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中尾政之著「失敗の予防学」
これは今年の1月に読み終わった本です。

●一般に仕事のできる人は、自分の失敗だけでなく、他人の失敗も「他山の石」として知識化し、教訓化しているものである。「人のふり見て我がふり直せ」これが、この本で解き明かす失敗学の真髄である。賢者はそれこそ古今東西の他人の失敗を生かすのである。(p.3)

●仕事ができる人というのは、そういう人間心理をよく知っている。彼らは、仕事は慎重過ぎるくらいのほうがいいことをよく知っているのだ。「過ちすな。心して下りよ」と『徒然草』にもある。「木登り名人」は高いところでは声をかけず、根元に近づいてから声をかけた。高いところでは注意して下りるけれども、低くなるともう大丈夫だ、と安心する。そんなときに事故が起きやすい。油断が生じるからだ。そこで、低くなったときに声をかける。過信には必ず油断がつきまとう。それはカメに負けたウサギを例に出すまでもないだろう。どんな警告も、ウサギは負けるまで受けつけない。過信は、小さな"ヒヤリハット"によるリスク認識を拒絶し、行き着くところまで行かないと認識さえできない点が怖い。慢心病である。(p.28)

●木造建築の棟上(むねあげ)では、柱を2本立ててそれに梁(はり)を渡す。柱の穴に梁のほぞを叩き込むが、このとき鳶(とび)は梁に乗って大きな槌のようなカケヤを振り回す。しかし、安全帯をつけていない。もしつけていても、フックをかけるワイヤがない。柱が最初の高層物なのだからあるはずもない。その何もない最初を受け持つのが鳶なのであり、彼らの誇りでもある。と、思っていたら、北欧ではその最初の鳶のためにクレーン車を用意すると知った。鳶のためにその脇にクレーン車のフックをぶらさげておくのである。誇りであろうが過信であろうが落ちたらお仕舞いである。スウェーデンは安全に気をつける国で、世界で最初にアイスホッケーの防具を義務づけた。(p.30)

●デスクワークにおいて、書類のチェックミスはよくある失敗である。とくに書類の中身がわかっていると、過信からついつい斜め読みになってミスを犯す。そういうときは、ハンコを項目ごとに押すようにシステムを変えるとよい。それもどっちが上かわからぬような丸いハンコで、朱印でひとつひとつ押させるのである。(p.31)

●私は、隠したほうが得かどうか、を具体的に調べてみた。すると日本ハムや雪印食品の牛肉偽装のときは、悪事で儲かる金額の1000倍近い損失が、株価の暴落で生じた。~(中略)~組織にとって、隠すのは損である。普通は隠すと10倍返しである。このことを頭に叩き込んでもらいたい。これは、失敗学のキモである。(p.34)

●なお、エンジニアの立場からコメントするが、三菱製の自動車が危険かというと、そんなことはまったくない。リコールだって非常に発生確率が低い不良であり、他社でも類似した不良が見られた。日本車の安全性を十分に証明できる品質を有している。危険だと思わせているのはマスコミの操作も一因である。三菱の車が燃えたら大々的にニュースにするのである。車は日本のどこかで毎日、1台は燃えているのに。つまるところ、隠すとこうなるのである。(p.37)

●タイタニック号のリベットは低温脆性という現象で壊れた。いまだにこの現象を知らずに、マイナス200度で使用する装置を炭素鋼で設計すれば、そのエンジニアは無知といわれるだろう。アルミニウムやステンレス鋼を使うべきである。事故でも起こせば、本人のみならず、卒業証書を渡した大学まで訴えられるかもしれない。(p.43)

●水素のような可燃性のガスボンベは、不燃性のガスの配管と間違えないように、出口には左ねじが切ってある。ボンベと配管とのつなぎ目のパッキンが緩んで増し締めをしようとするとき、右ねじと勘違いして回すとパッキンはさらに緩んでガスが漏れる。しかし、そんなことは化学産業の従事者しか知らないから、機械のエンジニアがその間違いを犯すと、無知に分類されるだろう。(p.46)

