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川口マーン惠美「住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち」
昨年11月のドイツ出張を終え、なにげなく書店でランキングを見ていたら、この本が目にとまりました。結構おもしろい本でした。

●だからだろう、彼らの頑迷(がんめい)さに腹の立つことはままあるが、日本人がドイツ批判を始めると、にわかにドイツ人を弁護しなければいけない気分になる。ただ反対に、ドイツ礼賛(らいさん)に対しては、「そうでもないのよ」とブレーキを掛けたくもなるから、いつまでたっても心は定まらない。私は、ドイツでも日本でも、いつでも少し傍観者になってしまう。ただ、長く外国にいると、日本がつぶさに見えてくることは確かだ。日本の長所は非常に多く、それはとりわけ実用面で際立(きわだ)っている。(p.3)

●一例をあげるなら宅配便。あの複雑なシステムを、あそこまで正確に全国津々浦々(つつうらうら)まで機能させられる国は、世界広しといえども日本以外にはありえない。時間に比較的正確な国・ドイツでさえ、電車が時刻表通りに走ることは稀(まれ)なのだ。ましてや、2時間単位の配達時間指定など、どの国であっても逆立(さかだ)ちをしても無理だ。彼らはそんなことが可能だということさえ信じない。しかし、当の日本人は、これが当たり前だと思っている。(p.3)

●しかし、日本人には欠点もある。たとえば論理性の欠如だ。ドイツ人は哲学的思考が好きで、思考の過程を愛しているが、日本人は議論などさしおいて、一足(いっそく)飛びに結論を出すほうが好きだ。言い換えれば、思考の過程よりも実務の結果に重点を置く。計算式よりも解答なのだ。だからこそ、日本人の手に掛かれば多くのことが完璧に機能するが、その議論は禅問答(ぜんもんどう)のようにわかりにく。(p.4)

●日本人のもう一つの欠点は、広報活動の稚拙(ちせつ)さだ。日本をアピールするための短期的作戦もなければ、どこに種を蒔(ま)けば、それがどのように実を付けて、いつごろ日本の役に立ってくれるかというような長期的作戦もない。だから、世界の多くの国が、イメージのほうが実態よりも良いなかで、日本は、実態のほうがイメージよりも良い唯一の国ともいえる。ドイツにいたときは日本に対して批判的だったドイツ人が、日本に住むと皆、日本ファンになる。(p.4)

●とくに中国とフィリピンは一触即発の事態が続いており、私たちが尖閣に発つ前日の6月24日には、スカボロー礁で中国船がフィリピン漁船を沈没させて、フィリピン人漁師1人が死亡、4人が行方不明になっている。追い打ちをかけるように、同28日、中国は南シナ海域に軍事関連施設を設置することを発表。ベトナム沖で石油や天然ガスの資源開発を進めようと計画しているらしい。これに対して、ベトナムとフィリピンがいきり立っている。まさに、戦争が勃発(ぼっぱつ)してもおかしくなさそうな不穏さだ。しかし、フィリピンやベトナムの海軍が中国に太刀打(たちう)ちできないのは、彼らがいちばん知っている。(p.25)

●尖閣問題も同じく、世界の多くの人たちにとっては、遠い所で起こっているよくある領土問題のひとつに過ぎない。つい最近までは、日本人でさえ多くは尖閣諸島がどこにあるのか知らなかった。無関心という点ではあまり変わらない。ただ、確かなことは、領土問題というのは実効支配をした者が勝つということだ。そして、実効支配にはそれを裏づける軍事力が必要だということ。これだけは、いろいろな歴史が証明している。(p.33)

●領土問題が実効支配によって決まる限り、北方領土はもう戻ってこない。竹島もおそらく駄目だ。尖閣諸島でも、日本政府はあからさまな実効支配を避けているが、それを裏づける軍事力がないのだから当然かもしれない。口先だけ強いことをいっても、実を伴っていなければ、鼻でせせら笑われるだけだ。(p.34)

●ドイツは、連合軍から押しつけられた基本法(憲法)を、削除や変更も含めれば59回も改正した。軍隊の復活、東西ドイツの統一、EUなど、改正の必要な出来事が多かったこともあるが、2012年11月にも改正が行われている。しかし、だからといって、ドイツがタカ派の国というわけではない。国民の考えはリベラルで、保守勢力はどんどん弱まりつつある。2011年からは徴兵制も停止され、連邦軍は職業軍人と志願兵だけになった。平和主義者の多い国だから、軍国主義に傾くことは、まずありえない。ただ、それでも、軍事力の後ろ盾がなければ、世界での発言権を失うであろうという肝心要(かんじんかなめ)のところだけは承知しているのだ。(p.35)

