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野田智義、金井壽宏著「リーダーシップの旅」
この本は久しぶりに自分にあっている本だなぁと感じた。日々考えるリーダーシップやマネジメントについて、共感できる部分が多々あった。詳細は「...read more」に記すが、ここでは以下の3つをまず引用したいと思う。

●リーダーにとって明るい性格は大事だが、ここぞという場面で明るく振る舞うことの方がもっと大事なのだ。もちろん、もともと性格的に明るいリーダーの方がそういう行動はとりやすいのだろうけれど、人が喜んでついていくようなリーダーは、辛い時こそ、皆を元気づけるために前向きに振る舞っているはずだ。(p.34)

●吹っ切れたリーダーは、フォロワーを導くのではなく、巻き込んでいく。沼を渡ろうと決断するのは自分一人だが、やがてリーダーの背中を見て、人がついてくる。この「振り返ると人がついてきていた経験」が、リード・ザ・セルフからリード・ザ・ピープルへの橋渡しとなる。(p.56)

●読者の皆さんは、こんな症状に心当たりがないだろうか。企業や組織の中核として、毎日の人生にそれなりの充実感がある。社交的で、仕事を越えたネットワークも広い。忙しいと自分でも思うし、時には人にもそうこぼす。その半面、自分は必要とされているのだという満足感も抱いている-。自覚症状がもしあれば、あなたは「アクティブ・ノンアクション」というワナに絡め取られている可能性がある。~(中略)~厄介なことは、このワナにはまっているのは、組織の中で「できる」と評価されている人たちが多いという事実だろう。そんな人は周囲の信頼も厚いので、やれ打ち合わせだ、会議だ、タスクフォースだと何かにつけて引っ張り出される。(p.164)


ここ1か月の自分を振り返ると、たしかに「アクティブ・ノンアクション」というワナに絡め取られている可能性がある。分かってはいるのだが、どうやって抜け出すかが難しいところだ。



●最初から結論を言わせていただくと、リーダーシップとは、私たち一人一人が自分の生き方、仰々(ぎょうぎょう)しく言えば、生き様を問うことだ。(p.12)

●私が最も重要であると考え、この本で強調したいのは、リーダーを目指してリーダーになった人はいないということだ。~(中略)~対比のために、会社の社長を考えてみよう。もちろん社長の中には「すごいリーダー」もいる。~(中略)~だが、一般的には、社長という地位自体はあくまでも組織内のポジションにすぎない。~(中略)~そうではなく、この世界に生まれ、すべての人が見るのと同じ景色を見て暮らしながら、多くの人とは違う何かを感じ取って行動を起こした人が、行動を続けるプロセスでリーダーと呼ばれるようになるのではないだろうか。(p.20)

●リーダーシップは「見えないもの」を見る旅だ。ある人が、「見えないもの」、つまり現在、現実には存在せず、多くの人がビジョンや理想と呼ぶようなものを見る、もしくは見ようとする。そして、その人は実現に向けて行動を起こす。世の中ではよく、リーダーはついてくる人(フォロワー)を率いる、リーダーシップはフォロワーを前提とするなどと言われるが、私はそうは思わない。旅はたった一人で始まる。フォロワーは旅の途中で現れる。リーダーと出会い、一緒に旅をする。(p.21)

●この本において、私はリーダーシップの身につけ方について、あれこれ読者の皆さんに話すつもりもなければ、その立場にもない。リーダーシップは人それぞれの生き方の問題であり、先生が学生に演壇から教授するものでも、先輩が後輩にお説教のように語るものでもない。ましてや、評論家がテレビで知ったかぶりにコメントするものでもない。それは、一人一人の人間が自分自身の人生の中に発見するものだと思う。~(中略)~リーダーシップには、目標を設定して成長に向けて励(はげ)むという側面がないわけではないが、それ以上に私はこの本で、リーダーは「結果としてなる」ものだと強調したい。リーダーはリーダーになろうと思ってリーダーになるのではなく、行動の積み重ねの結果としてリーダーになるのだ。(p.26)

●リーダーにとって明るい性格は大事だが、ここぞという場面で明るく振る舞うことの方がもっと大事なのだ。もちろん、もともと性格的に明るいリーダーの方がそういう行動はとりやすいのだろうけれど、人が喜んでついていくようなリーダーは、辛い時こそ、皆を元気づけるために前向きに振る舞っているはずだ。(p.34)

●私が「リーダーシップ開発・育成」という用語を使う場合は、人々にリーダーシップを「論」として知ってもらうだけでなく、「行(ぎょう)」として実践、発揮できるように刺激や機会を与えるあらゆる試みを指している。(p.37)

●リーダーシップは、本を読んで修得するものでも、だれかから教わるものでもない。それは、私たち一人一人が、自分の生き方の中に発見するものだ。リーダーシップはだれの前にも広がっている。(p.39)

●リーダーシップの旅は、「リード・ザ・セルフ(自らをリードする)」を起点とし、「リード・ザ・ピープル(人々をリードする)」、さらには「リード・ザ・ソサエティ(社会をリードする)」へと段階を踏んで変化していく。~(中略)~3つの段階はそれぞれリーダー自身の一人称による語り、フォロワーによるリーダーへの帰属、社会による公認という3つの側面から説明できるだろう。~(中略)~よくあるリーダーシップ論は、リード・ザ・ピープルとリード・ザ・ソサエティという旅の途中からの段階に目を奪われすぎているからだ。これでは、リーダーの行動や資質がフォロワーや社会の視点による三人称だけで語られてしまう。~(中略)~多くの人にとって、リーダーシップ論が心に響かないもの、自分と関係のない他人事になってしまう理由は、それが、フォロワーや社会からの三人称の視点で語られることにあるのではないかと思う。私は、リーダーシップは三人称ではなく、一人称で語るべきものだと考える。(p.50)

●旅に出たいかどうかを、私たちはまず「頭」で考える。頭では出たいと思っていて、人に聞かれれば、自分は旅に出たいとも答えるのに、なかなか一歩が踏み出せないことがある。それは「心」が旅に出ることを渇望していないからだ。「頭」と「心」を一致させること、旅に出ることが大事だと考え、頭の中でできると信じ、心の中でもどうしてもやりたいと感じること。そういう「吹っ切れ」がなければ、リーダーシップの旅は始められない。このようにリーダーを突き動かすもの、走り出させるものについて、前出のW・ベニスは、「リーダーは内なる声(inner voice)を聴く」と表現した。(p.53)

●吹っ切れたリーダーは、フォロワーを導くのではなく、巻き込んでいく。沼を渡ろうと決断するのは自分一人だが、やがてリーダーの背中を見て、人がついてくる。この「振り返ると人がついてきていた経験」が、リード・ザ・セルフからリード・ザ・ピープルへの橋渡しとなる。(p.56)

●リーダーにはコミュニケーションのうまさや先見性など、ある程度の能力や資質が求められる。けれども、リーダーシップの本質は、そのような能力や資質にあるのではなく、リーダーがリード・ザ・セルフによって行動する際に発するエネルギーにこそある。「背中を見てついていく」「言葉ではなく背中で語る」といった言い回しがあるように、時にはリスクを冒してまで行動しようとする人の背中に、フォロワーはエネルギーを感じ、自発的についていこうと思う。(p.56)

●不安と不確実性の中を、リスクを負って前へと進んでいくのがリーダーシップの旅だ。リーダーが成し遂げようとすることが大きければ大きいほど、「見えないもの」は現状とは大きくかけ離れたものである可能性が高い。「見えないもの」を実現する過程では、現状への安住に快適さやノスタルジーを感じる人たち、古い価値観にとらわれた人たち、既得権益にすがる人たちとの間で摩擦や軋轢(あつれき)が生じ、激しい抵抗や反発を受けることもあるだろう。(p.67)

●見方を変えれば、なぜ、社員たち、職員たち、部下たちは毎日、オフィスに来るのだろう。~(中略)~必ずしも納得できない指示や、雇用契約の根幹に属さない指示にでも結構従ってしまうように映る。一体なぜだろう。話が少しずれてしまうかもしれないが、この従順さは、近代以降の教育の普及と関係があるのかもしれない。~(中略)~時代が変わっても、家庭や学校での教育を通じて、私たちは一定の良識と従順さを身につけてしまっている。教育を受けた私たちの姿勢や態度は、ヒエラルキー、つまり序列化された秩序がある組織におけるリーダーシップの存在を、非常に分かりにくくさせる。人々はあまりに従順か、それとも従順を装うのが巧みなため、何が理由で組織の長に従っているのかが見えづらいのだ。(p.80)

●一般的な会社や組織において、部下がトップについていくのは、トップがリーダーシップを発揮した結果によってではなく、ヒエラルキーによってだ。~(中略)~中には、部下たちが自発的についていっている社長も当然いるだろうが、「社長=リーダー」というわけでは決してない。(p.82)

●企業内でのリーダーシップを測る場合、私は「指揮系統下にいない応援団がどれだけいるか」を試金石と考えている。「後ろを振り向いたら、嫌々ではなく、喜んでついてくるフォロワーがいますか?」という問いかけによっても、リーダーシップがその場に発生しているかどうかを目に見える形で試すことができる。(p.91)

●リーダーシップはフォロワーを前提とするのではなく、フォロワーを生み出すプロセスだ。だから、もしも企業経営者が「フォロワーがいなければ、リーダーシップは成り立たない」と言い出したら、すごく甘えた話になる。(p.92)

●リーダーは「見えないもの」を見て、あるいは見ようとして、新しい世界をつくり出すのに対し、マネジャーは「見えるもの」を分析し、それらに受動的もしくは能動的に対応しながら、漸進的に問題を解決していく。(p.93)

●リーダーもマネジャーも、周囲に働きかけ、活動をつくり出していく点では同じだ。しかし、リーダーが、人々の価値観や感情に訴え、共感・共鳴を得て、賛同者・支持者のネットワークを広げていくのに対して、マネジャーは、組織の成員に対して、地位に基づく権威、権限をもって働きかける。~(中略)~リーダーは、人々の内在的な意欲に基づく自発的な行動を誘発し、同じ方向へ向かって歩みをともにするが、マネジャーは、飴とムチを使って人々の行動を管理(コントロール)し、ある方向へと向かわせようとする。(p.94)

●リーダーは創造と変革を扱う。皆さんが思い浮かべたリーダーも、現状を大きく変えたとか、何か新しいものをつくり出したりして時代を画した人物ではないだろうか。これに対し、マネジャーは現状を維持するか、少しずつ漸進的に変えていく。組織の安定性や持続性を維持するためにマネジメントは機能するが、組織の変化を生み出すためにリーダーシップは機能する。(p.96)

●だれかが達成した後には当たり前に見えるが、その前には到底不可能と思えること。創造とはこういうものだ。企業でイノベーションや新製品開発に携わっている人なら、自明のことかと思う。ビジネスモデルの構築においても同様だろう。(p.98)

●英語にこんな諺(ことわざ)がある。-旅を前にして、人は、そんな新しいやり方は非現実的だ、不可能だと言う。旅を終えて、人は、なぜ自分たちがそんなふうに言っていたのかすら不思議に思う-この諺が語る創造と変革の共通点は、「事前のあまりにも高い不確実性」と「事後には当たり前だと受け入れられる常識性」ということになる。事前の不確実性と事後の常識性、その間にあるのは、連続ではなく非連続だ。リーダーシップの旅において、リーダーはこの非連続性を飛び越える。(p.100)

●J・P・コッターはマネジャーを「複雑性への対処」、リーダーを「変革への対処」とキーワードで対比した。マネジメントのキーワードにシステム、秩序、安定、予測可能性を加えることもできる。ルールや仕組みに精通し、これらをうまく活用するのがマネジャーだ。優れたマネジャーは、上から下りてきた目標を与えられた手順で部下を使って達成していく。~(中略)~よくマネジメントは陣頭指揮だとか率先垂範などと言われるが、それは大間違いで、できるマネジャーは本人が会社を留守にしていても、組織がきちんと動く仕組みをつくり上げる。逆説的に表現すれば、優れたマネジャーの理想は「自分がいなくても回る」組織にしていくことだ。他方、リーダーはシステムをバイパスする。そして不要と判断したら、システムや組織そのものを壊してしまう。~(中略)~ややもすればバランス感覚に欠け、ひやひやするが、一徹さに周囲の人たちは心を打たれ、つい応援したくなる。リーダーは常に先頭を切り、本人がそこにいないだけで支障が生じる。職場で上司のリーダーシップの度合いを測りたかったら、その上司が不在の時の混乱の度合いを見るといいかもしれない。(p.102)

なぜ、多くの企業や組織の人たちが口をそろえて「リーダー待望」を言い始めたのだろう。理由は単純明快だ。世の中が創造と変革の時代に入ったからにほかならない。(p.109)

●組織は組織化を進めれば進めるほど、つまりマネジメントの機能を充実させればさせるほど、自己破滅の危険にさらされる。皮肉なことに、組織化そのものが、結果的に組織に自己破滅の遺伝子を埋め込んでいくプロセスでもある。組織化が組織を破滅に導くとは、一見矛盾するような見方だけれど、こんなふうに説明すれば分かりやすいかもしれない。組織は活動を効率的かつスムーズに進めていくために、ある環境を一定のものととらえ、その環境への適応力を高めようとする。そのことは環境が安定しているうちは問題にならないが、絶えず環境が変化するような時代に入ると、組織の首を絞め始める。過去への過剰適応が、現在の環境との乖離(かいり)を生んでしまうからだ。そのような組織は柔軟性に乏しくなり、不活性化・硬直化する(これを組織のイナーシアと呼ぶ)。(p.111)

●ローレンス・J・ピーターの「ピーターの法則」は有名だ。階層社会において、すべての人は能力のぎりぎりまで昇進を重ね、おのおの「無能(インコンピテンス)レベル」に到達する。インコンピテンスを無能と訳すとキツすぎるかもしれない。「やがてうまくいかなくなりますよ。みんなそういうものですよ」程度に考えればいい。この法則通りなら、マネジメントがきちんとできることが当人の無能レベルであれば、その人はそこから先のリーダーシップに進もうとはしない。(p.114)

●組織内でリーダーシップを発揮する機会は、次世代に良質な修羅場体験を与え、次のリーダーを育てる。~(中略)~リーダーの役割はリーダーシップの教師になることであり、リーダーは、次のリーダーを育成することでリーダーになっていくとも言える。そのことをティシーは「リーダー・ディベロピング・リーダー」と表現した。(p.126)

日本企業にとっての問題は、例えばイノベーションの不足ではなく、本当の経営者がいないことであり、だから、長期的に利益を上げ、社会に貢献するとともに繁栄を続ける会社が少なく、低い収益率に甘んじている会社が多いのだと言う。~(中略)~かなり人づくりに力を入れた戦略論を展開中だが本当に経営者の器のある人材まではつくれていない企業は結構あるものだ。会社における戦略不全も、またリーダーシップ不足とも関係していると考えられる。(p.127)

●ここ数年流行のコーチングも、「自分探し」の危険性を孕(はら)んでいる。コーチングは、鏡の役を務めてくれるコーチが、こちらが打ち明けた悩みやもやもや感をうまく返してくれることにより、自分自身の心の声が明確になっていくというアプローチであり、自分を見つめ直す作業としては本来とても有効なものだ。~(中略)~しかし、コーチングにはまってしまった人たちの一部には、ともすれば研修会で出会った仲間とコミュニティを作ったりして、その関係の中に身をうずめていく傾向があるような気がする。(p.136)

●世間の評価というものが評価尺度になると、「やれば認められる」「認められるためにやる」という具合いで、信用蓄積はゲーム化していき、私たちはそのゲームの中に埋没していく。その結果、「本当にやりたいこと」をいつの間にか忘れてしまい、当初は何かを成し遂げるための手段だったはずの信用が目的になってしまう。(p.146)

●「夢なんか実現しっこないと言う人もいるが、実は夢しか実現しない」。これはTSUTAYAを展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブの社長、増田宗昭さんから私が聞いた言葉だ。(p.159)

●30代、40代以降の旅立ちは、リーダーシップの第二段階リード・ザ・ピープル、第三段階リード・ザ・ソサエティをへて、結果としてリーダーになる旅へとつながる可能性が高い。夢や志によってであれ、信用の蓄積次第であれ、そうなれる可能性がさらに高まる。(p.160)

●読者の皆さんは、こんな症状に心当たりがないだろうか。企業や組織の中核として、毎日の人生にそれなりの充実感がある。社交的で、仕事を越えたネットワークも広い。忙しいと自分でも思うし、時には人にもそうこぼす。その半面、自分は必要とされているのだという満足感も抱いている-。自覚症状がもしあれば、あなたは「アクティブ・ノンアクション」というワナに絡め取られている可能性がある。~(中略)~アクティブ・ノンアクションとは、ロンドン大学教授で、私の人生の師でもあった故スマントラ・ゴシャールの命名であり、「不毛な多忙」と意訳してもいいだろう(ハイケ・ブルック、スマントラ・ゴシャール/野田智義訳『意思力革命』ランダムハウス講談社、2005年)。~(中略)~厄介なことは、このワナにはまっているのは、組織の中で「できる」と評価されている人たちが多いという事実だろう。そんな人は周囲の信頼も厚いので、やれ打ち合わせだ、会議だ、タスクフォースだと何かにつけて引っ張り出される。(p.164)

●アクティブ・ノンアクションにはモメンタム(慣性力)があって、一度その中に絡め取られてしまうと、加速度がつき、そのまま走り続けてしまう。(p.166)

●セネカが語る「怠惰な多忙」、スマントラが注目する「アクティブ・ノンアクション」の意味はもうお分かりだろう。現在を忙しくは生きているが、今やっていることの意味を探すような来し方の内省をせずに、過ぎ去る今日を集中力なく気が散るままにカラ元気で生きるのは、よしたほうがいいということだ。(p.171)

バダラッコは、リーダーシップをとる人のキャリアや人生の決定的瞬間に深い関心を抱き、ただ忙しいふりをして、旗振りの声が大きいだけのリーダーではなく、静かにリードする人を称える。ビジネスとは、単に「忙しいこと(ビジー・ネス)」ではないのだ。(p.172)

●人生を順繰りに顧みていって、どうしてもここだけは犠牲にしなかったという部分が見つかれば、それがその人のキャリアのよりどころ、キャリア・アンカーである可能性が高い。その先に「中年の夢」が思い描ければもっといい。(p.175)

●組織や企業では、そしてマネジメントの世界では、人を動かす時にはモティベーションが重要だと言われる。しかし、創造と変革に挑み、不安とリスクに直面し、不確実な未来に向けて一歩を踏み出すためには、だれかに、または何かにモティベートされる(動機づけされる)だけでは足りない。~(中略)~外からのものではなく、自分の内面からわき上がるもの。心の奥底から踏み出したい、踏み出すんだ、後戻りせずに前へと歩き続けるんだという力が、行動を生み出し、支える。それが、世界の経営学の論壇で常に異彩を放ち続けたスマントラが、55歳で早世する直前に残した結論だった。(p.193)

●現在、4Es(フォーリーズと読む)はウェルチによるリーダーシップの持論として語られているが、当初は3つのEしかなかった。~(中略)~そこで、まだ何か抜けている要件があるのではないかという協議がなされ、付け加えられた最後のEがエクスキュート、とことん最後まで粘り強くやり抜く力だ。~(中略)~決断し、アクションをとった後は、成果につながるまでやり抜く。この姿勢がリーダーには不可欠となる。~(中略)~エクスキュートは普通、実行力や執行と訳されるが、「死刑を執行する」という時にも使われる。きれいな言葉で訳すより、「とことんやり抜く」もしくは「逃げない」の方が意味は伝わりやすい。ちなみに経営幹部を意味する「エグゼクティブ(executive)」とエクスキュートはもちろん同語源の言葉だ。(p.198)

●ヘンリー・ミンツバーグは、私がINSEAD勤務時代に、隣同士の部屋で仕事をしていた同僚であり、今でも一緒に時間を過ごすことが多い。ヘンリーは「忙しい現代人に必要なのは、知識やスキルの詰め込みのためのブート・キャンプ(軍事教練所)では決してなく、自分を内省するという経験だ」と強く主張するが、私も120%賛成だ。(p.216)

●もちろん、旅の一歩の原動力が、大望、夢、志、プロフェッショナリズムといったポジティブで、より清廉なものであるに越したことはないだろう。しかし、その人のエゴであったり、劣等感の裏返しであったり、あるいは自己実現へのあくなき渇望であることも多いのではないだろうか。実際、後者の方が、旅を歩むにあたってのエネルギーとしては強烈かもしれない。(p.239)

●野田さんと私が、いつか翻訳が出たらいいのにと話し合っている、リーダーシップを扱ったとても不思議な一冊がある。ジョーゼフ・ジョーウォースキー(Joseph Jaworski)によるSynchronicity: The Inner Path of Leadership(タイトルを訳せば『共時性(きょうじせい)(シンクロニシティ)-リーダーシップへの内なる旅路』となる)という本だ。(p.246)

●利己と利他に関しては、「サーバント・リーダー(奉仕型指導者)」という概念も参考になるだろう。その提唱者であるR・グリーンリーフは、リーダーと「サーバント(従者、奉仕する人)」という本来一致しない言葉を同居させ、リーダーが自分たちに奉仕する、尽くしてくれると思える時にフォロワーはついていくと考えた。ジョーウォースキーのALFもサーバント・リーダーをセオリーの基盤に置いている。(p.250)

●-ヒトラーはリーダーだったのか?ヒトラーはアーリア民族の優越性を叫び、ヨーロッパに線化をもたらした。それだけでなく多くのユダヤ人を虐殺した。けれどもヒトラーは「第三帝国の繁栄」という「見えないもの」を見て大きな絵を描き、途中までは領土拡大という結果をもたらして、ドイツ国民の心をとらえた。ナチス党員はヒトラーの描く絵が正しいと思ったから「喜んでついていった」のだし、ヒトラーは「後ろを振り向けばついてくる人がいる」経験をしたことだろう。この間、野田さんとの議論で提起されたリーダーの条件をいずれもヒトラーは満たしている。~(中略)~ヒトラーほどでなくても、小悪魔、プチ暴君なら、もっといっぱいいるだろう。「どうしてあんなやつについていってしまうんだろう」という後悔は、恋愛の世界でなら、人生で何度も経験する人もいる。元INSEADのマンフレッド・ケッツ・ドブリースは「起業家には、どこか詐欺師みたいなところがある」と述べたものだ。もちろん、すべての起業家が詐欺師だと言っているわけではない。しかし、起業家は、まだ実現していない絵、「見えないもの」を見て、それをビジネスプランで説明し、ゼロ・ステージの資金を得る。支援者は「もしもプラン通りにいかなかったらどうしよう」と危惧しつつ、応援しょうと思う。そう考えると、未実現のことを魅力的に語る起業家の姿には詐欺師めいたところがある、という発言はあながち外れてはいない。(p.264)

●私たちは、人生において色々な力を「ギフト」としてもらっている。生まれつき両親から授かったものもあるし、努力してつかんだギフトもあるかもしれない。リーダーシップの旅を歩き続け、結果としてリーダーになった人はとてもたくさんのギフトをかち取っている。しかし、自分ではかち取ったと思っていても、その大部分は周囲の人たちの協力があってこそ、手に入ったものだ。それらのギフトは、人々の営みがつくり出す社会の上で花開き、育まれ、認められたものだ。(p.276)

●この書籍において私たちが言いたかったことの骨子は次の通りだ。
・リーダーシップが生まれつきだったら、学んでも仕方がない。リーダーは生まれつきというより、プロセスをへて、結果において共振現象として徐々に姿を現すものだ。
~(中略)~
・リーダーになることを、管理職(ポジションとしてのマネジャー)になることと勘違いしている人がいる。だが、管理とは人を鋳型にはめたりすること、組織に安定や秩序をもたらすことであり、肩書きだけでリーダーシップは生まれない。実はかなり大勢の人が深いレベルでは、マネジメントとは別個のリーダーシップに気づきつつ、その世界を生きていない。(p.294)

●沼の深さが分かっていたら、フォロワーに先頭を歩いてもらってもいいが、どれくらい深いかが分からないからこそ、見えないものを見てしまった熱い想いをもったリーダーが先頭を歩かないといけないのだろう。(p.296)
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