたレベルでの全権意識、これがプロフェッショナルが自分の仕事に対してとるべき関与のスタンスである。何をやるのか、どうやるのかについて全て自分で決め、全て自分でやり、全て自分が責任を負うという関与のスタンス、即ちこれがセンス オブ オーナーシップなのである。(p.69)

●プロフェッショナルはどのような職種にせよ、高度な知識や技術を身につけていなければならないが、知識や技術は一人前のプロフェッショナルとして認められるための必要条件でしかない。(p.71)

●プロフェッショナルと同等以上の知識や技術を持つ人材は、一般のサラリーマンの中にも少なくない。どんなに高度な知識や技術を習得していて、しかも公益や顧客に貢献しようとする志があったとしても、それだけでは一人前のプロフェッショナルとは認められない。彼らとプロフェッショナルとの違いは、他人から命ぜられなくても自分がやることを自分で決めることができ、自らを厳しく律して最善の努力をし、結果に対して全ての責任を負う覚悟があるかどうかである。プロフェッショナルのプロフェッショナルたる所以は、センス オブ オーナーシップに基づく自己完結性にあるのである。(p.72)

●職業人としての要件や本来的な仕事の目的が大きく異なっているのであるから当然のことではあるが、プロフェッショナルの仕事のスタイルは、仕事の取り方から契約の形態、報酬の設定の仕方に至るまで様々な面において、通常のビジネスとは大きく異なっている。また組織や集団の作り方も違う。プロフェッショナルは基本的には個人ベースの仕事であるが、より効率的に仕事をするためにファーム(firm)と呼ばれる会社的な組織集団を形成することもある。このファームという組織にもまた一般の会社(company, corporation)とは異なった独特のしくみと運営ルールがある。(p.76)

●プロフェッショナルの世界の独特のルールの中でも最も特徴的なものが、どのようにして仕事を取るかという営業のルールである。端的に言うならば、プロフェッショナルは営業をしてはならないのである。(p.77)

●プロフェッショナルは顧客との関係のあり方が、不特定多数の相手を顧客として仕事をしている通常のビジネスとは大きく異なっている。プロフェッショナルと顧客との関係は、一言で言うと、対等の関係である。お客様はプロフェッショナルにとって神様ではないし、さりとてプロフェッショナルは自分が"先生"として顧客を下に見ているわけでもない。プロフェッショナルと顧客は対等の関係として共同で問題解決に挑むパートナーとしての立場で仕事が行われるのである。(p.78)

●そしてプロフェッショナルは顧客のことを自分が提供するサービスをお金で買ってくれる単なるお客様とは見なしていないこともあって、カスタマー(customer)という言葉は使わない。プロフェッショナルは自分が問題解決の仕事をする相手を、「クライアント(client)」(依頼人)と呼ぶ。実際にわが国のプロフェッショナル業界で使われている言葉を見てみても、コンサルタントや会計士ではクライアント、弁護士では依頼人、医者では患者、建築家では施主あるいは依頼主というように、どの業界においても客とかお客様と呼ぶことはない。(p.79)

●プロフェッショナルが依頼された案件を引き受けるかどうかの判断基準に置いているのは、依頼人の抱える問題をきちんと解決することが自分に可能かどうかという1点であり、ひいては自分がその案件によって社会に貢献し得ることができるかどうかというプロフェッショナルの本分につながっている。プロフェッショナルの仕事の目的も、依頼された案件を引き受けるかどうかの判断基準も、共にクライアントへの貢献であって、決して自分の利益ではない。間違ってもその案件によって自分がどれくらい儲けられるのかという観点を判断基準にしてはならない。(p.80)

●プロフェッショナルがクライアントから得る報酬は、パーディアム(per diem)に基づいて計算される。パーディアムとは簡単に言うと、1日当りの報酬金額、すなわち日当である。プロフェッショナルは依頼された案件をこなすのにどれくらいの日数がかかりそうかを予測して、自分のパーディアムにその日数を乗じてその案件の報酬額を決める。パーディアム20万円の弁護士が10日間かかる案件の報酬額は200万円、パーディアム10万円の弁護士が5日間でできる案件ならばその報酬額は50万円、という具合である。(p.83)