●日本には、憲法を改正すれば軍国主義になると主張している人がいるが、あまりにも思考が短絡的すぎる。日本人で戦争に行きたいと思っている若者がいるなら、一度お目にかかってみたいものだ。日本は逆立ちしても軍国主義になどならない。それはドイツと同じだ。ただ国の利害は、領土にせよ、経済的なものにせよ、自分たちの手で守らなければならない。それを真剣に考えないというのは、まことに無責任なことだ。よその国の誰かが代わりに日本を守ってくれるはずがないではないか。(p.36)

●日本にいたドイツ人の多くも、クモの子を散らすように出国。あるいは、日本に残り続けていたとしても、東日本から逃げるように、関西地方に避難した。ドイツ大使館は、3月16日から大阪府の総領事館に業務・機能を移し、BMWやフォルクスワーゲンなどのドイツ人社員はほとんど帰国した。ドイツ人特派員の多くは、大使館と一緒に関西に移動して、大阪のスタジオから生中継を行った。(p.40)

●結局、3月17日、私は当初の予定通り成田を発った。運よくスカンジナビア航空を予約していたので日本を出国できたが、ドイツ最大の国際航空会社・ルフトハンザならば、面倒なことになっていただろう。ルフトハンザと、その子会社のスイス航空だけは、そのときすでに成田空港への運航を中止していたからだ。(p.41)

●日本で起こった東日本大震災の報道は、ドイツ国内に新たな動きも生み出した。震災翌日の2011年3月12日、ドイツのバーデン・ヴュルテンブルク州では、州都シュトゥットガルトから古い原発のあるネッカーヴェストハイムまでの45キロの区間に、6万人の人間が手を繋(つな)いで並び、原発の稼働停止を求める「人間の鎖(くさり)」ができたのだ。(p.46)

●皆、脱原発を心から喜んでいるように見えた。~(中略)~開票の結果は、賛成513票対反対79票、棄権が8票。同年7月8日、連邦参議院での通過を待ち、法律は成立した。ドイツは、脱原発に向かって舵を切った。(p.50)

●かくしてドイツの脱原発は、福島第一原発の事故のあと、目まぐるしく決まった。ただし、ドイツにはもともと反原発の土壌は十分にあった。なぜなら、前述した通り、ドイツの原発というのは、すでに40年も議論されてきたテーマだったからである。この国では、12歳以上の人間なら、必ず一度は原発の是非について考えたことがある。だから、皆が原発について何らかの意見を持っていた。(p.50)

●メルケル首相も、脱原発決定直後は、緑の党よりエコな政治家になった。これまでのスタンスを振り返れば、その切り替えの速さは、単なる方向転換というより、3回転捻(ひね)りの超絶技巧に近い。(p.51)

●原発を止めると危ないもう1つの都市は、中部ドイツのフランクフルトだそうだ。フランクフルトは、産業だけでなく、世界的に有名な金融の街だ。連邦銀行も株式市場も大手銀行の本店もここにある。すでに原発モラトリアムが始まった3月14日以来、フランクフルトやシュトゥットガルトは、ケルンの火力発電所から電力を回してもらっている。(p.56)

●ちなみに、ヨーロッパ全体では原発建設ブームのようだ。とくに、東欧諸国とロシアが原発建設に熱心。ロシアは、天然ガスは西ヨーロッパに高く売れるので、自国で消費するのはバカバカしいと考えている。そこで、自分たちの電気は原発で賄(まかな)おうとしているわけだ。一方、東欧の国々は、エネルギーについてロシアに首根っこを押さえられたくないから、原発を建てようとする。さらに、そのうちドイツで電力が不足したら、原発で発電した電気を売っていく腹づもりだろう。(p.69)

●ドイツでは、どんな零細企業でも、病休と有休がごちゃ混ぜになることはない。具合が悪くて休みたいときは、電話1本でOKだ。そのまま最低2日(会社によっては3日)は休める。~(中略)~いずれにしても、病気のときに休むのは、労働者の当然の権利だ。~(中略)~というわけで、有休を1日でも病気のために犠牲にするドイツ人はいない。(p.79)

