zuKao


プロフィール

zuKao

Author:zuKao



最近の記事



最近のコメント



カテゴリー



月別アーカイブ



リンク

このブログをリンクに追加する



成毛眞著「このムダな努力をやめなさい」
この本も、今年の1月に読み終わったものです。

●しかし、努力には「時間」がかかる。時間がかかるということは「お金」や「労力」もかかるのだ。そういった「コスト意識」がないと、ムダな努力を重ねてしまうことになる。だから努力も「選別」する必要がある。(p.2)

●人に好かれるための努力なんて無意味だ。はっきりいうが、好かれる人は何をしなくても好かれるし、嫌われる人は何をやっても嫌われる。そして、ビジネスにおいては、人に「好かれる」必要はない。それよりも「信頼される」ことが重要なのだ。(p.2)

●私はつねに、「頑張らない」「我慢しない」「根性を持たない」という3原則をモットーにしてきた。若いころからそうだったし、マイクロソフトの社長のときも、今も、これからもそうだ。(p.3)

●仕事は選べない、と思うかもしれないが、それは単なる思い込みだ。たとえば、自分が苦手な仕事は、それが得意な人間にやってもらったほうが効率的だし、生産的だ。会社にとっても、そのほうがいいに決まっている。極端なことをいえば、自分が苦手な仕事は放っておけばいい。そうすれば誰かがその仕事を代わりにやることになる。会社組織というのは、そういうものなのだ。逆に自分が得意な仕事を放っておいて、それを他の誰かに取られてしまったらどうするのか。もはや自分に残されている出番などなくなってしまう。(p.3)

●努力をすれば必ず報われる。ムダな努力などない。昔からよくいわれる精神論だ。とりわけ一定の成功を収めた経営者などが嬉々としていう言葉である。もうそろそろ、真実をいってもいい時期ではないか。努力をしても必ず報われるわけではない。ムダな努力はこの世にあふれている。今の日本では、努力をしても報われないことがあるのだ、と。(p.12)

●「努力は報われる」という言葉は、すでに説得力を失っている。日本に閉塞感が漂っているのは、もはや伸び代がない国なのに、若者に夢や目標を持てと大人たちが発破をかけるからだ。(p.13)

●今の時代、"根性"が必要なことはどれだけあるのだろうか。ダイエットすら、今は根性なしにできる。私は昨年、知り合いの医師から糖質制限ダイエットを勧められ、ものは試しで実行してみた。糖質制限ダイエットは米・パン・麺類といった炭水化物や、果物やお菓子などの糖分を含むものは摂ってはいけないことになっている。だが、それ以外は肉や魚もOK、昼間から赤ワインを片手にチーズを食べても許される。カロリー制限はないので、好きなだけ食べて飲んでいい。我慢をほとんどしなくていいダイエットなのだ。このダイエットは本当に効果があった。私は2か月で7キロも痩せ、お腹のポッコリはなくなり、ジーパンはゆるゆるになった。(p.15)

●外資系企業に勤めているなら20代からがむしゃらに働く意味はあるが、日本の企業の場合、細く長く働けるようにむしろセーブしたほうがいいのではないか。将来起業をしたいのなら人一倍働ける能力もエネルギーも必要になるが、一生サラリーマンで終えるつもりなら、エネルギーを温存しておいたほうがいいに決まっている。過労死するまで働くなど、もってのほかである。(p.17)

●今の日本は、いうまでもなく「善人になりたがる人」ばかりだ。みな自分が正しいと思い込んでいるから、些細なことで互いに責め合い、ギスギスしている。(p.18)

●外国では電車の中でも平気で携帯電話で話をしている。目くじらを立てているのは日本だけだ。優先席付近では電源を切るべきだといわれているが、今時のペースメーカーは隣にいる人が携帯で話しているくらいで壊れたりはしない。それで壊れるくらいなら、怖くて街は歩けない。それどころか、ペースメーカーを埋めている人も普通に携帯電話を使っている。実は、携帯電話によってペースメーカーが誤作動したという報告は1件もないという。すでに医療界ではペースメーカーから22センチ離して使えば問題ないとされ、携帯電話を院内で使える病院が増えている。ちなみに総務省が22センチの妥当性を確認しているのだが、このとき、FOMAなどの第3世代携帯では1~2センチまで近づけないと影響がないことが確認されている。(p.19)