●私たちは工学に関する失敗知識データベースを、科学技術研究機構の助成で作ったが、未知は1136件のうち、たったの4%だった。それでも事故が起きるのは、設計者が調査・検討に手を抜いたからである。製造物責任法では、世界で最高の科学技術でもリスクがまったく予見できないときは、免責される。ということは世界中の図書館のどこかに実はリスクが記載されていたら、設計者は有罪である。つまり、調査すれば事故が予見できたと見なされるのである。調査はつまらない作業ではあるが、手を抜いてはならない。(p.49)

●エスカレータだって死亡事故が起きていないだけで、2006年でも東京都内だけで1年間に1万件近く小さな事故が起きている。そのうち5件は被害者が重篤・重傷である。入口で将棋倒しになったり、下りエスカレータで追い越してきた人に引っ掛けられて転落したり、危険な予兆はたくさん起きている。でも痛ましい死亡事故が起きないと動かない。(p.62)

●残念ながら、日本では設計後、製造後にどのように使用されているか、どんな状態で使用されているかを市場調査する「メンテナンス」が軽視されている。ドイツでは、ベンツが事故を起こすと、同社の人間が保険業者と一緒に駆けつけてくるそうである。保守管理する人は、ただ単に故障した車を修理するためだけではなく、事故が起きたときの使用状況を設計者にフィードバックする役目も有しているのである。(p.67)

●このような失敗は、幸か不幸か、仕事ができない人は永遠に遭遇しない。仕事ができない人は自分に自信がないからなんでも周囲にアドバイスを求める。だから、大きな失敗はしない。一方、仕事ができる人は自分の力に自信を持っている。結果として、独断専行してしまうのである。(p.73)

●全米レストラン協会の統計によると、店舗のサービス、商品、クレンリネス(清潔さ)などに不満を抱いても、96%のお客は店に直接クレームをいうことはないという。つまり、不満を持ったお客のわずか4%しかクレームをいわないのだ。たとえば、年間1000件、メールや電話でクレームを受けるようなチェーン店の場合、実際に不満を感じているお客はその25倍の2万5000人もいることがわかる。ここで、考えてもらいたいのは、クレームをいちいちいってくるお客はよほど怒っている人である、ということだ。また、クレームの怖さは、クレームを示さない96%のうちの91%は二度と来店しなくなることにある。文句をいっても、何度も来てくれる常連がなんとありがたいことか。また、こういった悪評は口コミという手段で燎原(りょうげん)の火の如くに広がってしまうのだ。これは想像もつかないほどパワフルであるだけに影響甚大である。わずか1件のクレームではないのだ。1件のクレームの裏にはこれだけ多くの「時限爆弾」が内包されていることを認識しておかなければならない。(p.78)

●マンネリは大敵である。世阿弥も『花伝書』の中でいっているが、面白いことは新しいことであり、花も散るから美しい。どんなに面白い芝居でも、何度も見ると見飽きてしまう。マンネリを避けるには、自分たちの組織の中に絶えず新しい人種を入れることである。経営者のイエスマンだけでは、お家の一大事のときに提案される対策案はすべて同じになりかねない。全滅を避けるための大事な知恵である。(p.100)