●ドイツ人にとって、有給休暇は純粋な休暇であり、病休とはまったく別のものだ。有休のもともとの目的は、日頃溜まった疲れを取り、心身ともにリフレッシュして仕事に復帰するための英気を養うことである。(p.80)

●他では融通(ゆうずう)の利(き)かないドイツ人が、休暇の配分だけはなぜか素晴らしく柔軟になり、スムーズに決めることができる。よって、たいてい年次の初めに、休暇の大まかなタイムテーブルが決まっているのだ。(p.80)

●3週間のメインの休暇の他は、残りの有休をちょびちょびと取る。(p.81)

●メインの休暇の間は、旅行に出る人が多い。だから、本当にリフレッシュして職場に戻れるかどうかは、かなり怪しいところだ。有給後に、日焼けはしているが、中身はくたびれているという人も少なくない。(p.81)

●「他人は他人、自分は自分」という社会とは違い、日本人はいまでも、周りの人と歩調を合わせる傾向がある。同僚が働いているときに一人で遊ぶのは気が引けるという雰囲気が強いのは、農村共同体の名残(なごり)かもしれない。(p.83)

●さて、日本人に比べるとゆったりと休暇を満喫しているように見えるドイツ人だが、一方で、燃え尽き症候群が社会問題になりつつある。ストレスにやられる人間が増えているのは、日本だけではないのだ。燃え尽き症候群とは、働いても働いても仕事が減らない状況が続くうちに、眠れず鬱(うつ)になったり、ぱたりと何もできなくなること。ドイツ人は常に物事を悲観的に考えるので、燃え尽き症候群に対しても報道はかなり大仰(おおぎょう)だ。「これは新しい国民病であり、軽視してはいけない、兆候が出れば、すぐに医者にかかるべきだ」となる。(p.85)

●ドイツ人の労働時間は短く、しかも賃金は高い。おまけに、社会保障費も高い。社会保障費の半分は雇用者が負担しなければいけないし、労災保険は全額負担しなければならないから、雇用者側は、当然、できるだけ従業員を増やさずに、労働効率を上げようとする。つまり、同じ時間内にこなさなければいけない仕事がだんだんと増えていっても不思議ではないのだ。ただ私の見るところ、ドイツ人は、自分で自分の首を絞めているようなところも多い。だいたい、働いている人が、自分の労働時間をあまりにもシビアに見張り過ぎている。たとえば、週38時間の雇用契約を結んでいる人は、自分の労働時間がそれを1分でも超えると損をしたと思い、とても腹を立ててしまうのだ。だから、何が何でも時間内に仕事をこなそうと皆が常に焦(あせ)っていて、勤務中、極端に不機嫌だ。終業の10分前にかかってきた電話には絶対に出ない。(p.88)

●いずれにしても、日本人は、自分の労働時間のために毎日腹を立て、ストレスを増やすということはない。また、他でストレスが溜まれば、夜、お風呂に浸かってある程度リフレッシュするという国民的な技も持っている。それに比べて、ドイツの労働時間は短く、給料は高い。つまり、生産性が高い。これは、素晴らしいことのように聞こえるだろう。しかし、労働時間が短く、給料が高いからこそ、雇用者側は人員削減に全力を注ぐのだ。よってリストラも失業も増え、結果的に就労者1人当たりの仕事量がじりじりと増える。しかも、ドイツ人は何が何でも時間内にこなそうとするから、ストレスが高まってしまう。会社員は年間6週間の休暇を有するが、それでもストレスは解消できない。彼らは、お風呂に浸かって、その日の疲れを癒すような術(すべ)も持たない。(p.91)

●2011年5月、ドイツの労働市場に、ドイツ人のストレスをさらに増やす事情が加わった。2004年にEUに新しく加盟した10カ国の国民すべてに、EUの市場が開放されたのだ。労働市場の解禁である。~(中略)~2004年にEUに加盟した国というのは、ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキア、スロベニア、キプロス、マルタ、そして、エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国。バルト三国は旧ソ連邦だったのに、CIS(独立国家共同体)ではなくEUに加盟したところが興味深い。以来、これらの国の人々は、EUで働くために、入国ビザはもちろん、滞在ビザも労働ビザも何もいらない。就職も、職業訓練のポストに就くのも、チャンスはドイツ人と同じだ。(p.92)

