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ロバート・K・グリーンリーフ著「サーバント リーダーシップ」
Author: Robert K. Greenleaf
Title: Servant Leadership
Sub Title: A Journey into the Nature of Legitimate Power & Greatness

3/10に購入したこの本、やっと読み終わりました。500ページオーバーの大作です。途中、第3章「トラスティ」などは難しくかなり眠くなり挫折しそうになりました。また、第5章「教育における~」や第6章「財団における~」は読み飛ばしてしまおうかとも思いましたが頑張りました。

読み終わって改めて感じた事は、サーバント・リーダーのような振る舞いをしても、後ろを振り返った時に真の意味のフォロワーがついてきてくれていなければ、それはサーバント・リーダーではない。「振り返った時についてきてくれている人がいる」、これが現時点で、私が一番しっくりくるリーダー(リーダーシップ)の定義です。



●なぜなら本書は、サーバント・リーダーシップという考え方を、1969年にこの世の中で初めて使った元祖が、1977年に世に問うた主著であるからだ。書き下ろしではないが、着想から十年近くかけて暖めてきた成果であり、論文として発表されたもの、講演で語られたものを集大成した書籍だ。2002年には、25周年記念版が出版され(本書は、その訳書だ)、すでに30周年も迎えたが、その間、ずっと読み継がれてきた。(p.5監訳者(金井壽宏)序文より)

●ここで展開されているのは、一見すると穏やかで地味だけれど、肝心なところでは静かに支えてくれる奉仕型(サーバント)リーダーの薦めだ。単に知るだけでなく、奉仕の素質がある人には、それを実践できる人間になってほしいと著者は願っている。(p.6監訳者序文より)

●私はスタン・デイビスのこの言葉が大好きだ。「下部構造が変われば、すべてがぐらつく」。そう、何もかもがぐらついている理由は、伝統的で階層的であり、外部から強く支配される、トップダウン・マネジメントという古い法則が次第に崩れているからだ。このようなものは、もう役に立たない。取って代わるのは、新しい「管理」体系、すなわち、カオス理論支持者が「ストレンジ・アトラクター」と呼ぶもの-つまり、ビジョンだ。ビジョンに引き寄せられて一致団結することで、人々は共通の目的を達成しようとするモチベーションによって内側から駆り立てられる。(p.17前書きに代えて-スティーヴン・R・コヴィーより)

●サーバント・リーダーの性質がほかの人々と違う決定的な点は、彼らの生き方の指針が「良心」、つまり善悪の区別をつける、心の中の道徳的感覚だということだろう。この性質が決め手となり、「ただ機能する」リーダーシップと、「持続する」リーダーシップ-たとえばサーバント・リーダーシップ-の差が生まれる。(p.19前書きに代えてより)

●ガンジーは、われわれを破滅させる7つのものを説いた。それをゆっくりと注意深く検討していくと、各項目が表しているのは、不道徳な、あるいは卑劣な手段で達成された目的だということがはっきりとわかってくる。
・労働なき富・良心なき快楽
・人格なき学識
・道徳なきビジネス
・人間性なき科学
・献身なき信仰
・理念なき政治 (p.26前書きに代えてより)

●間もなく私は、アメリカ電信電話会社(AT&T)の社員数が世界中のどの企業よりも多いことを知り、心を決めた。働きたい会社はここだ、と。1920年代半ばの世の中は好景気で、就職は難しくなかった。クリーブランド支局の建設・保守課の人事担当者が採用してくれて、私はオハイオ州ヤングスタウンの電線工事班の一員となった。肩書きは「地上作業員」-つまり、穴を掘ったり、道具を運んだりする普通の労働者である。~(中略)~初年度の終わり頃、私はクリーブランドの部局本部で、研修コースの指導者を任された。(p.37)

本書の第一章「リーダーとしてのサーバント」は、1969年に書いたものだ。大抵の学生たちが当時は-現れ方は違うが、今でも-、希望を持っていないようだったことを危惧したためである。(p.38)

リーダーはスキルや理解力や精神力を備えて、奉仕のために努力してほしいし、フォロワーには自分たちを導く有能なサーバントにだけ反応してほしい-いや、必ずや反応するだろう。(p.39)