●世の中の常識を無条件で信じ込むことは、洗脳されているのと同じだ。世の中に合わせるのが正しいと思っている善人にありがちな行為である。~(中略)~だが善人は出る杭を徹底的に打ちまくり、自分たちの「ルール」に当てはめようとする。「今の日本人は元気がない」などといいつつ、去勢しているのはそういう善人たちなのだ。~(中略)~誰がどこで携帯電話を使おうが、それで自分に実害が及ぶわけではない。その場での関わり合いしかない人に目くじらを立てるのは、ムダな時間を使っているとしか思えない。(p.20)

●「由来ぼくの最も嫌いなものは、善意と純情との二つにつきる」これは明治生まれの評論家・中野好夫の著書『悪人礼賛』(筑摩書房)の冒頭の文章だ。この本では、「善意と純情は退屈であり、動機が善意であれば一切の責任を解除されるものだと考えているから困る」ということが述べられている。(p.22)

●すべての人に愛されるカリスマ性のある人間などいない。熱烈なファンもいる一方で、激しく嫌う人もいるからカリスマ性が高まる。意表をつく言動で人を惑わすから、拒否反応を示す人もいれば、魅了される人もいる。行動や考えが読める「わかりやすい人」など、たいした魅力はない。(p.24)

●「戦略的に生きる」というのは、今までのトレンドだった。そんなものは不可能だと、リーマンショックや東日本大震災でよくわかっただろう。明日には何が起きるのかわからないのに、目標を立てても意味はない。これからは「場当たり的に生きる」のをおすすめする。その場その場で判断を変えてもよし、今日できることを明日に持ち越してもよし。自分に課題を課さず、締め切りも設けない。もっとゆるく生きればいいのだ。そんないいかげんな生き方はできない、と思うかもしれない。大丈夫だ。今の政治を見ていればわかるように、場当たり的にしのいでいても、日本はギリシャよりも危機的な状況にならず、何とかなっている。(p.34)

●娘がビジネスパーソンとして有意義に過ごしているのは、私がずっと「ビジネスはしょせんビジネスだ」と教えてきたからかもしれない。夢を持て、仕事で自己実現しろ、仕事に生きがいを感じろ、などといった世の経営者が著書で指南するようなことは、一切教えなかった。だから必要以上に会社に「期待」をしなければ、「依存」もしていない。それでいい。(p.44)

●嫌な上司にごまをすったほうが仕事を進めやすいなら、さっさとごまをすればいい。上司に八つ当たりされているときは、「まっ、しかたない。これも仕事のうちか」と受け流せばいい。あれこれ悩むのは、ムダな努力だ。(p.45)

●高度経済成長期のように、何度も挫折を繰り返しながら成功をつかみ取る時代は、もう終わった。失敗は先輩たちがすべてやってくれている。これだけありとあらゆるモノがあふれ、日々最新の研究・開発がなされ、情報も瞬時に伝わる時代だ。昔に比べれば武器は相当そろっている。恵まれた時代なりの成功法則、というものがある。もはや過去の成功体験など役に立たない、ということだ。(p.50)

●柔軟であることの利点は「心が折れにくい」ということだ。衝撃を受けて曲がったり変形したりしても、壊れない。何事にも自分のこだわりを貫こうとする人は、環境の急激な変化に耐えられずに心がポキリと折れてしまう。(p.58)

●人生で固執しなければならないことなど、ほとんどない。妥協しない人は、自分の思い通りの結果にならなかったときに相当なダメージを受ける。そして、そのことを人のせいにしたりする。世の中、妥協しなければすべて自分の思い通りになるというほど、甘いものではない。むしろ思い通りにならないことのほうが多い。だから、あらかじめ結論を決めておかないほうが気楽でいられるではないか。いい加減な人間は、柔軟性を持っている。人の意見を受け入れる余裕があり、変化に対して臨機応変に対応できる。タコは、骨がないからどんなところにも入り込めて、また丈夫な皮があるからちぎれない。つまり「究極の柔軟性」と「鉄壁の外皮」という理想的な要素を併せ持っている。人も柔軟でありながら、まわりの発言に傷つかない鉄壁の心を持てれば最強だ。その2つを持っているのが、ムダな努力をしない人間である。(p.61)