●EUの理念とは、平たくいえば、「人」「金」「物」「サービス」の自由な往来である。それは着々と実行に移され、2007年には、ルーマニア、ブルガリアといった恐ろしく貧しい国が加わり、加盟国は27カ国に膨れ上がった。つまり、2014年には7年の満期が過ぎて、その2カ国がEUの労働市場に加わることになる。うまくいくわけがないと思うのは、私だけではないだろう。(p.93)

●現在、看護師の平均月収は、ユーロに換算すると、税込みでポーランドが580ユーロ、チェコが1000ユーロで、ドイツは2050ユーロだ。ポーランドに行ったことがあるのでよくわかるが、彼の地では、ホテルも、レストランも、その他のものも、申し訳ないほど安かった。これだけ経済力の違う国のあいだで、「人」「金」「物」「サービス」の自由な往来を行うのは、かなり無理がある。(p.94)

●そんなわけで、2004年にイギリスの市場が開放されたときには、年間60万人のポーランド人が職を求めてイギリスに引っ越してしまった。とくに多くの医者が流出し、それ以来、ポーランドは医者不足で悩んでいる。医療機関の空洞化は、チェコも同じだという。しかし、ドイツ人がいちばん恐れているのは、医者の流入ではない。それどころか、医者や看護師といった専門職の人々が入ってくるなら、ちょうどドイツで人材が不足している分野なので、それほどの不都合はない。困るのは、単純労働者が大量に流入して、最低賃金を押し下げることだ。そして、賃金崩壊に伴う失業の増加である。(p.94)

●ドイツの大学は、日本と違って国立がほとんどだ。私立も少しはあるが、エリート向きの特別なもので、当然、授業料も高い。そもそもドイツでは、つい最近まで大学は無料だったので、お金のかかる大学は、普通の人々の選択肢には入っていない。「何人(なんぴと)も平等に教育を受ける権利が保障されている限り、授業料を取るのはおかしい」と皆が思っている。私も大昔、シュトゥットガルトで3年間音楽大学に通ったが、大学から請求されたのは、わずかな登録料と、健康保険に加入したという証明書だけだった。親がドイツで税金を払っているわけでもないのに、ずいぶん寛大な措置(そち)だと思ったものだ。(p.103)

●大学入試で必要がないからか、日本の学校では、試験でろくに論文も書かせない。ドイツの学生が、ギムナジウムの時代から、考えや主張を文章にまとめる訓練を重ね、試験のときは4時間近くもかかって、ペンで論文を書き上げるというのに、日本では、試験で書かせる文章はたかだか800字程度。これでは論文とはいえない。与えられたテーマで、限られた時間内に、ある程度、起承転結の整った文章を作り上げるという作業は、実に難しい。しかも、文章で長々と回答しなければいけないのは、国語の試験だけではない。他の多くの教科も、論文形式の回答を要求してくる。英語やフランス語などの外国語も、その言葉を使って論文を書かせるケースが多いし、数学や物理でさえも、文章で説明させる問いが必ずある。当然のことながら、それを読み、採点していく教師にも、かなりの能力が要求される。だから、日本のように、その日の出来不出来が大きく作用する、一発勝負の、しかも選択式の試験で合否を決めようなどとは、教師の怠慢ではないかと思ったりもする。ちなみに、ドイツで選択式の試験といえば、自動車免許の筆記試験ぐらいだ。論文を書くには、文章力の前に、まず論理を構築する力が必要だ。だから、中身を本当に理解していないと、何も始まらない。またドイツでは、小学校のときからペンで書かせるが、これも文章を構築する訓練だと思う。消しゴムを使えないということは、頭のなかであらかじめ文章が纏(まと)まっていなくては、書き始めることさえできない。しかし日本人はかつて、手紙や和歌を筆でさらりと書いていたのだから、おそらく昔の人たちはそういう訓練をしていたのだと思う。(p.104)

●また、討論でいちばん大切なのは妥協点を見つけることだ。ヨーロッパの外交や交渉を見ていると、双方が少し多めに主張しつつ、怒ったり笑ったりしながら、だんだん妥協した振りを見せて、なんとか合意に持っていくということを、皆が実にうまくやる。しかも見事なのは、合意点に達すれば、その前にどんな激しく攻撃し合っていても、まるで後腐れが残らないことだ。これもすべて、長年訓練してきたテクニックの一つなのだろう。(p.107)