●□ジョンソン・エンド・ジョンソンの「我が信条」に学ぶ
我々の第1の責任は、我々の製品およびサービスを使用してくれる医師、看護師、患者、そして母親、父親をはじめとする、すべての顧客に対するものであると確信する。顧客一人一人のニーズに応えるにあたり、我々の行なうすべての活動は質的に高い水準のものでなければならない。適正な価格を維持するため、我々は常に製品原価を引き下げる努力をしなければならない。顧客からの注文には、迅速、かつ正確に応えなければならない。我々の取引先には、適正な利益をあげる機会を提供しなければならない。
我々の第2の責任は、全社員-世界中で共に働く男性も女性も-に対するものである。社員一人一人は個人として尊重され、その尊厳と価値が認められなければならない。社員は安心して仕事に従事できなければならない。待遇は公正かつ適切でなければならず、働く環境は清潔で、整理整頓され、かつ安全でなければならない。社員が家族に対する責任を十分果たすことができるよう、配慮しなければならない。社員の提案、苦情が自由にできる環境でなければならない。能力ある人々には、雇用、能力開発および昇進の機会が平等に与えられなければならない。我々は有能な管理者を任命しなければならない。そして、その行動は公正、かつ道義にかなったものでなければならない。
我々の第3の責任は、我々が生活し、働いている地域社会、更には全世界の共同社会に対するものである。我々は良き市民として、有益な社会事業および福祉に貢献し、適切な租税を負担しなければならない。我々は社会の発展、健康の増進、教育の改善に寄与する活動に参画しなければならない。我々が使用する施設を常に良好な状態に保ち、環境と資源の保護に努めなければならない。
我々の第4の、そして最後の責任は、会社の株主に対するものである。事業は健全な利益を生まなければならない。我々は新しい考えを試みなければならない。研究・開発は継続され、革新的な企画は開発され、失敗は償わなければならない。新しい設備を購入し、新しい施設を整備し、新しい製品を市場に導入しなければならない。逆境の時に備えて蓄積をおこなわなければならない。これらすべての原則が実行されてはじめて、株主は正当な報酬を享受することができるものと確信する。
(ジョンソン・エンド・ジョンソンのホームページより)(p.130)

●「こんなに金をかけた以上、何とかしなくてはならない」という意地とプライド。平たくいえば、メンツがそうさせたのである。やめればコストは永遠に回収できない。やめれば責任問題が発生する。やめれば世界の物笑いになる……メンツのために無謀で無益な開発をやめることができなかったのだ。このような企画変更の不作為というのは、日本のお役所仕事では日常茶飯事である。工学的なところで、有名なのは原子力船「むつ」の開発である。1963年にスタートしたが、1974年に放射線が漏れ、係留港のことで揉めたにもかかわらず、実験を進めて1992年に1200億円かけてプロジェクトは終了した。(p.154)

●自分たちがエイヤッと想定した夢のような制約条件を、そのうちに真実のように信じ切ることも人間はできる。この製品は絶対に売れるんだ、この設備は絶対に役に立つんだと「プロジェクトX」の主人公のように信じることは美しいが、撤退すべきときに撤退しておかないと新規事業だけでなく、会社そのものが消えてなくなることもあり得る。一度はじめたら最後、長続きさせればよいというものではない。(p.156)

●新規事業が成功する確率はものすごく低い。1年もじっくり観察していれば黒字に転換するかどうかは推察できる。だから、3年間などと長期レンジにするのではなく、3~6カ月をひとつの単位にして、そのつど中止するか継続するかを評価すればいいのである。(p.157)

●クリスマスイブに経営会議が開かれ、担当する電卓事業部は最後まで残された。そして事業部長(事業部制なので社長にあたる)が在庫一掃計画について諄々(じゅんじゅん)と説明する。この間、松下幸之助はじっと耳を傾けていたが、最後にこんなことを聞くのだ。「きみ、もうこれ売れんのやろ?」「……」「これはな、人力車が自動車に変わったようなもんや。無理して売ったかて、かえってお客さんにご迷惑をかけるだけやないか?」「……」「しゃあないな、全部捨てい。よう捨てられんかったら、わしが買うたるわ」なんと、当時の金額で6億円である。会議はこれで終わりだ。会議室を出るとき、幸之助はニコニコしていたという。そして、また、ひとこと。「みんな、さっぱりしたやろ」(p.160)