●会社組織の中では、やりたくない仕事でもやるのが当然、というのが一般論だが、私なら、やりたくない仕事は他人にやらせている。我慢して不得意な仕事に取り組んだところで能力の半分も発揮できないし、嫌々やるから時間もかかる。効率を重視するなら、自分のしたい仕事をするほうが存分に能力を発揮できる。違うだろうか。会社にとってもそのほうがいいはずだ。(p.67)

●引きこもりが好きならずっと引きこもっていてもまったく問題はない。普通なら家にずっと閉じこもっていることには耐えられないのだから、引きこもれるのも一種の才能だ。冗談でいっているのではない。ブッダも仕事などせずに菩提樹の下でひたすら瞑想していたから悟りを開いたのであり、一種の引きこもりのようなものである。(p.70)

●対して、前にも述べた、私のいう「偽悪者」は自分が悪人であると自覚し、他人から嫌われていることもわかっている。だからこそ自分の意見と異なる相手の意見も受け止めるし、自分の意見をわかってもらえなくても気にしない。そういう相手とは付き合わないだけだ。(p.72)

●ビジネスでは、誰かが悪者にならなければならない場面が出てくる。「いい人」はそのような場面になると逃げようとするから、頼りにならない。嫌われることに慣れている「偽悪者」は、そういう場面を平然と切り抜けたりする。土壇場に強い。(p.73)

●座右の銘などを持っているのは、二流の人間だと私は考えている。この世には素晴らしい言葉が無数にあるというのに、その中から1つを選んで、自分の人生の指針だなどとのたまう。それも、大概みな同じような言葉を選ぶ。これでは「自分には能力がない」と公言しているようなものだ。同じように、愛読書を聞かれて司馬遼太郎などと挙げるのも、かなりイタい人である。確かに司馬遼太郎の本は面白いが、「仕事で迷いが生じたら読む」などと真顔で答えてしまうのは、間違いなくクレバーではない。(p.74)

●ビジネスでは、自分の能力の限界を相手に悟られてはいけない。つまり、優秀な人間を演じるのだ。相手に自分の手の内を読まれたら負けるポーカーと同じだ。とくに海外企業との取引でこれをやられたらアウトだ。すぐにつけ込まれる。(p.75)

●ムダな努力をしない人は、有能な人物を演じるツボを心得ている。だから海外で商談するときは、ローマ史とシェークスピア、歌舞伎などの知識は最低限でも身につけて教養のある人を装う。本当は付け焼刃の知識であっても、昔から知っているかのようにふるまう「機転」があるのだ。海外では、ビジネスにまつわるどんなに立派な理屈を述べていても、日本の文化について尋ねられたとき何も答えられなければ、能力を見限られてしまう。仕事以外のことは何も知らないとさらけ出すのは、無知をさらけ出しているも同然だ。自分のレベルがバレないように、上手に有能ぶりを演じることだ。ローマ史は王政期から西・東ローマ帝国まで、シェークスピアは3冊ほど、歌舞伎は基礎知識を叩き込んでおく。すべてを深く知らなくても、ポイントさえ押さえておけば何とかなるだろう。(p.76)

●昔の日本人は英語ができず、ニコニコ笑っているだけだったから、海外では「何を考えているのかわからない」と気味悪がられていた。ところが、英語をネイティブ並みに話せる人が出てきてからは、実は日本人は何も考えていないのだとバレてしまっている。「沈黙は金」というように、何を考えているかわからない不気味な存在を演出するのも、一つの方法だ。沈黙は恐れずにむしろ利用するといい。そのほうが強(したた)かではないか。(p.77)

●もし、今の自分を変えたいと本気で思っているのなら、孤独に耐えられる強さを持つべきだ。組織の中で孤独に耐えるのは、意外と難しい。社内で誰にも話しかけてもらえない状態が1週間も続いたら、普通は神経が参ってしまう。飲み会に誘われても断り続け、上司に媚びず、同僚とはつるまず、部下とも必要以上に親しくしない。(p.80)

●首相の当時、小泉純一郎は、大事な局面では誰とも会おうとせず、後見人であった森喜朗元首相が連絡を取ろうとしても、なかなかつかまらなかったと聞く。他人の話を聞いたら意見がぶれてしまうから会わなかったのだろう。(p.80)