●ドイツでは、主張のない人間は、頭が悪いと思われるのがオチだ。主張する意見を持っていないと見做(みな)されるからである。主張する意見を持たないということは、意見を構築する能力がないことに他ならない。(p.107)

●ドイツの職人の世界には、もともと徒弟(とてい)制度という親方(マイスター)の下での修業の伝統がある。それがいまでは他の職種にも拡大し、大学生も皆、インターンという名の修業に励んでいるわけだ。~(中略)~つまり、良い企業に就職しようと思っている学生が、良い企業でインターン経験を積もうと励むのは、道理に適(かな)っている。(p.110)

●ある日、シュトゥットガルトの世界的大企業に勤めている友人と話をした。案(あん)の定(じょう)、企業側から見ると、インターンシップは欠かせない制度らしい。安くて優良な労働力という意味でも欠かせないし、将来の採用の指針としても欠かせない。学生の能力や性格は、1カ月も見ていると間違いなく査定できるのだ。その際、優秀な学生は、しっかりとマークしておくという。こうすることで、採用の失敗が少なくなる。(p.111)

●次女のボーイフレンドのDは、インタラクションデザインなるものを勉強している。コンピューターと、それを使う人間との相互作用の研究で、最新の技術と認知心理学が組み合わさっているところがミソらしい。オンライン・ショッピングなどで、人間とコンピューターがともに作業を進めていく際、いかにその画面が機能的で、美しく、利用者の心理にうまく作用し、しかもわかりやすいかということが重要なポイントだが、この分野の研究は、日本とアメリカがいちばん進んでいるという。(p.113)

●飲酒解禁は18歳だが、アルコール度の低いビールなどは16歳から許可されているので、修学旅行で夜の自由時間に生徒が飲み屋でビールを飲んでいても、教師は一緒に飲むことはあっても、注意はしない。煙草(たばこ)も、学校内は禁煙でも、休憩時間に校門から一歩外へ出て吸えば、誰も文句はいわない。18歳になった生徒が車で学校に乗り付けてもOKだ。同棲(どうせい)している生徒がカップルでマイカー通学してくることも珍しくない。学校では、避妊の仕方やエイズの怖さは懇切丁寧(こんせつていねい)に教えるが、16歳を過ぎた子供にセックスをしてはいけないとはいわない。-なぜか。それは、プライベートに属することだからである。ドイツの学校には日本の学校にある生活指導という言葉はないのだ。その代わり、生徒は自分の行動に責任を持たなければいけない。生徒が起こした不祥事は、学校の責任でも、教師の責任でもない。18歳を過ぎれば成人となるので、親が公式に責められることもない。責任は本人が取らなければならない。(p.116)

●日本の教育の問題は、子供をうまく独立させてやれないことだと思う。遅くとも高校の時点で、子供を大人にしてやるべきだ。保護や指導ばかりでなく、責任の取り方を教え、大人として扱ってやれば、大学生はもう少し毅然(きぜん)とし、日本の将来は明るくなるのではないかと思う。(p.118)

●OECDの2006年のデータによると、海外に出ている留学生の数がいちばん多いのは、もちろん中国人で約45万人、その次がインドの約15万人。~(中略)~一方、人口10万人当たりの留学生の数が抜群に多いのは韓国で、218人(2007年)。日本の5倍、中国の7倍にもなる。(p.122)

●前述したとおり、ドイツの教師は、ドイツの他の職業に就いている人間と同じく、勤務時間にとてもシビアで、義務の時間数より1分たりとも長く働くことを嫌う。だから、部活動も行われない。現在、ドイツの自治体は財政が困窮しているので、部活動の勤務に給料を出す余裕がないからだ。そんなわけなので、ドイツの学校は、とくに4年間の小学校が終わると、勉強をするだけのところとなる。教師は、生徒のプライベートな事柄には一切かかわらないので、日本のように、クラスがコミュニティー性を持つこともほとんどない。学校では、まず成績がものをいい、人間性を育むといった二義的な機能は重視されない。義務教育の最中でも落第がある。(p.130)

●「日本の教育は崩壊している。それに比べて、ドイツは教育がしっかりしている。その話をしてほしい」などという依頼をときどき受けるが、はっきり言おう、それは妄想(もうそう)だ。いまのドイツの教育は、全体として見るなら日本よりももっと崩壊している。(p.131)