●「リーダーとしてのサーバント」という発想は、ヘルマン・ヘッセの『東方巡礼』を読んで得たものだ。この物語では、ある一団が旅をしているが、おそらくヘッセ自身の旅でもあったのだろう。物語の要となる人物はレーオである。レーオはこのグループに「サーバント(召使い)」として同行し、雑用をしていたが、持ち前の快活な性格や、歌を歌ったりすることによって、一行の支えとなっていた。~(中略)~すべてがうまくいっていたのに、突然、レーオは姿を消す。すると一行は混乱状態に陥り、旅は続行不能になってしまった。(p.44)

●リーダーは思いきってこう言わねばならない。「私は行く。一緒に来たまえ!」。リーダーは先頭に立って、アイディアや構想を示し、成功するチャンスだけでなく、失敗のリスクも引き受ける。リーダーは言う。「私は行く。ついてこい!」進む道は不確かで、危険ですらあることを知りながら。すると人は、リーダーシップを持って進む人を信じるのである。(p.56)

目標を明確に言葉として表し、何度も説明し直すことで、自分では目標達成が困難と思われる人たちにも確信を与えるのだ。ここでは、「目標」という言葉を、「すべての上にある目的」「大きな夢」「絵に描ける概念」「目指しながらも、実際にはたどりつけない最終的な到達地点」の意味で用いている。それは今のところ手が届かないが、そこに向かって努力を重ねるべきものであり、前進すべき方向であり、そのようになるべきものである。(p.57)

●生まれながらの真のサーバントだけが、まず耳を傾けることによって問題に対処すると、私は考えている。ある人がリーダーであるとき、こうした性質があれば、その人はそもそもサーバントだと見なされる。つまり、サーバント志望の、サーバントでない人間でも、聞くことを学ぶという長く過酷な訓練、あらゆる問題への対応は、まず聞くことだという態度ができるまで訓練を積めば、生まれながらのサーバントと同等になれるかもしれない。(p.59)

放置とは、とても大事なものと多少大事なものを区別し、重要なものと急を要するものとを選り分け、重要度の高いものに注意を向けることだ。~(中略)~適度に俯瞰しながらゆったりと進むことは、自分の才能を有効に使うための最善策のひとつだ。(p.62)

●これは人間の性質の謎だが、未熟で失敗が多く、不器用で怠惰な人、いわゆる「典型的な」人物も、うまく導かれれば、世の中に大きな貢献をしたり、英雄的な行為をしたりする。逆に能力がある人は、欠点だらけの人間たちとともに働くことも、彼らを使うこともできないため、リーダーの資格がないと言えるのだ。組織づくりの秘訣は、そんな人々を、最も成長できるやり方で成長させることで、グループとしてまとめられるかどうかにかかっている。(p.65)

●リーダーには、知ることができないものを感じ取り、予見できないものを予見する能力が必要なのである。~(中略)~これはリーダーの素質の一部であり、この能力があるからこそ、リーダーは人々を「導き」、先頭に立って道を示せるのだ。(p.66)

●気づきは安堵を与えるものではない-まさにその逆だ。気づきは人を混乱に陥れ、覚醒させる。有能なリーダーは覚醒しており、適度に混乱しているものだ。彼らは安堵など求めていない。自分の内に平静さがあるからだ。リーダーは、そのリーダーシップを受け入れる者たちよりも、未知のことに対峙する自信を強化しなければならない。この自信は、予想や準備をすることによって一部が養われるものであり、また、ストレスに満ちた実生活の中にあっても、創造的なプロセスによって事態を解決すれば、落ち着きを得られるという確固たる信念でもある。(p.75)

●サーバント(奉仕する人)はその言葉の定義からして、人間的である。サーバント・リーダーは能力の点でより優れている。なぜなら、大地に近いどっしりとした存在だからだ-サーバント・リーダーは耳を傾け、しっかりと見て、物事を知る。その直感的洞察力は群を抜いたものだ。そのため、彼らは頼れる存在だし、信用も置けるのである。彼らは、シェイクスピアのソネットのあの一行の意味がわかっている。「人を傷つける力がありながら、そうはすまいと思う人々」(p.97)