●そしてプロフェッショナルの意識の中では経済的指標としての側面よりも、むしろプロフェッショナルの格付けを表す指標としての面に強いこだわりを持っている。極端に言えば、自分の年収が2000万円であってもパーディアム20万円のコンサルタントとして見なされるよりも、年収は1000万円しかなくともパーディアム50万円と格付けされる方が遥かに嬉しいと感じる者が多い。(p.84)

●このパーディアムの金額は、基本的にはその当人が1日働くことによって生み出すことができる価値によって決まる。従って原則論的に考えるならば、パーディアム10万円のコンサルタントが10日間かかる仕事を、パーディアム100万円のコンサルタントであれば1日でやり遂げてしまうということになる。(p.84)

●筆者が身を置いているコンサルティングの世界を振り返ってみても、経験の浅い者だと1ケ月を費やしても正しい答えを出せないような問題でも、一流のコンサルタントであればたったの1時間で明快に答えを示せるようなケースも珍しくない。プロフェッショナルの世界とは、同じ資格、同じ肩書きであっても、これほどまでに技量の格差が大きいものなのである。だからこそプロフェッショナルは自らの技量の格付けを意味するパーディアムに強くこだわるのである。(p.85)

●通常のビジネスでは当然のことである価格交渉のかけひきも、プロフェッショナルにとっては卑しい行為だという認識を持つ者も少なくない。とはいえ、依頼人のフィーの支払い能力が不十分であっても彼が抱えている問題の内容や事情によってはどうしても力を貸してあげたいと思う場合もある。そのような場合、誇り高いプロフェッショナルは中途半端な値引きをするのではなく無料でやることが多い。パーディアムを値引きすることは、プロフェッショナルとして自らの格と価値をおとしめる行為であり、そんなことをするくらいならフィーを取らないで公益に寄与することを選ぶのである。(p.86)

●またこれと同じように、実際に案件を始めてみると依頼を受けた時点で予測した必要日数を大幅に超過してしまうケースも稀ではない。~(中略)~このような場合、追加のフィーは請求しないのが原則である。(p.86)

●依頼された案件を遂行するためには、どのような手立てが最も有効で、そのためには何日くらい日数を必要とするのかを的確に見通すことは、プロフェッショナルが身につけなければならない大切な能力の1つであり、しかもクライアントが負担しなければならないフィーをなるべく軽くすることも大切な条件である。医者は患者の病気をただ治しさえすれば良いというものではなくて、なるべく短い期間で患者の苦痛を最小限にして、副作用のリスクを抑えて、しかもなるべく安い治療費で治すのが名医なのである。こうした最初の診立てにもそのプロフェッショナルの技量が如実に現れる。技量の未熟な者ほど、いくつかある選択肢のうちどの手立てが最も有効なのか、そしてどれくらいの手間と日数がかかるのかを見誤ることが多い。その見誤りの責任を追加のフィーという形でクライアントに負担させることは、プロフェッショナルとしてあってはならないことなのである。(p.87)

●以上がプロフェッショナルのフィーの設定の原則であるが、このパーディアム方式は実は同時に報酬に関するもう1つの大きな原則を示唆している。成功報酬方式の禁止である。この手術が上手くいって完治したら1億円下さい。後遺症が残ってしまったら1000万円。もし手術が失敗したら無料で結構です。などというような成功報酬型のフィー契約は、プロフェッショナルは原則的には禁じられている。成果が出た場合には正規のフィーを取る代わりに、成果が出なかった場合には報酬を辞退するという成功報酬型のフィー設定は一聞すると、クライアントの利益に合致した成果主義型の公正な報酬規定に思われるかもしれないが、実はそうではない。成功報酬型のフィー契約は商業主義的であるばかりでなく、むしろ無責任な報酬方式とすら言えるのだ。クライアントがプロフェッショナルに依頼してくる問題はほぼ間違いなくそのクライアントにとって極めて深刻重大な問題であり、その深刻さにつけ込んでプロフェッショナルが成功した場合の条件として高額なフィーを設定してしまってもクライアント側は受け入れざるを得ないことになりがちである。その意味では成功報酬型のフィー設定は商業主義的な性格を持つと言えよう。(p.88)