●コツは事前にシナリオを用意しておくことである。昔から、「備えあれば憂いなし」という。しかも、最悪を想定して手を打つこと。さらに、「正しい判断」は刻々と変化すると心得ておくこと。だから、用意したシナリオをいつでも捨てたり、書き換えることをあらかじめ覚悟しておくことである。(p.162)

●さて、シナリオは多ければ多いほどいいというものでもない。多次元のシナリオを用意しても、しょせん振り回されるだけで実際的ではない。そこで、次の3種類用意しておけば十分であろう。①あるべきシナリオ(=should-be forecast)~(中略)~ ②こうなるシナリオ(=would-be forecast)~(中略)~ ③ありうるシナリオ(=could-be forecast)~(中略)~ここで学ぶべきは、最悪のシナリオを描いて悲観することではない。「もうこれ以上は落ちない」「落ちないように打つべき手(対策)はすべて打った」「あとは目標に向かって邁進するのみ」と、自分のビジョンに揺るぎない自信を打ち立てることである。この3つのシナリオを準備することが典型的な目標達成管理である。(p.162)

●まさに、孫子の「疾きこと風の如く」に対して、eBayは「動かざるごと山の如し」であった。つまり、当初の判断通り、「そのうち赤字に耐えきれなくなって諦める」と高をくくっていたのである。よほど、自分のビジネスモデルに自信をもっていたか、Yahoo!JAPANを甘く見ていたのだろう。おそらく、この両方に違いない。いったい、この川中島の戦いはどうなったか、といえば、2002年3月にけりがつく。eBayがサービスを終了し日本市場から撤退することを決断したからである。eBayが撤退するや、「Yahoo!オークション」は当初の計画通り、有料化に踏み切る。すなわち、出品手数料を3%と設定し、その後、5%に引き上げるが(自動車などの高額商品は別だ)、それでもユーザーは減らずに右肩上がりで増えている。今やオークション事業はYahoo!JAPANの総売上の3分の1を占めるにいたった。(p.170)

●結果が期待はずれになったのは、結果が間違っているのではなく、プロセスのどこかにミスがあった、と考えるべきである。間違った結果を導き出したのは、逆説的な表現かもしれないが、ある意味で正しいのである。プロセスが間違っているから、正しく間違ってしまったのである。もっとも怖いのは、プロセスが間違っているにもかかわらず、「結果オーライ」せ成功を収めてしまうことだ。これでは失敗の根本的な原因を突き止められていないだけに、近い将来、重大な失敗や事故を発生してしまう危険性さえある。(p.172)

●常識は8割正しい。しかし、残りの2割は間違い。こう思っているくらいでちょうどいいのではないか。この2割にいかに早く気づくかどうかでその後の立て直しの成否が決まる。(p.174)

●「今の時代はお客に意見がない」といわれる。消費者はたくさん並んでいる商品群の中から選択するだけだから、欲しいものを事前にいってはくれない。だから、商品を売る側がマーケットに働きかけてどんどん提案すべきである。(p.177)

●2007年の新潟県中越沖地震でもリケンの柏崎工場が罹災した。そして、ここの主力製品であるピストンリングが供給されずに、トヨタばかりでなく日本中の自動車会社の主力工場が操業停止にいたった。在庫を最小限に保つとこうなるのは仕方がない。一方で、ジョンソン・エンド・ジョンソンの使い捨てレンズの生産工場は、工場敷地の半分が製品倉庫である。患者の近視や遠視、乱視を考えると、品種は掛け算で増えていくが、3日以内に全世界どこでも配送しますと宣伝しているので準備しなくてはならない。その結果、製品在庫は増えていき、出荷の45日分が在庫になり、品種は1万を超えるようになる。そういう業界もある。工場のあるフロリダがハリケーンで操業停止すると、患者が不自由になり、ビジネスの信用を失う。だから倉庫料金も代金に乗せているのである。どうりで高いわけである。(p.183)