●ピラミッドの頂点に立つただひとりの責任者になるということは、まともとは言えないし、堕落に陥りやすい。どんな人も自分ひとりでは完璧でいられない。まわりの同僚に助けられたり、間違いを直してもらったりすることが必要だ。ピラミッドの頂点まで登りつめた人にはもはや同僚がいなくなり、部下がいるだけになる。どれほど率直で勇敢な部下でも、身分が同じ同僚と話すようには上司と話さないし、通常のコミュニケーションの型もゆがんでしまう。それまで長い間、同僚に受け入れられていた人でも、トップの座に就いてしまうと、部下から見て扱いにくく(穏やかな言い方をすればだが)なるときが出てくる。ピラミッド的構造のせいで、非公式なつながりは弱まり、正直な反応やフィードバックを得るルートを遮断され、上司と部下という制限のある関係が作られるので、トップにいる人は<組織>全体にかなりの不利益をもたらすことになる。自己防衛的な全知全能のイメージは、このようにゆがんで、フィルターのかかったコミュニケーションからできていくことが多い。やがて、どんなリーダーでも判断がゆがめられてしまう。というのも、判断力とは、自由に反論や批判ができる他人とのやり取りの中で最も研ぎ澄まされていくものだからだ。(p.127)

●頂点の地位にいるのでは、説得によるリーダーシップが通用しない。ワンマンな責任者が持つ権力は大きすぎるからだ。いくら説得しているつもりで話しても、責任者の言葉は命令として受け取られてしまう。(p.129)

●チーム作りをする人間(ビルダー)は、チームの結束力を高め、正しい目標に向かう共通の目的に引っ張っていく強い人格を持っている。これを成し遂げるために、彼らは適切な問いを発する。適切な問いに答えようと充分に時間をかけるグループには、大事なものが見えてきて、正しいやり方がわかるのだ。(p.133)

何かを起こすには、夢が必要だ。何か偉大なことを成し遂げるなら、偉大な夢が不可欠である。(p.161)

●国家として、(おそらく、世界社会として)われわれは進むべき道に関する新しいビジョンを緊急に必要としている。核兵器というダモクレスの剣はわれわれの頭上に吊るされているし、犯罪は多く、疎外された若者の数は多すぎ、経済はうまく機能していない上に立ち直りそうにもなく、環境は危機に瀕している-不吉な事実を挙げればきりがない。しかし、おそらく最大の脅威は、コンセンサスを得るための仕組み、つまり全体が心をひとつにして決断する方法がないことだろう。そして、かなり急激に、圧倒されるほど巨大で複雑化した前例のない社会構造のせいで、代表者を基準に、国家が必要な決断を下せなくなっている。必要なコンセンサスは、知識を充分に持った誰かが信頼されて、進むべき道を見つけた場合にのみ、得られそうだ。そうなればわれわれの多くは、その導きに従うだろう-彼らは信頼されている人間なのだから。全員の利益のために心を合わせるには、この方法しかない。(p.216)

●すべての慈善組織が抱えている問題のひとつに、非営利という姿勢を美徳として考えることが挙げられます。自分たちは理想を体現していると自負するとき、モラルは危険にさらされているのかもしれません。(p.278)

●どれほど困難な挑戦であろうと、与えられた任務がどれほど不可能で絶望的に見えようとも、冷静に考えて自分の道が正しいと思うなら、ただ前進あるのみなのです。(p.287)

●世界は曖昧さにあふれています。しかし、ある人にとっては曖昧なものでも、ほかの人にとっては規則正しいものでありうることも知りました。われわれはひとり残らず、自分という色眼鏡を通して世界を見ているのです。(p.305)

●私はこれまで、ありとあらゆる組織で有能なリーダーを数多く見てきました。その中でも特に有能なリーダーは、何事もない平穏な時が長く続くことが、たまに生じる混乱した状況よりも、組織の存続にとってより大きな脅威だと感じていました。そこで、彼らは時機を見計らっては、混乱した状況をわざわざ作りだしていました。組織が壊滅するほど大きなものではなく、新しい息吹を吹き込むのにちょうどいいくらいの混乱です。(p.374)

●しかし残念ながら、拒絶は、何かを止めるか、防ぐことしかできません。間違っていると思うことには反対すべきですが、否定的な姿勢ばかりでは何かを「導く」ことはできません。特定の目的をしっかり狙い、肯定的な行動をとる以外に、組織や社会全体を導いていくのは不可能なのです。(p.379)