●孤独こそ、自分の人生を豊穣にする最良の土壌となる。みんなから愛される努力など必要ない。社交的な人間になろうとするのはムダな努力だ。(p.81)

●私の場合も、マイクロソフトに入社したのはまさに「運」だったと思う。当時、マイクロソフトの知名度はゼロに近かった。私は、今後パソコンが一般家庭に普及してソフトウェア産業が活況となる-というのを見越して入社したわけではなく、「たまたま自分のいた場所が急激に発展していった」のである。これは運以外の何ものでもない。サラリーマンの場合、配属される部署や上司によって、出世できるか否かが大きく左右される。基本的に能力には関係なく、運で自分の会社人生は決まる。(p.85)

●ムダな努力をしない人は、家族に愛情を注ぎ込むのに全力を尽くす。歴史上に登場したどの独裁者も身内には甘かった。中国人は身内に甘い汁を吸わせるためなら、どんなあくどいことでもするという。世界は自分の家族を中心に回っているのだ、と思うくらいで、問題はない。とくに子育ては愛情がなければならない。子供には、自分は特別な人間であり、優れていると自信を持たせることが大切だ。あれもダメこれもダメと減点主義では、子供は委縮し、自分に自信を持てなくなる。10歳くらいまでは、「お前が世界で一番かわいい」と猫かわいがりするくらいでかまわないと思う。(p.90)

●子供には「帰る場所」が必要だ。たとえ学校でいじめられても、家に帰れば家族が温かく迎えてくれるという安心感が絶対に必要だ。ただし、「あの子より、あなたのほうが頭がいい」などと、他者と比較して自信を持たせるのはよろしくない。相対的な自信の持たせ方をすると、他者を否定して受け入れない心の貧しい人間になってしまう。子供に自信を持たせるには、やはり親自身が自信を持って生きなければならない。子供の前で会社のグチをこぼしていては、父親の威厳は失墜する。妻や子供に当たるのは最悪で、どんなに仕事で疲れていても、家に帰るまでに気持ちだけはリセットしておきたい。そのためにも、家以外にも帰る場所が必要だ。たとえば1軒だけでも、常連として通える店を見つけておいたほうがいい。季節ごとに訪れ、年月をかけてなじみになっていくような長く通える店だ。二代目が引き継いだ小料理屋でもいいし、何十年も店を構え続けているバーでもかまわない。(p.91)

●環境はいとも簡単に人を変えてしまう。人は思っている以上に流されやすい。だから付き合う価値のないつまらない人間、くだらない人間とは距離を置くに限る。付き合う人を選べないのは、自分が嫌われたくないからだ。その考えこそ偽善であり、そういう人こそあっさり人を裏切ったりする。嫌われ者になったほうがいい。余計な人が近づいてこないからラクだ。ムダな努力をしない人間は、そうやって付き合う人を絞り込んでいる。(p.100)

●表面的な付き合いをする程度で「友人」と呼ぶなら、いくらでも増やせるだろう。しかし、増やしたところで意味はない。お互いに深く通じ合えるような「親友」というのは、2、3人が限界だろう。長い表面上だけの付き合いのある友人が多すぎると、話す内容や方向が固定化し、新しいことにチャレンジしようとしなくなる。流動的な付き合いのほうが、自分自身が硬直しない。(p.101)

●予定をびっしり組んでいると生産性の高い生活を送っていると錯覚しがちだが、時間に追われているだけだ。一見、有意義な時間の使い方をしているようで、実は時間を浪費している。(p.107)

●私は、学生時代にケンタッキーフライドチキンでアルバイトをしていたとき、自分が動きやすいように道具の置き場所を変えてみた。トングや容器の位置を少しずらすだけで、格段に作業効率は上がり、ほかの店員にも好評だった。どんな仕事でもルーチンワークからは逃れられない。しかし、ルーチンワークもクリエイティブな仕事に変えることは可能だ。人が機械と違うのは、自分の頭で考えて工夫ができる点だ。(p.112)