●①効率の追求はリスクの増大という側面を持つ。たとえば、標準化が進んで最適工程しか知らないエンジニアばかりになると、ちょっと素材や工具や装置による不具合のような外乱が生じると、代替策がわからず対応できなくなる。
②特に一極集中生産によるコスト削減は、部品調達先で事故が起きると、商品生産ライン停止のリスクを増大させる。
③系列メーカーと親企業との密接な関係が、いざというときに大きく影響する。(p.185)

●新商品の開発や先端技術の研究開発の成果を考えるとき、「偶然」をものにできるかどうかが、ことのほか影響大と考えざるをえない。18ページでも触れた「セレンディピティ(偶然になにかを発見する才能)」である。セレンディピティとはイギリスのウォルポールという作家だった人物の造語である。小説の中に登場する王子は探し物ばかりしているが、毎回、探しているものより価値のある「めっけもの」を見つけてしまう。その王子の生まれ故郷がセレンディップという地域だった。セレンディピティの語源はここにある。(p.193)

●科学の分野にもセレンディピティはたくさんある。たとえば、ドイツの石炭研究所にチーグラー博士という人がいた。この人は世界に先駆けてポリエチレンの新合成法を発見したことで知られている。実験をしていると容器に滓(かす)がつくという問題が頻発した。無用な滓に過ぎないと思って、この滓をなんとか除去する方法はないかと考えた。そのためにはまず成分分析をする必要がある。そこで、調べると……その滓はポリエチレンだったのである。(p.195)

●「まっとうな奴は自分自身を世間に合わそうとする。まっとうでない奴は世間を彼ら自身に合わせようとする。だからこそ、あらゆる進歩はまっとうでない奴によってつくられるのだ」(ジョージ・バーナード・ショー)(p.199)

●キッチンから包丁とまな板が消えたおかげでどんな効果があったか。従業員が怪我をしなくなった。すると、切り傷からブドウ球菌が食品に混入して発生する食中毒のリスクを予防できる。ここ数年、ブドウ球菌による食中毒がテレビや新聞などで報道されている。これらはすべて、衛生的な工場で処理されずに、店舗内で処理したときの小さな怪我が原因のものばかりである。くさい臭いも食中毒も、元から絶たなければダメなのである。(p.209)

●また、国際契約の場は緊張の連続である。納品や販売、あるいはアフターサービスに関連してトラブルは多い。その際、契約書に「裁判は日本で起こしてもかまわない」という一文があるから安心だと考えている経営者をたまに見受けるが(実は多い!)、現実はそんなに甘いものではない。というのも、日本の裁判所でいくら勝訴したところで、外国企業に対してなんら訴求権がないからである。すなわち、国際取引の現場ではまったく意味をなさないのだ。相手も日本企業の訴訟に対して、そのまま放置しておくだけだろう。国際センスのある経営トップならば、契約書を取り交わすとき、「日本での裁判の決定に無条件にすべて従う」という一文を明記することを忘れない。(p.217)

●国際ビジネスでは「いい人」は「どうでもいい人」を意味し、「お人好し」とは単なる「無知」を指すものなのである。「知りませんでした」ではすまないのが失敗である。こんな愚を犯さないためにも、海外での情報に強くならなければいけない。自分が不得手だとしたら、それなりの専門家をブレーンとして備えておくべきだろう。備えあれば憂い無し、である。(p.219)

●この丹羽氏に、「幸之助さんの特長は?」と聞くと、「失敗したら自分が悪い。成功したら運が良かった。徹底してこう考える人でした」と返ってきた。普通は、失敗すると、あの従業員が悪い、景気が悪い、タイミングが悪い、営業が悪い、技術が悪いとお互いに罪をなすりつけたがるものである。しかし、そんなことは考えず、即、「自分が悪い」と考える。だから、当たり前のように対策を講じるのも早くなる。実はこの当事者意識=使命感こそ、失敗をリカバリーする最強のモチベーションになっている。(p.232)
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