●私は「組織(institution)」という言葉に問題があることに気づきました。「組織」の語源を調べてみると、思った以上に変化に富んだ歴史があったのです。記録に残っているさまざまな意味の中に、「拡大し、自由をもたらすもの」というものがありました。(p.380)

「リーダーシップ」とは、ひとりの人として現在やるべき以上のことを想定して、リスクを冒して「今すぐこれをやりましょう」と言えることです。~(中略)~直感は、誰よりも準備ができている人が感じる場合が多く、瞬間的なこの行動ができるか否かでリーダーが決定されます。「フォロワーシップ」もリーダーシップと同様、責任ある役割です。なぜなら、従う人はリーダーに権限を与えるというリスクを冒し、近い将来に問題が起きれば「私はあなたの洞察力を信頼しています」と言わなければならないからです。リーダーを信頼し、権限を与えるための別の準備となる「フォロワーシップ」は、組織を鍛え、強靭にするでしょう。(p.391)

●逆説的な言い方だが、人は善と悪の両方を備えて生きてこそ、人生を心から楽しみ、その意味を理解できる。このことを、私はカールトン大学で学長から学んだ。(p.412)

●われわれの誰もがさまざまな面を持っているし、有能な人というのは一筋縄ではいかないものだ。ある生き方が最も効果的に働くには、条件があるだろう。それは、深い意味での個人のあり方-個人を形作る見た目の違いといったものではなく、もっと掘り下げた意味での個人のあり方が社会と調和していなければならない。そうした生き方が一貫性をもたらし、明らかにばらばらの傾向へと人を導き、目的を与える。生き方の選択がうまくいけば、どんな人であれ、個人の能力をうまく活かすことが可能になる。このように生き方の選択が、意義深い生涯を送れるか否かを左右するのだ。(p.445)

●建設的な活動の中心には必ず、責任感のある人物が存在し、こうした人物は自ら手を伸ばして現実の問題に取り組みます。その道は険しいかもしれませんが、彼らは代替案を提示し(必要なら、自ら考えてもくれます)、優劣の評価をし、美徳と正義-自分自身の信念にかなった選択肢-を選ぶのです。その選択が誤りかもしれず、それによって被害を受けるかもしれないことは承知の上ですが、勇敢にもリスクを冒す覚悟はできています。(p.479)

充分に道に迷わなければ、自分自身を見つけることはできない。確認のためにこんな言い方もできるだろう。自分自身を見つけられない人は、充分といえるほど迷っていない。(p.508)

●本書にそれほどの衝撃があると思うのは、なぜだろうか。私が初めてこの本を読んだのは1982年くらいだった。記憶が正しければ、ジョセフ・ジャウォースキーからもらったはずだ。(p.525終わりに-ピーター・M・センゲより)

●仏教に古い教えがある。「自分自身を変えることほど難しいものはない」。だから、私は常に問いかけるようにしている。「自分に欠けている能力は何だろう。その能力を鍛えるには何をすればいいのだろうか」(p.537終わりに-ピーター・M・センゲより)

●グリーンリーフはこうしたことをよく理解していた。コミットメントについて議論したとき、彼はこう言った。「結局、人は選択せねばならない。おそらく、同じ目的や仮説を繰り返し選択するだろう。だが、それはいつも新鮮で開かれた選択だし、いつも不安の影が差している」。そう、いつも不安の影が差しているのだ。(p.540終わりに-ピーター・M・センゲより)

●リーダーシップというものの意味は、前へ踏み出す勇気なのだ。こういうわけで、グリーンリーフが明確に示してくれたリーダーとフォロワーの関係が非常に重要になってくる。彼は言う。「最終的に、リーダーにはもうひとつ必要とされるものがある。リーダーは意を決してこう言うのだ。『よし、行くぞ。その気があるなら私についてこい』と」(p.543終わりに-ピーター・M・センゲより)

●サーバント・リーダーシップが増えることを望むとき、それはトップに君臨するサーバント・リーダーだけの話をしているわけではない。サーバント・リーダーシップの能力を持つ人は、<組織>全体に散らばっていなければならないことを認識しておくべきだ。~(中略)~真のリーダーシップとは、きわめて個人的なものでありながら、本質的には集団的なものなのだ。(p.549終わりに-ピーター・M・センゲより)
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