●ドイツの学校では、教師と生徒が一緒に昼食をとることはない。清掃も生徒がいない間に為(な)される。生徒に清掃などさせると、不快に思う親がいるのだ。「子供を学校にやるのは、勉強をさせるためで、掃除をさせるためではない、自治体が予算不足だからといって、子供を使うのは何事か」とかなんとか……。清掃は、仏教では重要なお勤めの1つだが、他の宗教にそういう考え方はない。自分の家をあれほど念入りに掃除しているドイツ人だが、学校は自分の家の範疇(はんちゅう)には入らない。だから、市役所や病院の清掃を自分たちでしようと思わないのと同様に、学校も自分たちが掃除するところだとは思わない。掃除など、使用人の仕事と思っている人もいるだろう。(p.136)

●正確な情報が知りたいところだが、駅で聞いてもおそらく正確な情報は得られないだろうと、瞬間的に思った。トラブルが起きたとき、ドイツ鉄道で情報が流れないのは毎度のことだからだ。(p.145)

●ドイツでは、突然電車が停まっても、たいてい説明はない。以前、ニュールンベルクへ行くときに嵐になり、途中駅で立ち往生したことがあった。何の説明もないまま、車内で待つこと1時間。そして、そのあとの突然の車内放送は、いまでも忘れることができない。「この列車はもう動きません。全員下車してください。唯一、乗り継ぎのできる電車は、×番線、シュトゥットガルト行きです」私はシュトゥットガルトから来たのに!そんなわけで、ドイツ鉄道の評判は、「悪すぎるほど悪い」。人が集まったとき、たまたま鉄道の話題になると、突然、そこにいる全員が、ドイツ鉄道のせいで自分がいかに酷(ひど)い目に遭ったかという話を披露(ひろう)し始める。私はよく電車に乗るほうではないが、それでもトラブルの10ぐらいすぐに挙げられる。(p.148)

●ドイツ鉄道は、サービスはないが、故障は多い。技術大国ドイツというのは、ドイツ鉄道を除外した話だ。2011年7月のこと、ベルリンからケルンに向かう特急でエアコンが故障し、団体旅行中の高校生が次々に倒れた。折しも、異常な暑さに見舞われていたドイツでは、この日、ベルリンの気温は38度。当然のことながら、窓の開かない特急は耐えがたい暑さとなった。しかし、生徒の苦情は女車掌に無視され、生徒が倒れ始めてようやく電車は臨時停車をした。その後の調べで、車中の温度は60度に達していたことがわかった。しかも、この時期、エアコンが壊れた状態で走っていた列車はこの1台だけではなかった。それどころか、1週間続いた猛暑の間、48台の特急や急行でエアコンが機能しなかったらしい。ドイツのあちこちの線路上で、気を失いかけた老人、ぐったりした妊婦、呼吸困難に陥った人、そしてその人たちを助けるために列車の窓をたたき割る猛者(もさ)、といった地獄のようなシーンが繰り広げられていたのである。ところが、この直後にインタビューを受けたドイツ鉄道の総裁は、「他の何百という列車ではエアコンは正常に機能していたのだから、40台程度の故障は偶然で、大きな問題ではない」と述べ、大顰蹙(だいひんしゅく)を買った。このときだけではない。2012年もやはり暑い時期があった。8月に私が特急に乗っていたら、どんどん暑くなった。隣の女性が車掌に「もう少しエアコンを強くしてくれないか」と頼むと、車掌は平然といった。「この車両のエアコンは故障したようなので、他の車両に移ったほうがいいですよ」(p.148)

●ちなみにドイツ鉄道は、大寒波の襲った2012年2月には、架線が凍(こお)り、ギブアップした。暑くても寒くても、ちゃんと故障するのがドイツ鉄道なのだ。(p.150)

●さて、こういうとき、使えなかった切符を払い戻ししてもらうのも大変な手間だ。面倒で、たいていそのままにしてしまう。一度、知り合いが600円ほどの指定券をちゃんと払い戻してもらったという苦労話を聞いたが、彼は年金生活者だ。つまり、払い戻しは時間のある人しかできない。普通の人は諦めるのだ。(p.150)