●予測がつかない人間は、畏怖の対象となる。ヤクザは恐怖を与えるのが仕事だから恐れられるのであり、マキャヴェッリの『君主論』でも、リーダーは人から軽蔑されたり、見くびられたりしてはいけないと説いている。人から敬われる存在であるためには、何らかの「恐怖」は不可欠なのである。常に怒っている人よりも、普段はおとなしいのにいつ怒り出すかわからない人のほうが、よほど恐ろしくないか。そして予測がつかないなら、カリスマ性も生まれる。(p.119)

●ビジネスにおいて、ものわかりのいいだけの上司など最悪だし、素直で従順なだけの部下も最低だ。ものわかりのいいだけの上司は、部下には人気があるかもしれない。しかし、それは部下にとって"便利な存在"だからだ。部下のいうことを聞いてあげるのがやる気を引き出すコツだと思っているなら、大間違いだ。確かに最初は部下もやる気を出すかもしれないが、慣れてきたら向上心がなくなり、惰性で仕事をするようになる。そうなってから怒っても部下はなめきっているので聞く耳を持たず、ますますやる気を失う。(p.121)

●「朝令暮改」は、批判的な意味で使われる言葉だ。しかし、私はビジネスにおいては、朝令暮改を歓迎すべきだと思う。私の場合、朝の会議で「その企画いいね。やろうよ」といったことを、夕方に「やっぱりあの企画じゃダメだな。あの話ナシね」と平気で撤回する。朝の時点では本気でいいと思って決断している。しかし、時間が経つとその企画が案外面白くないことに気づいたり、ほかにもいい案があると思ったりするからだ。部下が私の発言で右往左往しようとかまわない。私は部下を振り回すのが仕事だ。部下は振り回されるのが仕事である。慣れてきたら、部下も「1日待ってから行動に移そう」などと、いろいろ策を練るようになる。(p.124)

●「話し合って」結論が出ない-。ならば、「やってみて」結論を出すしかない。(p.126)

●朝令暮改を実行する際に重要なのは、はっきりと前言を撤回することである。「あの話、ちょっと保留にしてくれないか」「今は難しいかもしれない」などと言葉を濁してはいけない。ダメならダメだとはっきり撤回するほうが、相手のためになる。(p.126)

●「上から目線」でものを見るのは嫌われる行為のベスト3に入りそうだが、私は昔から上から目線でものを見てきた。なぜなら、自分が世の中で一番優秀だと思っていなければ、仕事はうまくいかないと考えているからである。(p.128)

●マイクロソフトにいたときは、猿顔のアメリカ人上司が仕事に口出ししてきたら、「お猿さんがうるさいことをいってるなあ。猿は猿なりに考えているんだから聞いてやるか」と心の中で思いつつ、従った。ビル・ゲイツからキツく反論されたら、「いいけど、その方法では失敗するかもよ?」と一言断ってから、彼の望む通りに仕事を進めた。そこで相手を説得しよう、いい負かそうなどとは思わない。ムダな努力だ。一見従順に見えるかもしれないが、内心は「はいはい。好きにすれば?」と完全に上から目線であった。さすがにそれをそのまま口にすればむやみに敵を増やすだけなので、口には出さない。心まで奴隷にならないことが重要なのだ。(p.128)

●わからぬヤツにわかってもらおうと努力するのはムダである。上から目線でものを見ていると、他人を自分の枠にはめないという効果がある。「話し合えばわかる」という人は、「話せば自分の気持ちをわかってもらえる」と自分の都合のいいように解釈しているのだ。世の中には、いくら話し合っても解決しない問題はいくらでもある。無理して理解してもらおうと努めるより、「わかり合えない」事実を認めたほうが、互いを尊重することになるのではないだろうか。(p.130)

●近江商人は勤勉・倹約・正直・堅実といった精神を重んじていた。近江商人が使っていた「三方よし」という言葉がある。売り手よし、買い手よし、世間によし。つまり自分だけが儲かればいいという発想ではなく、お客さんにとってもメリットがあり、さらに社会にも貢献しなければならないという考え方だ。(p.141)

●たとえば、堀場製作所の堀場雅夫氏は、間違いなく肩の力が抜けている一人だ。何しろ、社是が「おもしろおかしく」。堀場氏は、嫌々仕事をするより、おもしろおかしく仕事をするほうが生産力は上がると考えている。本人も、ムダなこと、嫌なことをするのは大嫌いという、私と同じような性格だ。(p.147)

