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山口誠著「グアムと日本人」
この本は、グアムのガイドブック(古本)をAmazonで探していた時に偶然見つけました。zuKaoはグアムには行った事がなく、今行きたい外国の一つなのですが、行く前に色々と歴史を知る事ができて良かったです。グアムに行った事がある人は、是非以下の「...read more」を押して、備忘録を読んでみてください。知らない事がたくさんあると思いますよ!



●ホテルと免税店には、日本語を話す従業員が多数いるため、日本語と日本円だけでも用が足りる。しかも島の観光者の約8割、年によっては9割近くを、日本人だけが占めているという。そんな日本語と日本人に占領された島の姿を、現地では「日本人の楽園」とよぶ人もいる。~(中略)~かつて島の名は「大宮島(おおみやじま)」だった。(p.i)

●島の面積は約549平方キロで、日本の淡路島とほぼ同じ大きさだ。米軍基地が島の土地の約3割を占めている一方で、日本人が遊ぶタモン湾のホテル地区は、島の1%にも満たない。(p.ii)

●そのグアムでは、断水が頻繁に起こる。給水施設の近代化が遅れている同島では、とくに日本人が多くやってくるお盆や正月になると、リゾート・ホテルでの水の需要が増えて水圧が下がるため、米軍基地とホテル地区の外に住む一般家庭では水が出にくくなるという。さらに数年に一度は大型台風が上陸し、島中の電線を破壊するため、その度に深刻な長期停電が起こる。~(中略)~一方で、タモン湾のホテル地区には、停電も断水もない。島経済の約7割を稼ぎ出す同地区だけは優先的にインフラが整備されているうえに、自前の臨時発電施設を持つホテルや免税店も多いからだ。東京ディズニー・リゾートとほぼ同じサイズのホテル地区だけは、別世界である。(p.ii)

●「大宮島」は、日本が第二次世界大戦中に米国から奪い取った唯一の有人領土だ。米国が他国との戦闘に敗れ、多くの米国人捕虜を出して敵軍に占領されてしまった初めての、そして唯一の米国領土が「大宮島」だ。1941(昭和16)年12月、日本軍は米領グアムを占領し「大宮島」として統治した。(p.iv)

●本書は、「大宮島」の歴史と「日本人の楽園」の開発に照準を当て、われわれが忘れつつある記憶を取り戻し、過去と現在のあいだの回路を修復しようとする、小さな試みである。その目的は、いまの「日本人の楽園」や観光のあり方を否定することにはない。(p.vii)

●なぜ「大宮島」という日本名に改称したのか、詳細は明らかではない。英語文献の多くは「大きな宮(神社)の島(Great Shrine Island)」という説を採っている。(p.4)

●グアムに住む日本人の歴史は古く、1868(慶応4)年4月には約40人の日本人が、横浜港からスペイン領グアムへ農業移民として出帆した記録がある。(p.9)

「大宮島」の日本軍のために造られた飛行場は、たった数か月の後に日本本土を爆撃する米軍の滑走路となり、60年代にはベトナムへ向かう米軍兵が使用し、そして現在の「グアム国際空港(Antonio B. Won Pat International Airport)」として、多くの日本人観光客が毎日利用している。(p.20)

●とくにグアム占領時に自軍の一隊が上陸に成功した富田(タモン)湾こそ、米軍の再上陸地点であろうと予測した日本軍は、この湾の北側の断崖に数門の大砲を配備し、また海岸線に沿って多数のトーチカを築いた。現在、リゾート・ホテルが建ち並ぶタモン湾のビーチに点在する黒い「石の小山」は、そこで日本兵が玉砕したトーチカの跡であり、それは「大宮島」の生々しい記憶である。(p.20)

グアムは1521年にマゼランが「発見」し、1668年に「正式」にスペインの植民地とされた。3世紀にわたってスペインに支配された後、1898年のアメリカ・スペイン戦争(以下、米西戦争)の末には、グアムはスペインから米国へ「譲渡」された。それから日本軍が1944年に占領するまでの46年間、グアムは米国の領土として統治された。(p.46)

●こうして同じ民族のチャモロ人が住んでいたマリアナ諸島は、大国の都合で人為的にグアムとその他の島々に分割され、やがてスペイン=アメリカ文化を持つグアムと、スペイン=ドイツ=日本文化を持つサイパンなどに分かれていった。~(中略)~なお、グアムが米国の植民地になった1898年、日本人に馴染み深いもう一つの群島も米国の領土に編入されている。それはハワイ諸島である。米西戦争で太平洋におけるハワイ諸島の地理的重要性を認識した米国は、ハワイ共和国(当時)を米領に編入して初代知事にサンフォード・B・ドール(バナナなどで有名なドール社の創業者ジェームズ・ドールのいとこ)を任命した。(p.48)

●グアム住民が希求した米国市民権を米国政府が与えたのは、同島が「大宮島」の日本統治時代を経験し、さらに米軍の再上陸から6年が過ぎた1950年6月である。ワシントンの連邦議会は「グアム組織法(Guam Organic Act)」を可決し、立法機能を持つグアム議会の設立を許可し、グアム住民に米国市民権を与えた。(p.50)

●これに対して60年代のグアムでビーチの造成が予定されていたのは、タモン湾とは反対側の島の東岸にあるタガチャン(Tagachan)とイパン(Ipan)である。これら島東岸の海岸は、タモン湾の数倍もの大きさのリーフ(浅瀬の礁)と美しい砂浜を有する天然の海水浴場であり、とくに波が穏やかで白い砂浜が続くイパンには、太平洋戦争の前から米海軍のレクリエーション施設が置かれた。~(中略)~それに対してタガチャンやイパンなど島東岸では大きな戦闘がなかったため、「基本計画」では戦争の傷跡が残る西岸ではなく、静かで美しい東岸を選んで新しいビーチの開発を計画したと考えられる。(p.56)