●またプロフェッショナルはクライアントからの依頼に対して、上手くいったら良いけれどダメだったらゴメンナサイなどという安易な姿勢では決して仕事を引き受けてはならないということも重要なポイントである。プロフェッショナルが仕事を引き受けるということは、クライアントにとっては実質的にその問題は解決したのも同然であると思ってもらえるほどの確実性と責任感が必要なのである。その意味では成功報酬型のフィー契約というのは、当初から成功しない場合もあり得ることをプロフェッショナル自らが想定しているわけであるから、プロフェッショナルが保証すべき仕事完遂の責任感が不十分だと見なされるのである。つまり失敗したら報酬は不要ですというのは、一見顧客利益指向に感じるかもしれないが、プロフェッショナリズムの観点からはむしろ無責任な条件設定だと解釈されるのである。(p.89)

●協会とは、同業のプロフェッショナルを会員として構成される協同組合的組織で、かつてのギルドである。医者であれば各地の医師会、弁護士であればやはり各地域毎に設置されている弁護士会がそれに当たる。協会の機能は主として、資格の認定及び品質の監督、そして権益の確保である。(p.93)

●専門の国家試験が不要なプロフェッショナルとしては経営コンサルタントが挙げられるが、アメリカやイギリスにおいてはかつてのギルドと同様にアメリカ経営コンサルティング協会、イギリス経営コンサルティング協会の認定を得てはじめて経営コンサルティングの仕事を行うことができるようになっている。(p.95)

●ファームは出資者兼意思決定者であるパートナーの他に、アソシエイトとジュニアという2つの職階がある。アソシエイトというのは一人前のプロフェッショナルとして認められた身分ではあるが、パートナーとは違ってファームの運営には関与できない職階である。~(中略)~ジュニアはプロフェッショナルを目指して修業をしているが、まだ一人前としては認められていない職階である。(p.102)

●プロフェッショナルの行動特性として、まず行動的(プロアクティヴ)であるということから紹介していこう。ちなみに行動的という言葉につけたルビをアクティヴではなく敢えてプロアクティヴにしたのは訳がある。プロ(pro-)とは日本語で言えば超という接頭語に近いのだが、プロフェッショナルが行動的である度合いはまさに超の文字を冠するのに相応しいほどのものである。通常一般の人々が行動的であるのとは明らかに一線を画す度合いで、プロフェッショナルは行動的である。そして、ここで行動的(プロアクティヴ)という言葉を使って表しているプロフェッショナルの行動特性には、3つの意味合いがある。まず文字通り体を動かすのを好むこと、次にタフであること、そして思いついたらすぐに行動を起こすことである。(p.120)

●プロフェッショナルが意欲的(チャレンジング)であることと並んで見せるもう一つの行動特性は個人主義的(インディペンデント)であることである。プロフェッショナルは人と群れるのを好まない。また、安易に他人に同調しない。何事に関しても自分は自分というスタンスを貫いて行動する傾向が強いのである。この行動特性も、自分がやることは自分で決めて、他人をアテにすることなく黙々と自分一人でやり抜くというワーキングスタイルから来ている。(p.132)

●プロフェッショナルにとってのチームワークとは、一人一人が責任を持って自分の使命を完遂することが基本である。通常のチームワークのイメージが意味するような、仲間のメンバーと心を通わせたり、他のメンバーの出来具合に配慮したりなどということについてはそれほど気にしない。むしろ他のメンバーに自分のことで気持ちの負担をかけないようにすることがチームワークの基本だと考えており、そのためにも一層自分の担当に意識を集中させるのである。つまりプロフェッショナルにとってのチームワークとは、チームメンバーとの同調ではなく、合理的な役割分担と一人一人のミッションの死守なのである。従って他のメンバーに対する心配は要らぬお世話だし、メンバー全員一丸となって共に頑張りぬこうなどという掛け声なぞ無用なセンチメンタリズムなのである。(p.133)

●常に自分なりの、しかも他人とは異なった解釈やアイデアを求められるのである。従ってプロフェッショナルは自分が何かを判断する際に、他人の意見や解釈を意図的に排除して考えようとする傾向がある。新聞を読んだりニュースを聞いたりする場合にも、どの部分が事実でどの部分が記者やコメンテーターの解釈なのかについては注意深く選り分けて読み取る。事実は頂くが、コメンテーターの評論は不要なのである。(p.134)

●従ってプロフェッショナルが会話のメンバーに入ると、他人の意見やコメントに対して批判的な見解を差しはさむことが多くなり、会話の流れがぎくしゃくしてしまうことが珍しくない。テレビや新聞の論調も前提から疑ってかかるし、一人一人が必ず自分の意見を主張する。(p.135)

●実際、医者でも弁護士でもコンサルタントでも、一流と目されるプロフェッショナルは皆、現場感覚に優れ、現場を重視する人ばかりである。(p.145)

●近年プロフェッショナルが重大な事件をしばしば引き起こしている背景には、現代社会のしくみやルールとプロフェッショナリズムの間に不整合があると述べたが、実はプロフェッショナリズムはどんな社会においてもそう簡単には機能しにくいものなのである。別に現代社会でなくても、中世であろうが古代であろうが、はたまたアジアであろうが西欧であろうが、人間が形成する社会においてプロフェッショナリズムが健全に機能し、プロフェッショナル達が理想的な姿で活躍するなどというのは、そもそも論としてかなり困難なことなのである。おそらく100パーセント安全な原子力発電所を建造するのと同じように難しいであろう。むしろプロフェッショナルはかなり危ない職業なのである。(p.158)

●このようにプロフェッショナルの仕事とは、普通の人には正否や妥当性の評価ができないほどの高度な内容について、全権を自分一人で掌握した立場で、しかも監視されることなく一人きりで遂行するというものである。従って、技術か、判断か、緊張感か、良心か、どれか1つにでもほんの小さなミスか不適切な要素が入り込んでしまうと、事故や事件に即つながってしまうのだ。(p.161)

●例えばイスラム社会では、ちなみにイスラム社会の人口は約13億人で日本人の約10倍もの人々が世界で生活しているのだが、ほとんどの人が毎日5回の礼拝と陰暦9月のラマダン(絶食月)を欠かさない。工場では礼拝の度毎に1日5回も製造ラインをストップするが、そのために蒙る生産効率の犠牲は甚大である。まだラマダンの月には明らかに皆がイライラして話がまとまらないので重要な会議はその頃には行わないらしい。~(中略)~イスラム社会の人々にとっては、10パーセントや20パーセント経済効率が落ちても、即ち所得が1割や2割減っても、そんなことより毎日5回神聖な絨毯の上で定め通りにひざまずいてきちんとお祈りをすることの方がずっと重要で幸せなのである。(p.167)

実際、経済の価値よりも優先すべき価値を持たない社会は日本以外には見当たらない。信仰の国ネパールや貧乏でも陽気に暮らすキューバの例を持ち出すまでもなく、スペインやポルトガルでも重大な経済的ロスと引き換えに毎日2時間昼寝して夜毎ワイワイガヤガヤ飲んだくれているし、西欧の国々は固有の文化や歴史を経済効率よりも優先する。資本主義の権化のように目されているアメリカですら、ボランティアと寄付行為は圧倒的に世界一である。(p.168)

●アメリカのボランティア活動の規模はGDP換算で15パーセントに上る。(p.169)

●アメリカでは大企業の社長も映画スターも工場労働者も、そしてホームレスまでもが、毎週土日にはボランティア活動をしているのだ。更にアメリカは個人の寄付金の額も圧倒的に世界一である。年間の国民一人当りの寄付金額は約8万6000円、これはアメリカ人とほぼ同じ所得を得ていながら年間一人当り1700円しか出さない日本人の50倍である。(p.170)

●今の日本では、金で買えないモノがないのではなくて、金では買えないモノに対して人々が興味をなくしてしまっているのである。高潔な人格や深い教養、慈しみの気持ちや清廉な人生といった金では買えないモノが意識から欠落してしまっているために、金で買えないモノがないように思ってしまうのである。金では買えないモノが思いつかないような意識の人々で構成される社会においては、その社会のしくみやルールは経済的合理性のみを軸にして組み立てられることになる。(p.171)
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