●時間通りに走らないのもドイツ鉄道の特徴だ。10分ぐらいなら遅れではなく、ピッタリ定刻だと皆が感動する。遅れを告げる車内放送では、次の停車駅でどの接続便がもう行ってしまったかを淡々と教えてくれる。偶然、接続便も遅れていれば、「ラッキー!」ということになる。もうひとつ信じられないのは、ホームで列車を待っていると、突然、「次の列車には6号車が接続していません。6号車の指定券をお持ちの方は、他の号車で空席を探してください」とか、「次の列車は、号車番号が前後反対になって入ってきます」というビックリ放送が流れることだ。こういったことはしょっちゅうある。自分の予約した号車が存在しないなどということは、日本人の想像力を超える出来事だ。また、号車番号が反対ということは、先頭車両を予約していた人はホームを最後尾まで延々と移動しなければばらない。特急電車は長いので、子供連れや年配の人、荷物の多い人にとってみれば悲惨なことになる。(p.150)

●ドイツは高速道路(アウトーバーン)が非常に発達している国だが、夜のアウトーバーンは真っ暗だ。ほとんどすべての場所に照明がない。だから、前方に車がいなければ、自分の車のライトだけが頼り。後続の車がいないときはバックミラーは漆黒の闇で、これは結構怖い。(p.154)

●節電とは関係ないかもしれないが、ドイツ人は家のなかの照明も暗いほうが好きだ。居間の照明は、スーッと暗くできるスイッチを使っている家が多く、夜、とくに食後は、極端に暗くする。~(中略)~ドイツ人は蛍光灯(けいこうとう)は病院のようだといって、とくに嫌う。(p.155)

●これだけは自信を持って言うが、日本ほど痒(かゆ)いところに手の届くきめ細やかなサービスを享受(きょうじゅ)できる国は、世界中探してもどこにもない。私にとって、日本の便利さは誇りだ。拙著『サービスできないドイツ人、主張できない日本人』(草思社)でも強調したが、日本人の商売における理念は、消費者に対する思いやりが占めている部分が大きい。より便利で、より快適なものを作って、あるいは売って、お客に喜んでもらいたいという気持ちが、お金を儲けるという商売の本来の目的と並行して、常に存在する。(p.156)

●安全性の追求なら、ドイツ人だってやる。しかし、便利さや快適さが安全性と異なる点は、それらは付加価値であり、なければないで済むということだ。(p.156)

●したがって、この国のサービスの改善は、亀の歩みよりのろい。そもそもドイツ人とは、便利さに背を向ける国民だ。以前、車の窓の開閉が電動式になったとき、知り合いのドイツ人は言った。「私は、グルグル廻すほうが良い」便利を目の敵(かたき)にするところが、なぜかドイツ人にはある。(p.157)

●ドイツには閉店時間法というのがある。1956年にできた法律で、それによると、飲食店とガソリンスタンドなどを除いたすべての店は、平日は夕方午後6時半、土曜日は午後2時で閉店し、日曜と祝日は終日店を開けてはならなかった。例外は第1土曜日とクリスマス前の4回の土曜日で、午後6時までの営業が許されていた。(p.157)

●しかし、この恐るべき法律が、奇跡の経済成長期もなんのその、40年近くも頑迷(がんめい)に続いたのが、ドイツという国なのだ。その後、閉店時間法は少しずつ少しずつ緩み始めて、ついに2006年、各州に委(ゆだ)ねられることになった。(p.158)

●ユーロの紙幣のデザインは1種類しかない。一方、硬貨は、表は共通だが、裏のデザインは鋳造(ちゅうぞう)する国に託されている。たとえばドイツで鋳造された1ユーロ硬貨の裏はドイツ国の象徴である鷲のデザイン、フランスは様式化された木、オーストリアはモーツァルト、イタリアはレオナルド・ダ・ヴィンチの有名な人体図という具合だ。スペインやオランダのように国王や女王の肖像を採用している国もある。~(中略)~2ユーロ硬貨の縁も、各国が自由にデザインすることができる。もちろん薄いので、芸術的才能を発揮できるほどのスペースはないが、よく見ると、たしかに各国で異なる。私がまだ一度もお目にかかったことがないのが、アイルランドとフィンランドの1ユーロ硬貨だ。前者は竪琴(たてごと)、後者は白鳥と湖のデザインで、一度実物を見たいと思うが、何しろアイルランドもフィンランドも遠いうえ、これらの国で鋳造された貨幣が全体に占める割合はおそらく僅少(きんしょう)であろうから、なかなかシュトゥットガルトまでは回って来ない。面白いのは、バチカン、モナコ、サンマリノの3カ国が自国でユーロ硬貨を鋳造していることだ。EUの加盟国ではないが、いずれも例外的にユーロを通貨として使用している。あらゆる1ユーロ硬貨でもっとも人気のあるのが、法王の肖像がデザインされたバチカンのものだという。(p.163)

欧州中央銀行のリンク
http://www.ecb.europa.eu/euro/coins/html/index.en.html

●10年後、最初は12カ国だったユーロ導入国が、2012年には17カ国となった(EU以外の導入国3カ国を加えると20カ国)。(p.164)

●そういえば、1948年の西ドイツで、突然、旧マルクが新マルクに切り替えられ、国民の虎の子が紙くずになったときも、不動産を所有していた人だけは、被害を免れた。通貨の信用が落ちれば、信用できるのは物自体の価値だ。ちなみに、当時、マルクの切り替えは極秘のうちに計画され、あらゆる抜け駆けを防ぐため、一夜にして行われた。(p.171)

●戦後の西ドイツでは、この金融改革という荒療治によって闇市(やみいち)が一夜にして消滅、経済の混乱は解消、市場には突然、ものが出回り始めた。このあと、西ドイツが奇跡の経済成長を遂げたのは、周知の事実である。(p.172)

●そもそも、ベルルスコーニ氏の出馬もさることながら、突然、政界に躍り出たお笑い芸人のグリロ氏が、25.55%もの支持を得たのも理解しがたい。ドイツのニュースでは、「コメディアンが政治家になり、政治家(ベルルスコーニのこと)がコメディアンになるのがイタリアの選挙」と揶揄(やゆ)していたが、グリロ氏には政策も何もない。唯一の目的はモンティ首相の財政緊縮に対する「抗議」。彼の出馬は、すべての政治家を失脚させ、政治をさらに混乱させるのが目的だ。(p.180)

●イタリア経済は、ユーロ圏では第3の規模であり、世界でも8位。破産したときの被害は甚大(じんだい)だ。ギリシャ経済はイタリアの7分の1ほどの規模なので、皆でお金を出し合えばなんとか助けることはできるし、いままでもそうしてきたが、イタリア経済がこれ以上、危険水域に近づけば、もう誰の手にも負えない。すでに非常ベルは鳴っている。(p.180)

●よくわからないのは、これだけEUにガタがきているというのに、日本ではTPPに参加しようと旗を振っている人がたくさんいることだ。EUというのは、加盟国間での「人」「金」「物」「サービス」の自由な移動をめざすシステムであり、TPPは共通の通貨は持たないものの、「人」「物」「サービス」の自由な流通という理念は、EUと原則的にはとても似ている。(p.181)

●TPPの不都合な部分は「交渉で解決すれば良い」という主張もよく耳にするが、日本がアメリカを相手に交渉で利を得ることができるなら、何も苦労はしない。日本は交渉に極めて弱いからこそ、これまでもいろいろな国を相手に、政治でも、経済でも、国連でも、オリンピック委員会でも、とにかくさまざまな国際舞台の交渉の場で、悔しい思いをしてきたのではないか。その交渉が、いまになって、突然うまくできるというのは、考えが甘い。TPP交渉の参加国のなかに、日本と利害を共有する国はない。国情の似ている国すらない。だから、具体的な共通の利害が見えない。それでも、いったん加盟してしまえば、多数決で相手の都合の良いように物事が決められても、文句は言えない。価値観の違うところでは、市場原理が優先する。その結果、日本が長いあいだ培(つちか)ってきたやり方が、ことごとく、非合理であるとして否定される可能性がある。(p.181)

●EU経済の手綱(たづな)を握る主要人物を眺めてみると、EUのジョゼ・マヌエル・ドゥラン・バローゾ委員長はポルトガル人、欧州中央銀行のマリオ・ドラギ総裁はイタリア人、IMFのクリスティーヌ・ラガルド専務理事はフランス人と、皆、財政破綻の南欧組の面々だ。彼らにとって、ヨーロッパを救うということは、すなわち自分たちを救うこと。そのためには、ドイツにお金を出させようというところでは、意見は一致する。そして、彼らが一丸となれば、ドイツに反論のチャンスはほとんどない。ドイツのEU内での形勢は、恒常的に悪い。(p.184)
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