●今日、ハワイとグアムは旅行広告などで並記され、両者はよく似た「南国の楽園」として扱われることが多いが、それぞれが持つ歴史的背景や風土はまったく異なる。~(中略)~ハワイ諸島では、英国海軍のジェームズ・クック艦長(キャプテン・クック)の上陸によって18世紀に西洋諸国との接触がはじまった。同世紀の末には一部族の長だったカメハメハ一世が、白人から入手した近代的な武器で勢力を伸ばしてハワイ王国を建国し、1810年に全諸島を統一した。~(中略)~やがて広大な土地と政治経済的実権を掌握した白人住民は、1893年にクーデターを起こしてハワイ先住民の王権を転覆し、翌年に白人主導のハワイ共和国を樹立した。そして既述のようにグアムと同じ1898年に米国領土として併合され、半世紀後の1959年に米国の一州に昇格した。(p.61)

●1903年にハワイ宣伝委員会(ハワイ観光局の前身)が設けられ、1928年にハワイ観光の中心地となるワイキキ湾の埋立て工事が完了したという。かつてワイキキの地には王族の住居が置かれ、タロイモの水田や魚の養殖池が広がる肥沃な土地だったという。しかし白人政府はワイキキ湾を埋立て、海水浴場(ビーチ)を造成し、欧米式のリゾート・ホテルを建て、米国本土から定期船で訪れる観光者のための南国リゾートを創出した。(p.62)

●かつて日向国と呼ばれた宮崎には、初代天皇と伝えられる神武天皇を主神として祀る宮崎神社があり、その北部には神武天皇が降臨した地とされる「皇国」日本の原点、高千穂が広がっている。(p.93)

●そうした「南国」宮崎の仕掛けを開発した中心人物に岩切章太郎氏がいる。岩切氏は明治生まれの実業家で、宮崎交通の創業者である。彼は早くも1936年にフェニックス椰子を日南海岸に植樹し、39年には遊園地「子供の国」(現・こどものくに)を開園、戦後の50年には植物公園「サボテン園」を造成するなど、戦前戦後を通じて「宮崎県観光の父」と呼ばれる大活躍をした。先述の「アロハで飛ぼう」キャンペーンなど「南国」観光の仕掛けも、岩切氏と彼が率いる宮崎交通が中心となって実施した。(p.98)

●そこで68年のフジタを皮切りに、タモン湾にホテルが次々と建築された。東急ホテル(69年)、第一ホテル(71年)、ヒルトン(72年)、ホテルオークラ(同年)、ホテル・カクエイ(73年)、リーフ・ホテル(74年)など。~(中略)~列挙したホテル名から容易に想像できるが、この時期にタモン湾に建てられたホテルのうち、ヒルトンを除くすべてが日本の資本によるリゾート・ホテルである。つまりタモン湾は60年代末から70年代の前半にかけて、日本人の手によって開発されたことが見えてくる。そもそも68年まで、タモン湾にはホテルが存在しなかったのだ。(p.109)

●ホテルによっては、グアムとは無関係なタヒチ人によるポリネシアン・ダンス・ショーや、腰蓑を付けた国籍不明なダンサーによるファイヤー・ダンス・ショーを売り物にして日本語パンフレットに印刷した。(p.111)

●その誌名「るるぶ」は、「見」「食べ」「遊」という、旅を構成する三大要素の語尾から採られたという。(p.138)

●さらに1995年から段階的に実施されてきた米軍基地の縮小の影響で、基地関連の雇用者数も、連邦政府から受け取る補助金も減少傾向にある。明らかに過剰な公務員の数と長期の税収不足に悩まされ、グアム政府は90年代の後半から深刻な財政危機に陥っている。失業率は10%を超え、凶悪犯罪の件数も増加しているという。(p.160)

●医療制度の貧しさも大きな問題だ。グアムには総合病院が一つしかない。それも常に病床不足に悩み、施設も設備も老朽化している。島の中央に位置する米軍基地の中には、優れた医療設備を持つ海軍病院があるが、一般住民は交通事故など緊急の場合しか受け入れてもらえない。(p.161)

●前者の基地移転は未確定の要素が多いが、およそ1万から2万といわれる米国海兵隊員とその家族が、計画完了予定の2014年までに沖縄からグアムへ移転するという。もし実行されれば、グアムに駐留する米軍とその関係者は単純計算して現在の2倍以上の規模になる。~(中略)~脆弱な社会基盤しか持たない島で、たった数年の間に人口が一割あまりも純増するのだ。仮に根本的な改善が為されないまま人口が増加し、しかも電力と飲料水を大量消費する米軍基地が増設されれば、グアム住民の生活を支えるインフラは確実に崩壊するだろう。(p.162)

●だが、チャモロ人住民がグアムを去っているにもかかわらず、統計上ではグアムの総人口は年々微増している。離島者よりも多い移民者が、主にフィリピンから流入しているのだ。パロモ氏が住む島中西部のタムニン地区では、すでにチャモロ人よりもフィリピン人のほうが多く住んでいるという。同地区に限らず、観光の中心地タモン湾の周辺には、たしかに多くのフィリピン人移民が住む町が増えている。(p.166)

●「未編入領土」グアムの困難な現状は、米国大統領選挙に参加できないことに象徴される。グアム住民は連邦政府が定める納税義務を果たし、合衆国憲法を遵守して生活していても、国政選挙への投票権が与えられていないのだ。さらにグアム住民は、ワシントンDCの連邦議会で代議士を立てる権利も認められていない。(p.172)
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