●洋の東西を問わず、成功者というのは、「後悔しない人間」だ。決断したら即行動に移し、どんな結果に終わっても後悔などせずに、すぐに忘れてしまう。「失敗に興味がない」ともいえる。「反省」はしてもいいが、「後悔」はしてはいけない。(p.150)

●人は、もっと自分の本能を信じたほうがいい。人間は、しょせん動物なのである。(p.160)

●世の中は本能より理性が尊重される風潮にあるが、理性が働きすぎると、失敗や過ちを極端に恐れるようになる。行動する前に「これは本当に正しいのか」「ほかにいい方法があるかもしれない」とあれこれ悩み、行動を起こせないまま終わる場合も多い。理性は臆病を生む要因でもある。たとえまわりの人が全員白だといっても、自分が黒だと思うなら、そこには何らかの理由がある。安易にまわりに流されるのではなく、自分の内なる声に耳を澄ませてみるべきだ。(p.160)

●『サルコジ-マーケティングで政治を変えた大統領』(国末憲人/新潮社)という本がある。これを読むと、元フランス大統領のサルコジを憎めなくなる。目立ちたがり屋で、見栄っ張りで、どこかしら子供っぽい部分を持っている。サルコジは、サルコジ人形が売り出されたときに激怒し、回収するよう命じた。フランス人はこの手のブラックジョークには寛大なイメージがあるが、本気で怒るところがサルコジなのである。~(中略)~育ちも人種も従来のフランス大統領とは違い、また家庭的な父親像をアピールしてきた今までの大統領とは違い、プレイボーイぶりを堂々とさらけ出している。大統領就任時に傍らにいた妻セシリアは2度目の妻であり、ダブル不倫をしたうえでの略奪婚である。二人の仲が破綻したら、すぐに元スーパーモデルでカントリー歌手のカーラ・ブルーニと再婚した。(p.162)

●フランスはこういう男を大統領に選んだ度量のある国だ。ミッテランには隠し子がいたし、シラクは日本に愛人がいたという噂もある。仕事さえしっかりしてくれれば、プライベートにはノータッチというフランス人の寛容さは、実にうらやましい。~(中略)~寛容な国だからこそ、"悪人"も活き活きとしていられる。規則でがんじがらめになった国では善人ばかりが栄える。善人が多いのはいいことだと思うかもしれないが、人の行動を大目に見られない度量の狭い人間が跋扈し、窮屈な世の中になる。現に、日本はそうなっている。(p.163)

●ところで、ソニーの大賀典雄は強烈な人物だった。私がマイクロソフトにいた時代、ビル・ゲイツが来日したときに大賀が会いに来た。彼は元々東京芸術大学出身のバリトン歌手でありながら、ソニーに入社したという異色の経歴の持ち主である。大賀は、ビルに、「あなたは、私がシンガーだと知ってるかね?」と尋ね、ビルが「もちろん知っていますよ」と答えると、「それじゃあ、ちょっと歌ってあげよう」といきなりアリアを歌い出したのである。狭い応接室で、元プロのオペラ歌手に本気で歌われたらたまったものではない。窓ガラスがビリビリ震えるくらいの迫力である。聞き惚れるどころか、みんなすごい声量に圧倒され、ビルも完全に毒気を抜かれてしまった。歌い終わると、「この後、自分で飛行機を操縦してドイツに行くんだ」と本人は満足げに帰って行き、残された我々は、「……今のは何だったんだろう」と脱力していた。大賀の場合は、"偽悪者"の枠にも収まりきらず、まるで、"未知の生物"と接しているかのようだった。  (p.165)

●幸せになるためには、お金が必要か-。こう尋ねられたら、私は間違いなく必要だと断言する。このような発言をすると、必ず「そんなことはない、私はお金がなくても幸せだ」と非難する善人が現れる。清貧のイメージがある社民党の福島瑞穂でさえ、2億円もの資産がある。欲を捨てるべしと説教する僧侶も、お布施で豪邸を建て、高級車を乗り回し、祇園で豪遊している。お金よりも大切なものがあるという人に限って、お金に執着している。世の中、そんなものだ。(p.167)
スポンサーサイト

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック